見出し画像

絵との対話とソーシャル離れ

最近、一つの絵にかける時間が前より長くなった。

前は、描いていて、何かがおかしいけど、どこがおかしくて、何をどうしたらいいのかわからなかった。

あと、そもそもおかしいこと自体がわからなかった。

だから、描くのが速かった。

今は、前よりも、おかしいところ、足りないところを自分で見つけられるようになった。

絵の中の微かな違和感。

その違和感の原因をさぐるために、絵をあっちから見たり、こっちから見たり、上下逆さまから見たりするために、机の周りをうろちょろして、首をひねっていることが多くなった。

ただ、描いているのが透明水彩なので、失敗すると、後戻りができない。

失敗に気づいた時には、ああ、やらかしちまったと、呆然とするしかない。

でも、絵は完成させないと、経験値がたまらないので、とりあえずは完成させる。

そのあと、どうしても納得できない時は、時間を置いてもう一回描くし、そのモチーフを描くのに飽きてしまっていたら、無理して描かない。

遠い未来にまた描きたくなることもあるかもしれないし。

最近は、別名義でも絵を描いているので、現在の一連のソーシャルには流してない絵も多い。

今のところ、公に案内する予定もないけれど、わたしの絵とご縁がある方であれば、きっとまたどこかで繋がることができるでしょう。

ソーシャルに流す絵を減らしたら、絵と丁寧に向き合う時間が増えた気がする。

ソーシャルに投稿しようと思うと、見てもらえる投稿時間とかも気になる。どうしても気が急いてしまう。毎日投稿しないと、アクセスが減るのではないかと気になる。ネットを中心に絵を描く時間が回る。

だから、ネット投稿しない絵を描くのは、マイナスになるかもしれないかな、と最初は思っていたけど、割とそうでもなかった。

この絵は投稿しないと決めれば、ネットでの評価にやきもきすることもない。納得いくまで、絵と対話する。

穏やかに時間が流れていく。取り戻した時間。

いつもネットにばかりいると、ネットがすべてのような気がするけれど、自分が我慢できるかどうかは別として、もし、今ネットからわたしが消えても多分そんなに誰も困らないし、実は自分も困らなかったりするのかもしれない。

最近、なんだかとてもネットが窮屈だからそう思うのかな。前はネットの可能性ってすごいな、って思ってたのに。今でもすごいことはすごいんだけど。

ああ、今日はなんだかとりとめもない。

わたしにしては、今日はなんだか後ろ向きだ。

まあ、そんな日もあるよね。

いいなと思ったら応援しよう!

たからにゃ
いつも応援ありがとうございます。 サポート大歓迎です。