チョコレートvsチョコレート
普段あまり行くことができなさそうな印象のイスラム圏に、
友人を頼りに行くことができました。
イスラムの世界は外側から見ていると、わからないことが多く
ぼんやりしてしまって、あまり深く理解できていないのが
実情ではないでしょうか?
紛争が絶えないのも、女性の問題についても
外国人の目線だと深く感じることは難しいのかもしれません。
パキスタンの首都、イスラマバードには現地を案内してくれる日本語のできるガイドさんがいます。彼のパワフルな交渉に助けられて、いろいろな場所を訪れることができました。
その中の一つ、パキスタン南部のスラム、ムシャラフに住むKrishnaの大好きなものを尋ねると、「マンゴー」という答えが返ってきました。マンゴーはある?と聞くと、ないと答えたので私はそれは困ったと思い、持っているものの中から教えてといいました。彼は、では「クリケット」と言ってラケットを持ってきてくれました。私はまだその時、自分の間違いに気が付きませんでした。
次のおうちに行った時、とても陽気なfunny boyのShamoomがいました。
彼に聞いてみると、今度は「チョコレート」と言いました。
??その時、初めて気が付きました。それは過去の記憶によるもので、
持ってはいないけど、また食べたいなぁと思ったもの。忘れられない思い出のようなものだったのに、私は先程のマンゴーの時にはそれを否定してしまったということに気がついたのです。ふと寝転がった瞬間に、シャッターを切りました。なぜカメラを見つめたのか、わかりません。大人びた表情にちょっとドキドキしながら、撮影をしていると、しばらくして、最初のfunny boyに戻りました。
Shamoomは学校に行っていません。将来は軍隊に入りたいと言いました。
周りに住む大人たちが、軍隊に行けば学校のように
教育が受けられるからだと教えてくれました。
後から写真を見返しながら、私はもう一人、「チョコレート」と言った子を思い出していました。パリのアパルトマンに住むCarlaは、毎日「好き」が変わると言います。その日は「チョコレート」でした。
綺麗に並んだチョコレートを無心にほおばりながら、その時も、じっとただカメラを見つめていました。
「チョコレート」は同じでも、内側の隠された意味は全く別のものです。
二人の決して交わらない視線が、この世界の格差というものの象徴に思われてなりません。