「自分自身を大切にしていいんだよ」と思える言葉との出会い
わたしは「わたしを大切にすること」がひどく苦手でした。
子どもの頃から自分より他者を優先していた影響か、そもそも個人の性質として持っていたのか、弱音を吐いた途端「れんちゃんはもっと強い人だと思っていたのに」と溜息交じりに言われたのがキッカケか。
わたしの心は、自分を甘やかすことはおろか、少しの休憩や、立ち止まることさえ許しはしませんでした。
そんな凝り固まった心を解してくれたのは、誰かからの言葉でした。
このnoteは、ゆりちさんのnote「自分を大事にする勇気をくれた魔法の言葉。」の感想ノート。
「もっと自分のを大事にしたほうがいいよ」
ほんとに大丈夫?
ゆりちゃんは、もっと自分の体を大事にしたほうがいいよ〜
何気ない言葉だろうが、
私はこの、マネージャーの先輩がくれた言葉を
私はいつまでも、忘れない。
ゆりちさんのnoteより
「もっと自分の体を大事にしたほうがいいよ」
こういう言葉をストレートに投げてくれる人は、貴重な存在です。頑張ることが正しいとされ、自己犠牲が美徳とされることさえある世の中で、「体を大事にしたほうがいいよ」なんてなかなか言ってもらえないもの。
そういう人が一人いるのといないのとでは、「あぁ、休みたい」と思った時の心持が全然違います。
たとえ自分自身が「休んでるんじゃない!!」と心の中で声を張り上げても、心に残った誰かの言葉が、その声を静めてくれる。「休んで大丈夫だよ」と、自分以外の誰かが言ってくれる。だから、休める。
本当は誰から何を言われるでもなく休んでいいんだけどね。
不器用なわたしたちは、自分自身で「休む」という選択ができない。自分の体を大切にできない。自分の心を蔑ろにしてしまう。
そういうとき、わたしにストップをかけてくれるのは、誰かからの言葉なんです。
次はわたしも、声をかけられるように
少しずつだけれど、上手に休みを取れるようになってきたこの頃。あらためて周りを見渡すと、かつてのわたしと同じような「自分で自分にストップをかけられない人」がたくさんいました。
休んだっていいんだよ。
もっと、自分を大切に。
次は、わたしが声をかけられるようになりたい。
誰かの心が悲鳴を上げそうになったとき、「大丈夫だよ」と届けたい。
そんなふうに、思っています。
別に今だって、休むのが得意なわけじゃありません。
だいぶ軽くなったけれど、無意識に休むのを忘れて無理しちゃうときはあります。
だからこそ、自分から自分へも、伝えていきたい。
たまにはゆっくり休んで。
今日は早めに、布団に入ろう。
***
takaren advent note 82日目
cotree advent note のノートを読んでは感想を書き、読んでは感想を書いています。
今回のノート。ゆりちさんのノートはいつもやさしい。