見出し画像

「知りたいのです、愛してるを」という話

2021/04/18

いつも振られている。

「(相手が)酷かったなあ…」と思う日もあるし、「それなりに大切にしてくれていたのかな」と思う日もある。未だにどっちと言えない。

一時期は、全て相手のせいにしてしないと息をするのも苦しくなるほどに自分を責め続けた時間もあった。

嫌い!と拒絶したままで居られたら楽だが、一度は執着してしまったからか、「過去の人達」と頭の中で付き合っていけばいいのか未だによくわかっていない。

違う世界の人(価値観の違い)と思うことにしたけれど、いつだって「あの時私がこうしていれば」「あんなこと言わなければ」という、どこにもぶつけようのない後悔で自分を責めることは今もよくある。昔より少し減った。

まだ、ある。

相手にしてしまった態度や行動を反省しても、もうチャンスはなくその人に不快な思いをさせた自分が許せない。今はもう、そんなことしないのに、、、といくら悔しがっても、もうその人に何かをする機会がなくただ、ずっと頭の中でぐるぐると渦巻いてしまっている。

読んでいて不快に思われる人もいるだろう

きっと自己肯定感が低いのだろう。

ずっと自分に対して怒っている(認められない)ことがどうやらあるらしい。

「らしい」と濁すのは、「出来ない」というのを受け入れてしまうからだと思う。それが多分、怖い。何者でもないくせに、何者かでありたいと願っている。


困っている人を見ると「助けたい」と思う。自分の出来る範囲で と思っているのに、自分にもできないことが生じて、無力であることを思わされると悔しくなる。

できるうようになるために、努力もしたと言える。ちゃんと勉強して、経験も積んだ。それでも、出来ないことはいくらでも出てくる。なんでこんなに出来ない、出来ない自分が悪いと自分を責め続ける。

それが、良いように(?)作用した結果、努力しているのだと思う。でも、私が求めていることは非常に高いようだ。世界中の人が悲しくならないための活動をしたいらしい。。。万能の神になりたいのか。世界中の悲しみは自分のせいだとも言いたいのか。

なにかアイテムを獲得しても新たな壁にぶつかるたびに悔しくなり、自分を責める。

良いように言い換えれば向上心がある。

しかし、理想が高すぎて、完璧主義なのだろうか、高く求めすぎている。


浮気相手にされていた人にすら「ちゃんと事前に確認しなかった自分が悪い」とすら考える。

いや、そうじゃない。言わなかった相手がおかしかった。


その後、「こんな人に会いたい」とよく口に出していた。すると、本当に偶然にも現れた。一目見てベタな表現だが雷が落ちた。

最初は、なにもかもが嬉しくて幸せだった。でも、彼も私も変化していくなかで、色んなことが合わなくなっていったし、何より彼と一緒にいる自分が大嫌いになっていた。彼は愛の表現が巧みでそれに完全にあぐらをかいていた、わたしはただ、怒ってほしかった。

「別れてほしい」と言われたときから実際、何度も何度も自分の中で終わりにしようと思っていても、どうにも決着がつかず、やはり後悔し続けている。

愛される価値がないのだなと思った。

自分自身に価値がないと思い、とにかくそれから苦しい日が続く。

何を目的に生きるのか、自分の価値はなんなのか、愛していた人から拒絶された自分を誰かから認められたくて、誰かに虚無でいいから存在を求めてほしかった。

どうしようもない元彼への執着。それを感情的には「寂しい」と感じて1人でいるとおかしくなりそうだったからとにかく色んな人と会った。やさしいのは瞬間だけ。余計に傷つきボロボロになった。


そこで会った誰からも大事になんかされなかった。

当たり前なんだけど。



相手から大事にされない自分を大事にできなかった。


短いか長いか分からないけどそういう期間があって、既に自分と向き合うというか、問いかけることが出来ない状態にまでなった。小さなことも判断かつかず、涙が出てくる。自分でもなんで泣いているのかわからない。煙草だけが生きがいみたいな時期だった。日本にドラッグが流通していなくよかった。

考えが止まらないのは、ネガティブなことに関してで、正しいというか、ポジティブな向き合い方はしんどすぎた。

だから、一切の負であると認めたものを全て捨てた。写真の一部だったり、洋服だったり、文集的やノートだったり、目に入って悲しくなるものは全て捨てた。

少し軽くなった。そのころの記憶はほとんどない。思い出そうとしてもごそっとそのころは思い出せなくなってる。

逆に忘れたいと思うことは何回も思い出してしまい、かえって忘れられなくなった。元カレと過ごした楽しかったことより、嫌なことばかり思い出しては自分を責めたのでそちらの方が記憶として残ってしまった。




先日遠距離の彼に「もう好きじゃなくなった」と言われた。わざわざ新幹線でこちらまで出向いて言いに来た。

瞬間的に「ああ、また一人になるんだ」と思った。

その寂しさだけだった。別に最初から彼のことは好きではなかった。ただ、自分が一人でいたくなかったから、「付き合う?」って聞いたら「うん」って返事をしてくれたから。遠距離でもいいと言ったのは彼だった。


遠距離の彼には本当に申し訳ないが、「嫌いじゃなくて、60%くらい好きだったら一緒にいられる」と考えていた。もう本気で誰かを好きになったりしない、傷つきたくないし、無理なんじゃないかな


結局一人だとおかしくなりそう(過去からの学び)だったのでカウンセリングを受けた。そこでズバリ言われた。「本当の愛を探しているんでしょ」と。

ハッとした。気付かなかったけど、どうやら私は本当の愛を探してるらしい。もやもやが言葉として現れた瞬間だった。何かを求めているけど、何を求めているのか自分で自覚できていなかった。そうか、「本当の愛」

まるでヴァイオレット・エヴァ―ガーデンだ。「知りたいのです、愛してるを」

言葉で表現できていなかっただけで、ずっと探している。もちろん、見つかったものもある、でも、まだ不十分なのだと思う。それともやはり「取るに足らない」という満足感を味わえずに理想を高めているだけなのかもしれない。


カウンセリングの人は本の宣伝文句のように続けた。「自分を愛して。そしたら本当の愛がわかるから」と。


まだ、探している途中

2021/04/18

いいなと思ったら応援しよう!