男に生まれたかった…っていう話
前半はただ不愉快な話。
駅に行くまで1つ横断歩道がある。
そこで信号待ちとなった。
電柱の奥に杖をついたじいさんがいた。
彼はコソコソ電柱に隠れてなにかしている。
コソコソ……横断歩道なので目の前は車道。日曜の午後3時。私に注意しながらそこで彼は用を足していたわけだ。
いや……用を足していたのかも定かではない。運転していた人から恐らく丸見えだったと思う。
私に注意して電柱に隠れてただけだから。
高齢福祉に身を置いてたから、ある程度寛容な方だと思う。
「足を痛めていてトイレまで行くには我慢出来ないのだ」と思った。
でも、正直その人に杖は不要だった。
私に笑いながらその人は去って行った。
おじいさんの「性」を見せつけられたことに対する怒りと恐怖を感じた。
なぜこんなにもここ(東京で?日本で?わからないけど)で「女性」と見られることはこんなにも不快な気持ちにさせられるのだろう。
非常に不快で気持ちが悪い。バカにされているとも感じる。
恐怖もある。恐怖もあるのだが、
「好きで女に生まれたわけではない」という感情なってしまうことだ。
誰にぶつけることもないし、性別で迷いがあるわけではない。
私は自分の性別を女性であることを受け入れている。
しかし、できるなら男性で生まれたかった。男性が良かった。
性転換をしようという程強烈に思ってはいない。手術をする程に今の体を不適合だとも感じてはいない。
なんだろうな。女性であるということをまるで強要されるような空間…このおじいさんに関しては強要ではなく犯罪だろう。
「女なんだから」「若いんだから」(前記事参照)
と発言している人はもう、ナンセンスじゃないのか?
捉われたくない。定められてしまいたくない。なんと表現するのかは未だに自分の中の答えは見つかっていない。
これから見つかるかはわからないが、これからも悩んでいくのだと思う。
何故だかひどくそういったことに敏感だ。
しかし、そう言いながらも私は一緒にいてくれるパートナーは大事だし結婚したいと思うのだろう。そして将来は子供を授かりたいとも思うのだ。
女性であることは受け入れているけど好きではない。それを認知しているのにこの感覚(同世代の子の(適齢期という嫌な言葉)で結婚を焦る感情)がとても不思議だったりする。
男でも出産が可能だと言うならば、ぜひしてほしい。
仮に私が男だったら、結婚に焦ったりしない。結局周りの目が気になり、流され、「女性だから」というのが染みこんでいると自覚するのだ。
マジでこれ何の話だ・・・