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『ゴールデン』という魔法もさることながら、転移先の環境がひどすぎてマジで無理…
虫、汚物注意…
…その昔、じいちゃんがこっそり教えてくれた事がある。
昔、異世界に行ったことがあるのだと。
村を救って、お土産をひとつ持ち帰ったのだと。
魔法の存在していないこの地球に唯一存在している、…魔術書。
分厚い赤い本を見せながらニヤニヤしていた事を、なんとなく覚えている。
どうやっても本を開くことができない俺を見て、へらへらと笑っていた。
いつか気が向いたら、この本を使って異世界に行くのだと言っていた。
これがあれば遊んで暮らせるのだと、贅沢をして暮らせるのだと言っていた。
魔法がかけられているから、わしにしか開けられない本なのさと言っていた。
しかし…じいちゃんは、異世界に行くことは、なかった。
じいちゃんは、異世界に帰る前に…ぼけてしまったのだ。
大切な本の使い方も、本の存在も、自分の名前も、メシの食べ方も、全部忘れてしまったのだ。
魔術書だという赤い本は一度も開かれることはなく、じいちゃんは灰になったのだ。
遺品処理の手伝いをするために久しぶりにじいちゃんの家に行った時、押入れの奥に赤い魔術書を見つけた。
じいちゃんがいなくなった今、この本はどうなってしまうのだろう…、異世界なんて本当にあるのか…、本が開けば何かわかるかも…、そんなことを思いながら手を伸ばし、指先が触れた、その瞬間。
魔術書の周りから、おびただしい金色のラメが飛び散り始め、瞬く間に6畳の部屋いっぱいに広がった。
確かにものの溢れる和室にいるはずなのに、よく分からない空間に吸い込まれたような…おかしな感覚。
空間の中にいるのに、みっちりと何かに埋もれているような、それでいて息苦しくない、経験した事のない状態。
―――ようこそ、我が世界へ
―――所有者の変更がなされた
―――お前に『ゴールデン』の魔法を与えよう
―――自由に生きるがいい
一方的に、何の説明もないまま…、異世界に飛ばされてしまった。
風を感じてそっと目を開けると、背後に森の入り口、近くに川、遠くに砂漠、草原の向こうに町の砦らしきものが見える場所に…立っていた。
……じいちゃんもこんな風に異世界転移をしたのだろうか?そんな事を思いながら、どうしたものかと腕を組み、あたりを見渡す……。魔物のようなものはおらず、人も見当たらない。
とりあえず魔法がどんなものなのか、背の高い草の密集している場所に移動して確認する事にした。
もらったはいいが使い勝手が分からない、『ゴールデン』という…魔法?
金にまつわる何かの力を持っているのかなと思うのだが、見当がつかない。
「・・・ゴールデン」
とりあえず口に出してみるかと考え、小さくつぶやいてみたが何も出てこない。……物質的なものではないのだろうか。
そういえば、ゴールデンというのは…物質名では、ない。スキル『ゴールド』であれば、金が出てきてもおかしくはないが…ゴールデンではただの形容詞であり……。
ゴールデン、ゴールデン、ゴールデン、ゴールデン、ゴールデン…。
「ゴールデンレトリバー?」
ふさふさした黄金色の姿を思い浮かべてつぶやいたら、犬が一匹、草の間から飛び出してきた。
「ワンワンワン!!!へっへっへ!!!」
犬は元気よく…地平線の彼方まで走り去ってしまった。
……なんだい、これは。
ゴールデン、ゴールデン、ゴールデン、ゴールデン、ゴールデン…。
「ゴールデンハンマー?」
ゲームに出てきた武器を思い浮かべてつぶやいたらでっかいハンマーが出てきた。
てってれてっててってって~♪
ハンマーは周辺の木々や大岩を地中深くに叩き込んで見晴らしを少々良くしたあと、ぽすんと消えてしまった。
……なんだい、これは。
ゴールデン、ゴールデン、ゴールデン、ゴールデン、ゴールデン…。
「ゴールデンウィーク?」
赤い数字だらけの予定表を思い浮かべてつぶやいたら、日めくりカレンダーとこいのぼりが出てきた。
ぺらぺら、パタ、パタ……
カレンダーが風を受けて飛び散り、こいのぼりがそれを追って空のかなたに消えた。
……なんだい、これは。
ゴールデン、ゴールデン、ゴールデン、ゴールデン、ゴールデン…。
「ゴールデンボ×バー?」
ゴテゴテメイクのミュージシャンを思い浮かべてつぶやいたら、陽気なメンバーたちが飛び出してきた。
じゃじゃじゃじゃじゃん!じゃじゃじゃじゃじゃーん!!
ド派手な音楽があたりに響き、ミュージシャンたちがそれに合わせて飛び跳ねて、土が崩れて、…埋もれていった。
……なんだい、これは。
ゴールデン、ゴールデン、ゴールデン、ゴールデン、ゴールデン…。
「ゴールデンバー?」
金の延べ棒を思い浮かべたら、空からキラキラしたものが落ちてきた。
ドスッ、ぼすっ!
がっ!がつん!
俺の周りに金が積み重なり、まっすぐ伸びていた草の一部がつぶれて視界がよくなった。
……これは取っておくか。
ズボンがずり落ちない程度にゴールデンバーをポケットに詰め込んで、町を目指した。
「…マサヒコ?!マサヒコじゃないか!!」
「なんと!マサヒコの孫か!」
「マサヒコには世話になったんだ、ゆっくりして行ってくれ!!」
「…ッ!!マサヒコ、さんっ……!!」
町には、じいちゃんを知る者があふれていた。
入り口でざわつき、通りを歩いて騒がしくなり、ギルドで大騒ぎになり…。
どうやら、この世界は地球とは違う時間が流れているらしい。
じいちゃんがこの村を去って、今年で5年目なのだそうだ。
「さあ、君の世界の話を聞かせてくれ、みんな…待ってる!」
やけにキラキラした目を向けてくるので、無下にすることもできない。
じいちゃんの事、食べ物の事、流行りの歌…当たり障りのない事を延々と話すことになってしまった。
田舎という事もあり、話題に飢えていて…人々は貪欲だ。
料理のレシピ、儲け話になりそうな知識、新しい遊び…次から次へと質問されて、落ち着けない。
途中食事を出されたのだが、正直味も見た目もイマイチで微妙に生臭くて…とても食べる気になれなかった。飲み物も小さな木くずのようなものが浮いていて、ぬるいのはもちろん中途半端に濁っていて…飲み干す勇気が出なかった。おかげで休む間もなくしゃべり続ける事になってしまった。
町の人たちはみんなニコニコとしてやさしかったが、押しが強く、とても馴染めそうにないと思った。はっきり言って逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。
というのも…、文化の違いなのか信じられないくらい不衛生で、ドン引きしてしまったのだ。
店の隅で用を足したり、窓から排泄物を放り投げたりするのが目の端に見えた。トイレの概念がないらしい。おそらく風呂に入るという習慣もないのだろう、ずいぶん距離をあけているのに鼻腔に異臭が突き刺さる。箸やフォークのない手づかみでの食事、口の周りは汚れっぱなし、汚い机に垂れた汁ををべろべろと舐めまわし、唾を飛ばしながら笑う気遣いのなさ。嫌いなもの?を床に投げ捨てていちいち踏み潰すのも気分が悪いし、それを虫の浮いた水でザバっと流して足もとがびちょびちょになるのが不愉快でならない。
どうにかして、この地獄から抜け出したい……。
手汗でびちょびちょになった手のひらを尻で拭いたら、硬いものに手が触れた。
……昼、空から落ちてきたゴールデンバーだ。これを使って、脱出…できないか?
「あの、これ…よかったら。すこし疲れたので、どこかに宿でも…
「 そ れ は ! ! やっぱりマサヒコの孫だ!!」
「待ってました!!これでまたしばらく安泰だ!!」
「助かったー!!ハルキもこの村の英雄だな!!」
「ありがとうねえ、今一番のおへやを用意しますからね!」
「明日も出してくれるんだよね?」
「みんな落ち着け!まずは…運用についての…ブツ、ブツ…」
「今度は計画的に…これじゃ足りん…ブツ、ブツ…」
俺そっちのけでゴールデンバーに群がる人、人、人、人…。
よくわからないが、人々の声を拾った感じからすると…じいちゃんもゴールデンバーを出したらしい。それを渡して、寂れた村を救った?ゴールデンバーを売ったカネで村を町にした?今度は歓楽街を作る?一日に出せるゴールデンバーの量が決まっていた?じいちゃんよりも太っ腹?
「ハルキー!お部屋の準備できたよ!!今日は…
寝 か さ な い ん だ か ら ね ♡」
一緒にベッドに入ったら一瞬で酸欠になって気絶しそうだ。
「絶対やめてね?」
にじり寄ってくる異世界の肉食系女子と極力距離を取りながら用意された部屋に向かうと…ドアに鍵がない。これでは籠城する事もできないじゃないか、鍵がかけられないのはキツイ…。寝込みを襲われたら非常にマズい……。
「ごめん、実は草原…背の高い草が生い茂ってる場所にゴールデンバーを置きっぱなしになってるんだ。もう日が落ちてしまったから取りに行けないけど、一応みんなに伝えておいてもらって、いいかな?明日のあさイチで取りに行くのを手伝ってもらえると助か…
「え?!そうなの?!も~早く言ってよ!!とうちゃーん、大変、大変!!」
さっきまで全くこちらの言いたいことを言わせてくれなかったくせに何を言っているんだ…。
女子がドタバタと階段を下りて行ってすぐに床が揺れるレベルで大移動が始まって、静寂が訪れた。地味にこの建物、床の木材の隙間が多くて下の音が丸聞こえでうるさくてさ…。誰もいないとこんなにも静かなんだな、さすが田舎だ。持ちきれない分を置いてきて本当に良かった。これでしばらくは静かな空間で休めそうだ……。
と、思ったのだが。
木の床が絶妙に湿っていて…モワッと臭うのが気になる。このニオイ…そうだ、給食の時に牛乳をこぼして雑巾で拭ったあと嗅いだことがあるやつだ。換気をしようと窓を開けると…天井に吊るされたランプの光を受けたホコリがうねうねと舞っている。外からはすえた排泄物のニオイが漂ってきて、開けても閉めてもダメージが!
せめて横になりたいと思ってベッドへ近づくと…ベッドのふとん?はシミだらけ…乾いた何かがこびりついている?モゾモゾと模様が動いているように見えるのは…虫、虫、虫、虫、虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫!?
明らかに身体と精神に悪そうなので、部屋の端っこでパーカーの袖で鼻と口を覆って…しばし立ち尽くす。
こんな…こんな世界だとは、思ってもみなかった。
これからずっと……、ここで暮らす?
冗談じゃない!!
いくらゴールデンバーが出てくるからと言って、ここまで劣悪な状況で暮らしていけるわけがない!腹も減ってるしのどはカラカラ、なんか気のせいか体もむず痒いし鼻水まで出てきた、勘弁してくれよっ!!!
そもそも俺は、この世界に来たいと思ってきたわけじゃない。たまたま魔術書に気が付いて、ちょびっと触っただけでこの仕打ち…あんまりだ!!!
だいたいだな、こんな所に来なければ今頃俺は自分の部屋でマッタリゆっくり悠々自適にハンバーガーセットを食いながらテレビを見ていたはずなのに!!貴重なバイト休みの火曜… 18時からアニメを二本見ながら飯食って、ドリップコーヒーを淹れて7時からお気に入りのバラエティー特番を堪能して、10分でシャワー浴びて9時からニュース討論番組を見ながらフルパワーでチャット参戦、11時から動画を流しっぱなしにして眠りにつくはずだったんだぞ?!一番充実してる曜日なのに、なんてことするんだ!!
「クッソ―!!俺の…俺のゴールデンタイム、ゴールデンタイムぅうウウウウ!」
思わず叫んだ、その瞬間。
クソ汚い床がぐにゃりと曲がって、底が抜け?キモい汁とおぞましい虫、カピカピのシーツがグネグネとマーブル状になって…。
―――もう帰るのか
―――『ゴールデン』の魔法が使いたくなったら来るがいい
―――本を開けば再び世界を渡ることができよう
『ハイ~、今週もはじまりました、ユウスケ師匠のミラクルハンバーグ!さて、本日のゲストは…』
間抜けたおっさんの声が聞こえてきたので目を開けると、見慣れたテレビ、手には食べかけのハンバーガー、机の上には飲みかけのコーラとポテト、ハムポテトパイにナゲット…くたびれた座椅子にもたれていた。
俺は…帰ってきたのか?
夢でも…見ていた?
そんな事を思いながら、ふと…尻に手をやると。
…ゴールデンバーが!!!
驚いて足をばたつかせたら、つま先に硬いものが当たった。
なんだと思って机の下をのぞき込むと…赤い本!!!
恐る恐る手を伸ばし、そっと両手で…表紙と裏表紙を挟み、ページを開こうとすると!
パラ…パラ、パラパラっ……
ほんの少し開いた隙間から、金粉が!!!
これは開いたとたんにまたあのとんでもない世界に引きずり込まれる可能性大!!
絶対に…開けては、ならん!!!
はっきり言って、俺はあの世界に何のメリットも感じない。ゴールデンバーがたくさん出てくるのは良いとして、とにかくあの生活環境はありえない。
もしかしたら、ゴールデンの付く言葉をめちゃめちゃ用意して、生活必需品なども準備して挑めばそれなりに快適に暮らせるようになるのかもしれない。だがしかし、たった半日程度でこれほどダメージを負ってしまった訳で…ってちょっと待った、今日何日だ?!あっちとこっちじゃ時間の流れが違うから、もしかしたら浦島太郎的な事になってやしないだろうな…。
慌ててスマホを確認すると、確かに4/25(火)、朝一からじいちゃんの遺品整理をしていた時から、10時間ほど?飛んでいるようだ。
もしかして途中で消えたことになっているのか?おそるおそる父さんにLINEを入れると、どうやら気が付かなかったらしい…。どういう仕組みなんだか??
あれかな、世界を渡っている間は、俺がこの世界には存在していないものと認識されている?という事は、行ったり来たりしようとすると、就職や結婚なんかのイベントがおかしなことになりはしないか?知らぬ間にとんでもない会社で働くことになっていたり、とんでもない女と暮らしていて取り返しのつかないことになるパターンなのでは!!
ダメだ、こんな本は処分するに限る!!
どうせ俺にしか開けられない本なんだ、捨てても大丈夫だろ。
「おじいちゃん、この本、何?」
うららかな午後、俺は訪ねてきた孫に赤い本を差し出され、腰を抜かした。
どうやら…正月にいとこが勢揃いした時にかくれんぼをしていて、押し入れの奥で見つけたらしい。折をうかがい何の本なのか聞こうと思っていたようだ。
……捨てたと思っていたのになあ。結局、捨てなかったんだったかな?どうも記憶が薄いな。もしかして、勝手に戻ってきたのかもしれないぞ。だとしたら、相当厄介な代物なのでは……。
「それは…魔法の本だよ。開けられたら異世界に行くことができるかもね」
「ええー、何それ!!…うーん、あかなーい!!」
一生懸命本をあけようとしている孫を見て、久しぶりにじいちゃんの事を思い出す。
……俺もあの時のじいちゃんと同じ年か。あと15年したら、きっと今日のこのやり取りすら、忘れてしまうんだろうなあ。
「おじいちゃんは、本、開けたことあるの?」
「一回だけね。町の人を救って、サクッと帰ってきたんだよ。おみやげにお宝を一つもらって…」
あのゴールデンバー、意外といい値段になって驚いたんだよなあ。おかげで余裕のある学生生活を送れて、ジムに通って、そこで嫁さんと出会って…。はは、いろんなことが思い出されて、思わず頬が緩んでしまうな。俺は今、あの時のじいちゃんのように…ニヤニヤしているのだろう。
ただ…俺はじいちゃんとは違って、もう異世界に行こうとは思わない。嫁を残して異世界に行っても、何もうれしい事はないからね。今さら便所のない生活はできそうにないし……誰一人知り合いのいない場所で金持ちになってもなあ。
孫も、もしかしたらあの異世界に行くことになるのかもしれない。俺はあの世界と関わろうとせずに逃げ出したけど、ひょっとしたら冒険したり、所帯を持ったりするのかも……。
……いきなり向こうに行って困ってしまわないように、一筆残しておこうかな?
俺が死んだ後、この本を手にするのはおそらく…孫の誰かになると思われる。幸い、今ならまだ、じいちゃんとのやり取りもあの日の記憶も…残っている。一部怪しい部分もあるけど、何もないよりはたぶん、ましなはずだ。
「お父さーん!けんちゃーん!!ご飯できたよー!!」
表紙にメモ書きを貼り付けることを決め、忘れないように赤い本とメモ帳とペンを机の上に置いた。こうしておけば、飯を食ったあと部屋に戻って己のすべき仕事を思い出せるはずだ。……思い出せるよね?
「ほーい!!」
「はーい!」
若干の心配は残るものの…、腹が減っては戦ができぬってね。
ぐうぐうと鳴る腹を抱えて、孫と一緒に食卓へと向かったのだった。
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