そのひとが幸せを求めることを、どうして止められる?
「実話から生まれた」
この文言に、ただただ弱い。だって、実話はたいていハッピーエンドになってくれないから。
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ゲイバーの歌手で同性愛者のルディ。その恋人で・ポール。そしてダウン症の少年・マルコ。
映画『チョコレートドーナツ』に登場する三人は、お互いにお互いを愛し合い、家族になろうとします。
けれど、時代が、世間が、それを許さない。
この時代、同性愛者はいわゆる“異常”なモノとしての扱いを受けていました。ポールはゲイバーに通いながらも職場では同性愛者であることを隠していたし、ルディのことも従兄だと説明しています。
そしてマルコの「ダウン症」という特性も、少なくともひろく理解を得られるようなものではありませんでした。
“私は守りたいだけです
制度の隙間からこぼれ落ちる
罪のない子供を”
差別。偏見。醜さ。世界の狭さ。
そういうものが、ありありと伝わってきます。わたしが生きるこの時代と隔絶されたものではない、この世界にある話なのだという現実味を帯びながら。
ハッピーエンドと、チョコレートドーナツが好き
純朴な少年は、世界から見放された。
売れないシンガーは、世界から拒絶された。
鎧をまとった検事は、真実を口にできないでいる。
彼らはただ家に帰りたいだけなのに。三人で、同じ家に帰り、チョコレートドーナツを食べて、共に眠りたいだけなのに。
どうしてそれの、邪魔をする??
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この映画の日本語版キャッチコピーは
僕たちは忘れない。ぽっかりと空いた心の穴が愛で満たされた日々―。
です。
1970年代、ニューヨークはブルックリンで起きた“ゲイの男性が育児放棄をされた障害児を育てた”という実話に着想を得て、本作は制作されました。アメリカでは大ヒットだったのにもかかわらず、日本公開時、上映館はたったの1館でした。
ゲイカップルとダウン症の孤児の話。たしかにそれは、大衆受けしないかもしれません。LGBTQ等への理解が進んでいるとは言い難いこの国では、受け入れられるのにすこし時間のかかる作品だと思います。
でもこれは、遠い遠い、別の世界での出来事ではありません。だって彼らは、わたしたちと同じだから。
愛するひとの幸せを願っているだけだから。
ただそれだけのことが、特性や生まれ持ったもの、育った環境によって、とんでもなく難しいことになってしまう。
予告編では“魂を揺さぶる感動作”なんていうけれど、これはそんなに優しい映画ではありません。
あなたの魂を掴んで離さない、とてつもなく強く、そして脆い物語です。
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映画をよく観ます。本もドラマも好きだけど、やっぱり一番は映画だなぁと、映画を観るたびに思います。
何本も観ていくと、たまに「これは、人に薦めないと!もったいない!」と思う作品に出合います。
そしてその中にほんの少し、「たまらなく良い。良い……。でも、ひとに薦めるのは、なぁ……」と思うものがあります。
「ちょっと映画観たいんだけどさ、最近でいいの、あった?」
そう何人かで話している時、必ず頭には浮かぶのに、絶対に口にしないタイトル。
だって、きっとあなたの中にズンと重い何かを残してしまうから。
ただの娯楽として消費するには、あまりに惜しい作品だから。
それでも良い作品には違いないので、ここにそっと置いておくことにしました。
気が向いたら、観てみてもいいかもしれない。できれば、元気なときがお薦めです。
それでは、また。