タマゴが割れている
ぐしゃっ!!
「あっ…すみません。」
「はあ?!なんだその言い方は!ふざけんな!!人が買ったもんの扱い方を知らんのか!!!」
スーパーのレジの仕事を始めて二週間目。卵パックを積み損ねて…かごの中で倒してしまったところ、予想外に大きな音が出てしまった。お客さんが清算済みかごの中の卵を取り出してみている。
「おい!!割れてるじゃねえか!!替えろ!!」
「は、はい、すみません少々お待ちください…。」
レジに備えているマイクを使って、売り場のスタッフさんを呼び出そうと。
『生鮮担当の方、白たまごひとつ二番レジまで「おい!!どうなってんだこの店!!クソみてえな接客しやがって!」』
マイクを奪われ、店内中に罵声が飛んだ。
…隣のレジの杉浦さんが飛んできて、レジに並ぶお客さんを他のレジに移動させて、レジ休止中の札を置いてくれた。総合サービスカウンターの川本さんが飛んできた。
「お客様、どうされましたか。不手際があったのでしたらお詫び…。」
「ありましたら?!あったんだよ!!すぐに謝罪しろ!!どいつもこいつも…足りねえ奴だな!!」
店長が走ってやってきた。手には白い卵のパックを持っている。
「お客様大変申し訳ございません、こちら交換用の新しい卵でございます。」
「袋に入れて渡せ。こいつに卵触らせると割れるからな!!」
店長は薄手の小さめのレジ袋に卵を入れて、怒るお客さんに手渡した。レジ袋が有料とか言い出したら、もっと騒ぎが大きくなる。何もいわずに、ただお客さんの前で、手を下ろし静かに…待つ。
「おい、お前こいつのレジうちを監視しろ!!こんな使えねえ奴を客の前に出すな!!!」
私は店長の見守る中、レジうちの続きをすることになってしまった。幸い、残りは袋物のお菓子ばかり、普通に会計を終えることができた。
「申し訳ございませんでした、お会計2108円です。」
お客さんはしわくちゃの千円札を二枚私に投げつけ、かごの前の開いてるスペースに財布をひっくり返して小銭を広げた。
「小銭細かいのから108円拾って。」
お客さんのお金を触ることは…あまりよくないと指導されているけれど、それを言ったらこのお客さんはまた激怒してしまうだろう。たまに小銭を見つけられないおばあちゃんの財布の中を一緒に探すことはあるから…、そういう状況をこのお客さんが見たことがあるならば、一言言っただけでまた罵詈雑言が飛んできてしまうに違いない。そんなことを一瞬で考えていたら、店長が108円を拾って、トレイに入れた。私はお金をレジにいれ清算し…レシートを両手でお客さんに渡した。
「ありがとうございました。」
「申し訳ございませんでした。」
私が頭を下げ、店長も頭を下げる。お客さんはなにも言わず、買い物かごを勢いよく持ち上げてサッカー台に向かおうと…。
がしゃ!!ぐしゃっ!!!
お客さんが別のお客さんに勢いよくぶつかった。卵の入った袋が…勢いよくはねたのを、見た。
「おい!!何でこんなところに突っ立ってんだよ!!卵が割れたじゃねえか!!!弁償しろ、謝罪しろ!!」
「ああ?買い物を普通につめてただけなんだが?」
卵をぶつけたお客さんは初老の男性で、卵をぶつけられたお客さんは中年の男性。
年功序列を前面に出して、ぶつけたお客さんはぶつけられたお客さんに怒りをぶつけている。…店長が間に割って入る。
「卵は交換しますので。こちらでお待ち下さい。」
「こいつに弁償させたらいいんだ!!」
「私が弁償する?なぜ?一方的にぶつかってきて、おかしくはないか。」
「突っ立ってた方が悪いんだ!!不愉快だ!!謝罪しろ!!!」
「…そりゃあすみませんでしたね。」
「お客様!!こちらお持ち下さい。」
店長は、卵売り場から持ってきた新しい卵パックを袋につめて初老男性に渡した。
「ふん!!地獄に落ちろ!!」
初老男性はつぶれた卵の入った袋をわざわざ床に投げつけて…帰っていった。
「お客様、申し訳ございません。お怪我とかありませんでしたか?」
「いえ…大変ですね、がんばってください。」
中年男性は店長をねぎらって帰っていった。
私はレジにおいてある雑巾と除菌スプレーを取り出して、派手に飛び散った卵を掃除し始めた。割れた卵を拾い上げようとして、手が震えていることに気が付いた。
「大丈夫?レジ打てそう?無理ならサービスカウンターの川本さんと変わっていいよ、怖かったでしょう。ここは僕がやっておくから。」
「ありがとうございます…。」
レジ、打てるかな。こんなことは初めてで、少し自信が、ない。
「少しだけ、変わって、もらいます。」
「うん、それがいいよ。」
サービスカウンターに向かう私に、いつも買い物に来てくれているおばあちゃんが声をかけてくれた。
「お姉さん大変だったねえ…ひどい人がいたねえ…。」
いつも買い物に来てくれる、奥さんも声をかけてくれた。
「あのね、私あなたのレジ丁寧で好きよ、めげないでね?」
…ああ、まずい、涙が出そう。
「ありがとうございます…。」
二人にお辞儀をして、サービスカウンターに向かう。
「斉藤さん!!大丈夫だった?大変だったね、駆けつけるのが遅れてごめんね?」
「ありがとうございます、ちょっとだけ、レジ変わってもらいなさいって、店長が…。」
優しい言葉をたくさんもらって、不意に一粒、涙がこぼれてしまった。この涙は、恐怖の涙ではなく、感動の涙。
「うん、落ち着くまでここに居て。大丈夫そうなら、またお願いね?」
「はい…。」
サービスカウンターの中で、連結しているアイスのスプーンをばらしていると少しづつ落ち着いてきた。
……私の不手際があったことは確か。
謝って許してもらえると思っていたけれど、許してくれない人もいるって、知った。怒りを正面からぶつけられて、怖かった。すぐに誰かが駆けつけてくれた。すぐに一緒に謝ってくれた。優しさを向けてくれる人がたくさんいた。
前に働いていた店は…何かあったときに、だれも助けてくれなくて。結局辞めてしまったんだった。
この店は、とてもいいお店だ。
……この店は、とてもいい…お店だから。
「うん…大丈夫。」
私はレジに戻っていった。
レジには、さっき私が怒られた原因の卵パックがまだ残っていた。
私の扱いが悪くて割れてしまった卵が、このパックの中にいる。ぱっと見た感じ…割れているようには見えない。よーく見ると、一つ、一本の筋がうっすらと見えた。このひびが、先ほどの大騒動を起こしたのだ。このひびさえ入らなければ、気付くことのなかった、この店の…良さ。
「おねがいしまーす。」
「いらっしゃいませ。」
赤ちゃん連れのお客さんがやってきた。
かごいっぱいのお買い物。ベビーカーの中から、赤ちゃんが手を伸ばしている。おもちゃのついたお菓子が見えるから…これかな?
「テープつけてお渡ししても大丈夫ですか?」
「はい、おねがいします。」
レジに通して、お菓子にテープを張って、赤ちゃんに手渡す。
「はい、どうぞ~!」
「ありがとう、よかったねえ!」
お菓子を渡すと、赤ちゃんはにっこり笑った。
「298円が一点、198円が一点…。」
レジを通すわたしの手は、もう震えてはいなかった。
大丈夫、この店は、大丈夫。
…大丈夫、私は、大丈夫。
「…合計で、3988円です。」
「はーい。」
丁寧に四枚、千円札がトレイに並べられる。
「四千円お預かりいたします。…お返しが12円です。ありがとうございました。」
「はい、ありがとう!」
ベビーカーの赤ちゃんが…私に手を振っている。にっこり笑って手を振り返す。
…大丈夫。
私、笑えてるもの。
「いらっしゃいませー!」
私は元気よく…次のお客様のお会計を始めた。
これくらいやさしい世界になればいいのに……。