咲き散らかるセイヨウフジバカマ
車で行けば5分ほどの距離なのに、何ヶ月も実家に顔を出さないことがある。
両親も年をとってきたので、時々顔を見に行かないといけないなと思いつつ、日々の雑事にかまけて、後回しになってしまう。
やってもやっても雑用が終わらない。
だから、たまに両親から用事があって呼びだされると、少しほっとした気分で実家に向かう。
今回は、こどもに誕生日プレゼントをことづけたいということだった。
実家に寄ったついでに、庭の花を撮らせてもらうことにした。
実家は一軒家で、少しばかりの庭がある。
「絵の題材にするから、庭の花の写真を撮らせてよ」
そう頼むと、
「へー、また今度描いたのを見せてね」
と、母が言う。
そういえば、親に絵を見せるってのは思いつかなかったな、と思いつつ、
「じゃあ、またもってくるよ」
と答える。
親に承認を求めてないってことは、親離れは出来てるのだろう。
両親が若い頃は、あれこれ手入れされていた庭も、寄る年波には勝てないのか、手入れもあまりされてないみたいで、庭も少し寂しい感じになっていた。
庭の奥の隣家との垣根のあたりには、紫の小さな小花が一直線に咲く宿根サルビアが野放図に育ち、咲き散らかっている。
庭の手前には、これまた薄紫の細い細い糸のような花びらを、踊り舞うがごとくに四方へ放ち、次々と花を咲かせている植物が植えられている。
「これは何の花?」
と、聞くと、
「さあ知らない。近所の○○さんに聞いてみようか」
と返事が返ってくる。ちなみに、近所の○○さんというのは、多分花の名前をよく知ってる人のことだろう。
「いやいや、いいよ。わざわざ」
そのままご近所さん宅に行きそうな勢いだったので、慌てて止めた。
「自分で調べるよ」
自宅へ帰って、ネットで調べると、多分「セイヨウフジバカマ」という花らしい、とわかった。
なんでも途中で花の分類が変わったとか、変わらないとか。
昨日まで、君は○○だから、と言われていたのに、今日から君は△△だから、と言われて、人間ならアイデンティティーの危機だと思った。
いや、結局、世界なんて、そんな風に、立ち位置が変われば、モノの見方なんて、瞬間的に180度変わってしまうんだろう。
そんなわたしの思いなんて知らないその花は、花びらをなんの規則性もなく咲き散らかして、振り乱して、そのフリーダムさをちょっとうらやましいと思ったのだった。