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378日ぶりの公式戦。

2024年8月4日。
インディペンデンスリーグ2024【関東】2部Cブロック
上武大学U-22Bvs筑波大学U-22C
あの日の悔しさと決断。約半年間の受験勉強。入学早々の挫折。
色んな事を乗り越えて、約1年ぶりに、公式戦に出場しました。


決断

2023年7月24日
第47回 日本クラブユースサッカー選手権(U-18)大会
湘南ベルマーレU-18vsサンフレッチェ広島U-18

一年前の夏。
僕が「湘南ベルマーレアカデミー」として戦った最後の試合。

結果は1-3。
サンフレッチェ広島U-18のあまりの強さに衝撃を受けた。僕は何も出来ず気づいたら3失点。プレスをかけても中々ボールが取れない。ボールを取ってもすぐに奪い返される。そんな光景をGKとして後ろから眺めていた。

「この差って、なに?」

このまま終わりたくないと思いながらも、心のどこかで、ずっとそう考えていた。

自分と彼らの差はなんなのか。

僕は小中でナショナルトレセンなど色々な選抜に選んでもらえて、当時は同じ代のGKの中でも上の方にいたつもりでいた。
でも、そんなことなかった。

高校になって、怪我をして、プレミアやプリンスで活躍して名を挙げていくGKや知り合いの活躍を僕はリハビリを行いながらただ見ることしかできない時期もあった。
それでも復帰して紆余曲折ありながら、チームメイトの活躍もあってなんとか全国に出る事が出来た。

ここが自分を表現できる最後の場、高校時代で名を挙げるラストチャンスだと思っていた。

でも広島戦も含めて2試合で6失点して、僕の高校時代最初で最後の全国大会はあっけなく終わろうとしていた。

ベルマガ編集部【公式】さんのXより引用。
vsサンフレッチェ広島U-18の1失点目。
ベルマガ編集部【公式】さんのXより引用。
vsJFAアカデミーの3失点目。



「大学でも同じ思いするのかな。」
ふと頭をよぎった。

当時僕はまだ大学が決まっていなかった。他の強豪大学はすでにGKの推薦を決めている時期なので、「このままいけばおそらくそこまで強くない大学に決まるのかな。」だなんて思っていた。
でもそうしたら、きっと強豪の大学と当たった時にまた同じ思いをするんだろう。何も出来ず失点だけして、圧倒されて、またなんとも言えない劣等感や無力感に駆られるんだろう。

そんなの嫌だ。
それだけは嫌だ。

春に筑波大学に練習参加した時のことが、
ずっと頭に残っていた。
当時TOPチームに練習参加させていただけることになって、物凄く高いレベルでプレーさせてもらえた。

当時僕が練習参加した日が
たまたま蹴球部のYouTubeの撮影日でした。

少しでも気を抜いたらやられる。そんな緊張感と、究極に研ぎ澄まされた感覚でサッカーをするのがこれ以上なく楽しかった。

その感覚が忘れられなかった。

クラブユースもあの時と同じ感覚でプレーする事が出来てすごく楽しかった。

でも、僕らは全国では通用しなかった。

もちろん湘南のレベルもとても高かったし、それまでが楽しくなかったわけでは全くない。実際僕らの代は世代別代表を4人も擁していて、関東リーグも優勝した事があって、過去最高に強い代とも言われていた。僕らの代なら全国で上を目指せるって本気で思ってた。
自分たちも強いと思っていたけど、もっと上がいた。

だからこそ楽しかっただけじゃなくて、凄く悔しかった。

この悔しさは、筑波大学で、高いレベルでプレーする事で、自分が成長する事によって晴らす事が出来るのではないか。

いや、それ以外選択肢はないと思った。

クラブユース予選敗退後複数の大学からオファーを頂いた。その中には関東と全国を何度も制覇した事のある大学もあった。僕の実力を認めてくれる人がいると知って、素直にとても嬉しかった。でも僕の意思は変わらなかった。

クラブユースが終わってすぐ、僕は監督に相談した。
「どうしても筑波大学に行きたい。だからベルマーレを辞めたい。」
簡単な決断じゃなかった。監督に辞めることを告げた時は自然と涙が止まらなくなった。ベルマーレは小4の時からずっと僕を育ててくれたから。人生のほぼ半分を過ごしたクラブだったから。

そうして約8年間過ごしたベルマーレを退団した。

ゼロからの受験勉強。

時間がなくてベルマーレにいる時は受験勉強なんて一切しなかった。(でもユースと両立させながら筑波に受かっている人もいるから、時間がなかったは今思えば言い訳なのかもしれない。)

本当にゼロからのスタートだった。

英語は最初の共通テスト模試で大問3か4くらい(英語は大問6まである)で「残り5分です」って言われてめちゃ衝撃を受けた覚えがある。点数は確か39点。全教科そんなレベルだった。

とにかくがむしゃらに勉強した。
朝は早起きして前日やった英単語、英熟語、古文単語を確認。塾が開くタイミングを見計らって自転車を走らせ、塾が開いた瞬間に自習室に入る。5時間強の個別指導の授業を終わらせた後、塾が閉まるまで勉強。昼ごはん中も日本史の動画を見て勉強。塾が閉まったら帰って風呂入って飯食って単語を詰め込んで寝る。夏休みはそんな毎日。

夏休みが終わった後も(今だから言えるけど)学校の授業を共通テストに関係するもの以外はほぼ全て内職。実技対策も忘れずに、週一は高校のサッカー部に参加させてもらった。もう同級生は引退してるからいるのは後輩だけ。それでもサッカー部のみんなは暖かく受け入れてくれた。

共通テストが終わった後は他の私立大学は共通テスト利用だけ出願して二次対策に全振り。小学生の時お世話になっていた柔道の道場にもう一度入れてもらって中学生と一緒に稽古。サッカーでは部活動と並行して、JFC FUTUROにもう一度お世話になった。相模原のグラウンドに向かい中学生と一緒にGK練習。練習が終わった後はコーチに車に乗せてもらって横浜に向かい、JFC FUTUROのトップチームの練習に参加。保体論述は近くの公民館で保健体育の教科書を迷惑にならない程度の声で暗唱してわからなかったところは蛍光ペンで引いて確認してまた暗唱するという脳筋戦法。(子供に結構見られた。今思えば間違いなく不審者笑。)

とりあえずありったけの時間勉強に注いだ。

そうやってなんとか筑波大学に合格した。

思いがけないスタート

結論から言うと、筑波大学に入学して蹴球部のフレッシュマンコースが始まって早々に怪我をした。ただボールを蹴っただけだったけど、夜めちゃくちゃ足首が腫れて、病院で診てもらった結果、足首の靱帯が部分断裂していた。

意味がわからなかった。ただボールを蹴っただけなのに、2ヶ月経っても全く痛みが引かない。ボールを蹴ったら痛いから「やりながら治す」という選択肢も取れなかった。
この怪我がいつ治るのかも当時ははっきりわからなかったし、諸事情あって怪我して最初の1、2ヶ月くらいはリハビリも十分に行えてなかったから、復帰後自分の身体が動くかもわからなかった。

受験のブランクもまだ戻せてないのに、
治るのかすらわからないのに、
治ってからも先が見えない。

とにかく不安だった。周りには言わなかったけど、初めて「もうサッカーを辞めようかな」という思いが頭をよぎった。

最初の2ヶ月間はどれだけ治療しても痛みは引かず、時間だけが過ぎていく。時間が過ぎれば過ぎるほど受験と怪我のブランクを戻す事が難しくなる。しかもボールを蹴っただけで。その事実を中々受け入れられなかった。

正直、こんな状況でポジティブでいられるほど、今の僕は大した人間じゃない。心が折れそうだった、というより折れかけていた。それでも完全に心が折れなかったのは、周りの存在が大きかった。

試験中に半月板を損傷したけどなんとか合格してリハビリを行っている同期や、1年程脳震盪でプレーをしていなかったり、前十字靭帯を断裂してしまったにも関わらず懸命にリハビリを続けている先輩方。

蹴球部だけじゃない。地元に帰れば浪人して志望校を目指したり、教員を目指して奮闘(?)する友達や、悩みながらも体育祭で優勝を目指したり、サッカー部の引退試合を目前にラストスパートをかけている後輩達がいた。
最近Mr.Childrenを聴いて腑に落ちた歌詞がある。

誰も皆 問題を抱えてる
だけど素敵な 明日を願ってる

Mr.Children『HANABI』

多かれ少なかれ大小あれどみんな悩みを抱えてて、それでも前に進もうとしてんだよな。そう思うと心が軽くなった。

そうやって周りの人達の姿を見て、自分で自分を奮い立たせた。幸い最後の1ヶ月で痛みが引いて、怪我から3ヶ月経って無事復帰できた。

374日ぶりの公式戦。

そうして迎えた8月4日。
僕は蹴球部の5軍に相当するC1の試合に出場することになった。
当時の成績は1勝2分8敗で最下位。上手くいっているとは言えない状況だった。
それに相手は当時リーグ三位の上武大学。
正直勝てる見込みはかなり低い。

それでもどうにかして勝ちたかった。チームとしても個人としても。

フレッシュマンコースで、怪我によって同期のみんなとほとんどプレー出来ずに終わった自分としては、同期が多いC1でプレーする事はすごく楽しみだったし、みんなと勝利を喜びあいたかった。

周りのほとんどの人が僕のプレーをしっかり見るのが初めてで、個人としても、筑波に入って最初の公式戦で自分の価値を示して上に上がっていくために無失点勝利を掴み取りたかった。

90分間とにかく勝利のために全力を尽くした。90分集中を続けるのは難しい。何度も気が抜けそうになったけど、その度に自分を奮い立たせて集中させてゴールを守った。何回も叫んで、何回もシュートを止めて、何回もボールを蹴って、ただひたすらゴールを守るために、勝つために全てを懸けた。

筑波大学蹴球部のInstagramより引用。

その結果勝つ事が出来た。終了のホイッスルがなった瞬間、このチームの勝利に貢献できて、クラブユースで全国大会を決めた時くらい嬉しかった。それと同時に、受験や怪我のリハビリをした自分が少し報われた気がした。

僕はGKだから、得点に直接関わる事は難しい。フィールドプレーヤーのみんなも、ベンチにいた人たちもみんな全力で闘ったからこそ点を取れたし、勝利できたと思う。


あの勝利はすごい嬉しかったけど、これで終わりじゃない。正直去年練習参加した時のような動きは8月末になった今でも出来てないように感じるし、そもそもその時のパフォーマンスに戻ったとしてもTOPに入れるかと言われると、そうは思わない。
そのくらいTOPのレベルは高い。
まだまだ先はめちゃくちゃ長い。

だけどこれからも引き続き頑張っていきます。

あの時の悔しさを晴らすために。
とてつもなく高いレベルで、究極に研ぎ澄まされた
感覚でやるサッカーを楽しむために。

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