3か月でサポートしたnote12記事へのファンレター【ミニサポート応援団団員レポート】
「noteは本屋さんみたいだな」と思います。
いろんな人の書いた本が並んでいて、表紙やタイトルに惹かれたものを手に取って読んでみる。良かったら、マガジンに入れて持ち帰ったり、SNSでシェアしたりする。
異なるのは、たいていのものがお金を払わずに読める点と、書き手のひとへの感謝や敬意をバツグンに伝えやすい点。特に後者は、わたし的note最推しポイントです。
もちろん本だって、出版社に手紙を送れば書き手に感謝を伝えられます。でもそれって、やっぱりハードル高い。noteなら、SNSでシェアすればアカウントを紐づけている方には通知が行くし(作家さんにメンションつけるって勇気いるよね…)、コメントも書き込める。そして何より、直接サポートができる。
そう、わたし、noteのサポート機能が大好きなんです。どれぐらい好きかと言うと、cotreeのひらやまさん発信の「ミニサポート応援団」に入団するくらい好き。
積極的に100円からの小さなサポートをしていこうという心意気の団体が、ミニサポート応援団です。
この心意気のもと、いまはひらやまさん含め10人くらいが集まっています。(すごい)
11月に参加してから3か月くらい経ち、サポートしたnoteも溜まってきましたので、サポートとして表すだけでなく、ちょっとそれぞれの書き手さんにお手紙を書きたいと思います。ファンレターです。
1書くことが出来なくなってしまいました いちとせしをりさん
たまらない気持ちになりました。
そんな時、3人はわたしの手をぎゅっと握ってくれました。痙攣し、わたしの手の感覚はなくなっているはずなのに、その手は本当に温かかったです。
あまり良い表現が見つからないのですが、内側で生まれたものをそのままの姿で外側に引きずり出してきたようないちとせさんの文章は、噛み砕いたり他のものと混ぜたりする隙を与えず、そのままするするとわたしの内側に入ってきます。
腑に落ちるとか、納得するとか、そういうものではないのです。いちとせさんの一部が流れ込んでくるような感覚。
文才も、実績もないのに、わたしがこうして毎日書いていることの意味を捉えることは出来ませんでした。それでも今、書いています。
書くしかない、書かずにはいられない。そういう情動が、いちとせさんの中にはあるのだと思いました。その情動は、わたしの中にはありません。
ないことは寂しい気がするけれど、あることはしんどいのかもしれません。
いちとせさんの言葉は、どれも切実で儚くて、そんな表現に閉じ込めてしまうのも勿体ない代物な気がして。
明日も必ず書きます。だからわたしを見ていてください。絶対に。
明日も読みます。だからどうか、いつまでも書いていてください。無理せず、ご自愛しながら。いつまでも、ちゃんと待っていますから。
2カラスとハイエナとコウモリの側の話 櫻本真理さん
“何度も人に背く者は、やがて誰からも信用されなくなる。だが初めに争いを起こした獣と鳥が、その渦中で生き残ろうとした蝙蝠を責めて良いのだろうか”
ウィキペディア - 卑怯なコウモリ
この[教訓]に、わたしはゾワリとしました。自分が獣だった時、蝙蝠に対して懐疑的になったことがあったからです。争いの張本人なことを棚に上げて、何度も態度を翻す蝙蝠に不信感を抱いていました。
ライオンキングを見ながら、ハイエナってやなやつらだな、と嫌った。
でも、本当に汚いのは、ライオンなんだろうか?ハイエナなんだろうか?
「ライオンキング」、わたしも「ハイエナってやなやつらだな」と思いました。ごく自然に。その考え方の愚かさになんて目もくれずに。
彼らも彼らなりの戦略で、なんとか生き残ろうとしているだけなのだ。
生き残るための手段が、その時有利な勢力に身を寄せることや、ルールを破っ弱者を狩ろうとすること、落ちた餌を拾い集めることだった。
そんな彼らに「卑しいなぁ」という目を向けていい理由は、わたしにはありません。
年中快適な寝床と、清潔な洋服、十分な食事を得ることができるわたしには。「今日をどう生き抜くか」なんて課題を持ったことのないわたしには。
暴力や汚さやあざとさは、安全がない場所に生まれる。
暴力や、汚さや、あざとさ。そういうものを目にすると、「嫌だなぁ」なんてつい蓋をしてしまいます。でも、蓋をしても消えません。むしろ、こちら側とあちら側はどんどん隔絶され、傷つくものが増えてしまう。
気高く生きることも格好良くてステキだし、そう在りたいと思うのですが、そう在れない瞬間を、相手を忘れないようにしたいと、そう肝に銘じて生きていこうと思います。何度でも読み返したいnoteのひとつ。
3たすけて 岩代ゆいさん
もう嫌だ。たすけて。
ゆいさんの、叫びのようなnote。「わたしにもこういう苦しみがあったなぁ」という共感に似た感情と、どうしようもなく悲しくなる感情とがありました。虚しいでもつらいでも苦しいでもなく、ただ悲しかった。
苦しくて、苦しくて、情けなくて、苦しくて。そして、ひとりぼっちだった。たくさんの人に愛され、囲まれているのに、私はひとりぼっちだった。
何をと言われても答えられないのだけど、「分かるなぁ」と思ったんです。
目の前に人がいても、世間話をする相手がいても、脳裏に浮かぶ顔があっても、わたしはひとりぼっちだった。どうしよもなく周りからの愛を受け入れられなくて、自ら深淵に沈み込んでいった。
そういう時は、無理に浮かび上がろうとする必要はないのだと思います。ずぶずぶと沈んでいったら、どこかで底に足が着くかもしれない。沈んでいるようで、実は浮かんでいるかもしれない。潜水艦が通りかかるかもしれません。
いつだって、私の手元には薬がある。取り出してはならない薬がある。お守りのように、常にしまってある。苦しいときは、それを眺める。これさえあれば、いつだって。去ることができるから。いつだってできるから、今しなくてもいい。
そう、今じゃなくていい。
こんなふうに誤魔化しながらでも、たまにひとりぼっちじゃなさを感じながらでも、どうにかやり過ごして、そしていつか、明日までいきたいと思えたら。
そんな日が来たらいいなと、切に願います。
4ぼくの自己紹介と「これまで」と「これから」ーかけがえのない、たったひとつの物語ー なかむらさん
まずは、お疲れさま~~~という気持ち。これを文字にして、書いて、まとめて、公開するの、本当に大変だったと思う。もうそれだけで敬意を表したい。本当にお疲れさまでした。
そのような状況が重なっていき、徐々に外に出ることや人に会うことが億劫になり、部屋に引きこもるように。最終的には授業にも行けなくなってしまいました。
特になかむらさんがオランダ留学した頃の話は、共通するものも多くて「あああ……つらかったなぁ……頑張ったなぁ……すごいなぁ……」みたいな気持ちでした。(わたしは一体誰なの)
自分が「当たり前」だと思っていることができないって、すごくつらい。
それこそ学校に通って授業を受けるとか、勉強するとか、本当はとても難しくてエネルギーのいることなのに「当たり前」って思っちゃうんですよねぇ。当たり前なことなんて、ずっとずっと少ないのにね。
特になかむらさんの場合は、言葉の壁もあって、とても大変だったと思います。本当……お疲れさまでした(何回目)。
「ぼくの人生が、ぼくに問いかけていることとは?」
この問いに向き合った結果、なかむらさんの出した言葉たちが、とても好き。これはぜひ記事のほうで読んでいただきたい。(見出し、6番目のところです。)
きっとこの問いに向き合うのはとても貴重で、とても難易度の高いことだと思います。
わたしは多分、まだできていない。
でも、なかむらさんがたくさんの経験を通して、たくさんの価値観を得て、世界を広げて、自分なりの言葉をこうして書いているのを見てたら、なんだか考えたくなりました。
なかむらさんの言葉には、そういう、誰かのキッカケになるような力がある気がします。とてもいいよね。
わたしの人生がわたしに問いかけてるのは、どんなことなんだろうなぁ。
でも、ここに描写しきれない部分、伝えきれない部分もたくさんあるということは知っておいていただけたらと思います。
なかむらさんが今回描写しきれなかったところ、書かないことを選んだところについて、また少しずつでも聞いていけたらいいなぁ。そういうnoteを、これからも読みたいです。
4月からは大きく環境が変わるなかむらさん。頑張れ~~~!!!
5お父さん、ごめんね。優しくできなくて。 岩代ゆいさん
初めて読んだとき、ゆいさんはこのnoteをどんな気持ちで書いているのだろう、と思いを馳せずにはいられませんでした。
自身もたくさんの課題を抱える中で、ご両親のために時間とエネルギーをつかうのは、並大抵ことではないはず。
父の弱りかたが、徐々に早まっている気がするからだろう。もっと優しくしてあげられればいいのに、どうしてもつらく当たってしまう。毎日のことなので、苛ついてしまう。
家族という近さだからこそ、難しい部分もあると思います。
一緒にいるって、同じ空間で呼吸するって、想像する以上に難しい。
遺伝子とか繋がりとか、関係なくなってしまう。
むしろそういう関わりがないほうが、乗り越えやすいのかもしれません。だって、離れられるから。
心の中で父に(ごめんね)とつぶやく。ごめん、優しくできなくて。そんなに簡単なことじゃないんだよ、お父さん。
そこで出てくる言葉が、「ごめんね」なのかと。
胸のあたりがぎゅうっとなりました。
自分の心臓の位置が、皮膚の上からでも分かるような。誰かに鷲掴みされているような。自分で鷲掴みしているような感覚。
介護の現実は厳しい。多くの人にいずれはやってくる。そのとき必要なものは何か。わからない。人による。家庭による。
わたしは、今のところ両親ともに健在で、特にわたしが支える必要はありません。せいぜい力仕事の手伝いをするくらいです。
けれど、両親はもう50歳を超え、わたしが30歳を迎えるより早く父は定年退職をします。いまは二人とも健康だけれど、「いずれ」やって来る日のことを想像すると、なんだか切ないような、落ち着かないような、不安な気持ちになります。
簡単なことじゃない。厳しい。
まだ介護を経験していないわたしでも、それだけは分かります。きっと、分かりきれてはいないけれど。
とにかくわたしがいま言えるのは、「ゆいさん、無理しすぎないで」ということくらい。小さな小さなサポートに、そんな思いを託しました。
6マンガで考える性格特性理論①やる気スイッチ編 櫻本真理さん
シンプルに、めっちゃ面白いですよね。
「軽いテンションで面白く話を聴いていたらいつの間にかめっちゃ本質的なことを言われていて、すんごい勉強になってる」みたいなことが、櫻本さんのnoteではよくあります。
わたしが言うことではありませんが、本当にすごい能力だと思います。尊敬。
性格特性の類型論の一つに1970年代にDavid Merrilという人たちが提唱した「ソーシャル・スタイル」という考え方がある。
感情を抑えるー表現する、主張するー主張しないの軸で、コミュニケーションの特性を4つの類型に分ける。
・感覚派のエクスプレッシブ
・行動派のドライバー
・思考派のアナティカル
・協調派のエミアブル
それぞれのタイプを、漫画のキャラクターやシーンに絡めながら分かりやすく説明してくれます。
エミアブルは、大切な仲間のためなら頑張れる人だ。ドラゴンボールだとトランクス的な優しいキャラクターだが、ワンピースだと例えばウソップ。普段は優しいウソップは、こんな時、自分が痛くても一生懸命仲間を守るために戦う。
わたし自身はエミアブルタイプで、エミアブルに関する解説はすごく納得しました。わたしがウソップにすごく共感してしまうのはこんな背景があったのか……と妙に腹落ちしました。ウソップ、いいやつですよね……。
チーム内で、なんか温度差あるな…?と思ったら、どうか「その人固有のやる気スイッチ、押せてるかな?」と振り返ってみてください。あなたが嬉しいことは相手の嬉しいことではないかもしれない。
これ、マジで忘れないようにしたい。しないといけない。メモった。
実際、エクスプレッシブや他のタイプの解説欄を読んでいると(わたしがエミアブルに全振りしたような性格だからで、中間くらいにいる人は変わるのかもしれませんが)「わかるぅ」ってならないんですよ。
自分目線だけで考えていると、どうしてもうまくいかないことがあります。
そういう時には、自分目線であれこれ考えるのではなくて、「違うスイッチがあるのでは?」「彼/彼女はどこに喜びを見出す?」と問い直したい。そう思えるnoteでした。
続編を待ちわびている……という気持ちでサポートしたのですが、こんな記事も出ましたね。こちらもとても良かった。続編、心待ちにしています。
7【はじめて借りたあの部屋が教えてくれた7つのこと】 ちゃこさん
18歳。ひとつのリビングと、ふたつの部屋。あの2LDKが教えてくれたこと。
こういう、ひとの日常からそのまま生まれたようなnoteを読むのは、いつもちょっとドキドキします。お部屋にお邪魔させてもらうような気持ちです。
【だいじ】忘れられない朝がある
各見出しの後に添えられた「だいじ」がたまらなく好きです。大好き。キュンとします。
わたしは生まれてから今までずっと実家暮らしで、今すぐに出ていくような意思も必要性もない……のですが、こういうのを読むと、ルームシェアや一人暮らし、新しい暮らし方も良いなぁと思います。
そんな彼女が、あの部屋で私にこう言った。「あんたと出会って、この大学に来た意味があった」。
ふと、「彼女」から見たちゃこさんとの日常はどんなものだったんだろう、と考えました。「彼女」の名前も顔も性格も知らないけれど、きっとキラキラとした思い出になったはず。そう思いたくなるかけがえのなさが、このnoteにはありました。
覚えている、駐車場は9番。階段を上がってすぐ、2階の角部屋。窓の鍵が硬いベランダ。白いダイニングテーブル。
おそろいのパジャマ。彼女のお母さんが私のぶんまで買ってくれたやつ。
いや~~、良いものを読ませていただきました。ちゃこさん、ありがとうございます。
このnoteが公開されたのがクリスマスイブ、というのもいいですよねぇ。
8今年の計画を作る10の質問 ヤマシタマサトシさん
めっちゃ良いワークでした。新年に立てた目標に対して、2月に突入した今でも取り組み続けられているのは、人生で初めてです。
例えばね、正月に「今年の目標は...痩せる!」とか書くじゃないですか?でも、なんとなく1年あれば先でやれそうだから、いますぐは何もしなかったり、するとしてもちょっと手を出してすぐやめちゃったりするんですよね。
あぁ…あぁ…って顔を覆いたくなりました。何度もある。というか、それしかない。ないです、はい。ごめんなさい。別に、謝る必要はないんだけど。
このままコンビニとか自宅プリンターでもプリントできるようにA4のPDFも置いておきますね。CC=クリエイティブ・コモンズマークをつけたので、お金取らなければ再配布もOKですよ!みなさんのnoteとかで置いてくれてもいいし、メールで誰かに送ってもOKです。
このnoteが無料で公開されていて、しかもPDFを置いていて、さらに誰かに送ったりnoteに置いたりしてもいいと言う。
そのヤマシタさんの太っ腹さというか、「タメになるものは広く手が届くようにしよう」みたいな心意気(?)は、ただただ頭が下がります。いつか、こんな大人になりたいものです。
9「うつ病」から、私を取り戻す。 kanako yamazakiさん
その変化に、その前から私が糸で支えていたもの達に「名前」がついた。
「抑うつ障害」
「名前」は徐々に私の方にやってきた。
最初は症状という形で身体に。
いろんなもの・ことに名前がつくようになりました。
名前がつけばつくほど、理解しやすく、対応しやすく、説明しやすくなるけれど、そんな名前の便利さが、ふと怖くなる瞬間があります。
ずっとずっと、小さな違和感としてわたしの中に居座っていた「ソレ」が、このnoteを読んでふっと解れたような気がしました。
うつ病の診断をもらってから、私は「うつ病の人」としての反応をもらうことが多くなった。
難しいな、と思います。
例え同じ病気や症状、特性、「名前」を持っていたとしても、それぞれの苦しさの度合いや目指すもの、送りたい人生は異なります。大切なのはその人自身です。
「名前」には、イメージがあります。その名前っぽさ、ぽくなさがあります。
この「イメージ」をわたしは恐れているのだろうな、と思いました。何かの名前がついた相手やわたし自身を、その名前のイメージにそのまま当てはめてしまうことが怖かった。
「かなこちゃんは今、どんな状態だといい状態?」
私はその質問に、答えられなかった。
特に抑うつ障害のような「名前」は、強いパワーとイメージを持っている気がします。
でも本当は、その「名前」を持つ人たちにも、喜びがあり、好きな人がいて、大切なものがあり、日常があります。苦難を乗り越える日は人より多いかもしれないし、本人の目には映っていないかもしれないけれど、確かにあるのです。幸せが、嬉しさが存在するのです。
ある日突然やってきた「うつ病」という名前ではなく、私を主語に話すことができること、そこに私が私として人生を生きていくことの希望が、確かにあった。
どんな「名前」を持ったとしても、いつだって主語は「わたし」であってほしいと思います。自分にも、誰かにも、かなこさんにも。
自分のことを手放さないでほしいのです。
「名前」のイメージに当てはまらない部分を大切にしてほしいのです。
たとえ「名前」との決別がされていなくとも、わたしはわたしであり、あなたはあなたなのだから。
10その一杯とキャラメルソースに、愛を込めて sakuさん
その話をされると、私はいつも照れくさくなってしまうのだけれど、わたしにとっても忘れられない、大切な思い出。
なんだかsakuさんの宝物入れを一緒に覗かせてもらうような気持ちになりました。
こういう心温まる物語をシェアしてくれるのは、本当に嬉しいです。
画面のこちら側で、にやにやと頬の筋肉を緩めているわたしがいます。
「こちら、よろしかったらどうぞ。きっと大丈夫です。絶対に」
sakuさんがこの言葉を発した時、マダムはどんな気持ちだったんだろう。きっと、すごく救われたんだと思います。物語を読み終わる前から、この言葉が目に入った瞬間、確信しました。
だって、知っていたから。マダムと同じ苦しみを、わたしも味わったことがあります。わたしの周りにキャラメルソースをかけてくれる人はいなかったけれど。いたら、どんなに救われてたでしょう。
あなたの言葉に、救われました。冷え切ってズタボロだった、冷凍された心が。暖かいぬるま湯で優しく溶かされていくような、そんな気がしたのです。
スターバックスでキラキラ働くお姉さんだったsakuさんも、この短くない時間の中でいろんな経験をされたでしょう。
自分の心と向き合えなかったり、目の前のちいさな喜びを見つけられなくなったりした瞬間もあったはず。もしかしたらそれは「瞬間」とは言えないほど長い時間だったかもしれません。
でも、スターバックスでキラキラ働いた時間は、たしかにsakuさんの中にあります。マダムとの出会いが、その後のすてきな思い出が、たしかにあるのです。
そういう思い出は、わたしの中にも、他の人の中にもあるのでしょう。その小さな欠片を、これからも大切にしてゆきたいと思います。
11新しい身体、新しい視点。ある日突然、事故で下半身不随になりました。 まる。さん
2018年1月22日、息が白くなる位よく冷えた週明け月曜日の昼過ぎバイクで事故に遭いました。
リアルな記憶は、強いパワーを持っています。ひとの心を突き動かすほどの、大きな力。
『分かりますか?バイク事故に遭ったんですよ』という看護師さんの声、視界を奪う程の眩しいスポットライトで照らされる自分、近付いてくるDrヘリの音。その記憶だけをふと思い出し、状況はある程度察しました。正確に言うと察したつもりになってました、その時は。
淡々とした事実と、シンプルな思いが綴られていくまる。さんのnoteは、わたしの中にしんしんと積もっていきます。積もって、積もって、うまく溶けてくれなくて、気付いたら涙が出ていました。
それでも尚、ただただ積もっていって。泣くことも失礼なような気がするほどでした。
ここで一週間程過ごすうちに、これまで気付かなかった事に気が付き始めました。
気付き始めた瞬間から理解しきるまで、どれほどしんどかったのでしょう。心細かったのでしょう。
まる。さんの口調は淡々としているのに、わたしは淡々と読めませんでした。淡々としているからこそ、だったのでしょうか。
《明日後悔しない様な今日を重ねる》そう意識してこれまで毎日を過ごして来た為、全く悔しくないと言えば嘘になりますが基本的にその点で後悔はしていません。
その口調と同じように、淡々とこれを考えていたとは思いません。
このnoteにどんな気持ちを込めたのか、どんな背景があるのか、当時本当はどうだったのか、それは書き手にしか分かりません。
想像を絶する葛藤や、迷いや、怒りや、ドロドロとしたものがあったのかもしれないし、そんな言葉で表せられるようなものではなかったかもしれません。
それでも、そんなものを感じさせない強さを、光を、このnoteからは強く強く感じました。
どうかどうか、このまま書き続けてほしい。その目から見える景色を、感じたことを、わたしたちに教えてほしい。そう思います。
12アフターピルと彼と私。 ぺぱろにさん
私はゴムなしのセックスが嫌いだ。
どれだけ好きな相手でも、ゴムをしない時点で一気に冷める。
別れへのカウントダウンが始まる。
とてもストレートな話。「分かるなぁ」と思いました。分かる。
親になる覚悟もできていない状態で、自信も持てていない状態で、ソレはできない。できないんだよ。ねぇ。
もう少しだけ、せめて話を聞いてから、なぜアフターピルが欲しいのかを聞いてから、怒ってほしかった。
いずれにせよ、私は怒られる運命なのだけど。
看護師さんは、ぺぱろにさんを怒った。お医者さんは、呆れた。
でもわたしは、ぺぱろにさんを抱きしめたいと思いました。その肩にそっと毛布を掛けたいと、怒りではなく愛情を向けたいと思ったのです。
怖かったはず。悩んだはず。彼の愛情を信じている一方で、言葉という確信がないことが、どうしようもなく不安だったのではないでしょうか。
ぺぱろにさん、よく頑張ったね。よくここに来たねと、そう伝えてくれる人が、そこに一人でもいたらなぁ……。
迫りくる時間。
結局パカってされたい、順番を守りたい、この欲求に勝てずに私は病院に足を運んだ。
ぺぱろにさんは「勝てずに」と書いているけれど、わたしは「勝った」んだと思います。
パカっとしなくてもいい、順番が逆になってもいいという価値観に勝ったから、ちゃんと病院に行けた。ちゃんとアフターピルを手に入れられたんです。
そこは、強く自分を信じてほしい。
わたしは、ぺぱろにさんがその選択をできたことが、自分の気持ちを大切にできたことが、なにより嬉しい。
ギリギリでも、もはや効き目がないかもしれなくても、ぺぱろにさんが自分自身を守るために行動できたことが本当に、本当に嬉しいのです。
だからこれからも、どうか大切にしてください。自分のこと、自分の気持ち、自分の欲求を。
ぺぱろにさんは、何も悪いことをしていないのだから。
サポートが、好きです。
ということで、わたしがこの3か月にサポートした12つのnoteまとめでした。どこかに記録しておきたくて自分のために書いたものですが、気になる作品があったらぜひ読んでみてください。どれも本当に良いnoteです。
1か月に4つ、週に1つ、「サポートしたい!」と思えるほどのnoteに出合えたのが、とてもとても幸せ。まとめながら、なんだかあたたかい気持ちになりました。
これからもミニサポート応援団団員として(というか、純粋にわたしがやりたいのでw)ミニサポートを続けていきます。
ひとつひとつの値段は決して高くないし、コーヒー代くらいにしかならないかもしれませんが、それが次のnoteを書く活力になったら嬉しいです。
ミニサポート応援団の皆さんがサポートしたnoteたちは、↓以下のマガジンにまとめられています。ぜひ。
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TOP画像は、みんフォトよりコタニさんの写真をお借りしました。
小さな気持ちを添えたサポートは、まるで花束のようでもあります。