自己紹介、たからばこ、です。
こんにちは、たからばこ、です。
生い立ち紹介をしたいと思います。
生まれ
生まれたのは奈良県の田舎。
高校までは奈良県の公立の学校に通っていました。
高校時代
高校で英語コースがあり、勉強の科目では英語が得意な方でした。
部活はバスケ部のマネージャー。初めてのボーイフレンドにも出会えて、楽しい思い出しかない。
大学時代
英語を勉強したいなというふんわりとした意向で、外国語大学の英米語学科に通っていました。外国語大学ということで、みんなとても自由で活動の幅が広くてとても刺激的な日々でした。結構大人しい性格だと自分では思っていましたが、環境に触発された部分が多く、内閣府国際交流事業「世界青年の船」に乗って楽しく国際交流したり、突然アフリカに旅行したり、ボランティアしに行ったり、バイト代を貯めては海外旅行に行くなど、活動の幅がぐーんと広がっていました。色々悩みはあったものの、これまた楽しい時代でした。
社会人なりたて(2年)
社会人になって最初に働いたのは某大手機械メーカーのグループ会社。THE日本社会、THE年功序列、THEルール順守&しきたり多し…大学時代に自由にのびのび、人と違うことで価値を見出していた環境とは打って変わって、何か一つのレールが敷かれていて、それを着実に歩き、誠実に尽くすことが求められる世界に放り出された気分。華々しい新入社員イメージとは裏腹に途方に暮れ、わりと毎日ブルーでした。同期や先輩と遊ぶのは楽しかったけど、何かお腹の中にドーンと重石を抱えているような…そこで、ふと思ったのです。もう海外に出たい!と。
ケニア時代(2年)
そこで大学時代に知っていた「在外公館派遣員制度」と「青年海外協力隊」を受験し、ご縁があった「在外公館派遣員制度」を利用してアフリカのケニアにある日本国大使館で2年間在外勤務することになったのです。もうケニア行きが決定してからは、お腹の中の重石が取れ、心が軽ーくなったのを覚えています。背中に羽って本当に生えるんだ!(いや生えない!)、とも思いました。そして、ケニアの首都ナイロビでの2年間、それはそれはもうエンジョイしました。大変なこと辛いこともあったけど、周りの皆が個性的で考えが自由でそれを尊重していて…そんな環境が心地よく自分のありのままを愛せていたような空間でした。
食品メーカー時代(11年)
マラソンやら通訳学校やら
2年の任期が終わり、しばしプー太郎。とある食品メーカーと出会い、正社員で再就職。が、しかし、ここでまた閉鎖的な空間に閉じ込められたような気分に(あれ、なんかまた同じこと感じてる…笑)…その時は何か他に夢中になりたい!と思い、会社は定時ダッシュでマラソンに励み、なぜか夜間の通訳学校に通うという生活に。マラソンの友達にも恵まれ、フルマラソンやハーフなどあちこち出かけてゆきました。閉鎖的な空間で自分の個性を見失いそうになっていたけれど、マラソンの世界で生き生きできていたように思います。また、英語力の衰えが怖かったけれど、通訳学校に通うことで安心を得ていたような。何やら必死で迷いを消そうとしていたような。
タイ時代
再就職から2年が過ぎようとしていた時、やはり会社辞めて海外出たい!(あれ、なんかまた同じこと考えてる…笑)と思っていました。するとその時、なんと会社側から「タイのバンコクに新しい事務所を作る。バンコク赴任とかどう思う?」とオファー。願ってもないチャンス、当時日本でお付き合いしていた彼(現在の夫)の顔がよぎることなく「タイ、行きたいです!」と即OKの返事をしました。何やら入社の面接のときの常務が「なんか前にケニアかどっかアフリカに行ってた子おったような。その子どう?」と提案してくれたらしいです。思い出してくれてありがとう!常務!タイのバンコクでの生活は仕事もプライベートもとても充実していました。離れて暮らす彼と会えないのは寂しかったですが、タイと日本を行き来して、その度に旅行して、とても満足のいく時間を過ごしていました。このまましばらくこういう生活が続くんだろうな…と思った矢先、突然プロポーズされました。結婚を決意し、プーケットで結婚式を挙げ、しばらく遠距離婚を続けていました。が、ある日妊娠していることに気が付きました。会社との相談の結果、私は日本に帰国することに…
第一子の妊娠と産休育休&復職
妊娠7か月くらいの時にタイから日本に帰国。産休と育休までは日本の本社で勤務することに。突然色々なことが起こって、気持ちがついていかないことと、妊娠特有の経験したことのない身体の辛さ(つわりやお腹が大きくなること、貧血など)が重なり、不安定な日々が続いていました。が、なんとか無事出産。初めての育児で奮闘しながらも、育休を終えて復職しました。ワーママデビューってやつですね。いやー、忙しかった。もう記憶が…ないわい!!
第二子の妊娠と産休・育休
2年の復職を終えて、再び第2子の産休・育休に入りました。二人目ということもあり、気持ちの余裕も出てきて、長男の扱いにはてこずったものの、一時保育やベビーシッターサービス、シルバー人材センターさんのサービスなどを利用して、なかなか良いお休みを過ごしていました。突然のコロナ禍にも突入しました。コロナとのお付き合いも慣れてきた頃、いよいよ復職。
復職
無事に復帰し、忙しい毎日に翻弄されていました。仕事もやることいっぱい、家のことも子どものこともやることいっぱい。いっぱいだったけど、そんな中で夫婦協力してなんとかやりくりしていました。が、そんな日々が1年過ぎようとしてきたとき、ふと閉鎖的な空間に閉ざされているような重たーい感情が再び芽生えたのです…(え、また??笑)またも自分の前にレールが引かれていて、その上を歩いていかないといけないようなプレッシャー。所属していた部署はアジアのマーケティングの部署だったので、将来海外出張したり、はたまた駐在したりという機会は無きにしも非ず、でしたが、まだまだ子ども達は小さいし、海外出張や駐在なんてとんだ先のことだなと思っていました。何より生活のオペレーションを回すことで精一杯。そんな野望を持つことすらできなくなっていました。このまま精一杯の毎日でいいのかな。自分のやりたいことって何かを見つめる時間も無く、過ぎていく日に焦りも覚えました。
退職
なんとか自分を奮い立たせてみたものの、やはり自分の中の重石は取れず、「会社を辞めて新しいこと(もちろんはっきりと決まってはいません)にチャレンジしてみたい」と思った時、もう私の気持ちは固まっていました。夫からの理解も得られ、11年務めた会社を退職しました。
たからばこ探し中(現在)
心から楽しいと思えることをやっていこう!心がうごくことをやっていこう!という気持ちで日々暮らしています。どんな自分になるのかワクワクドキドキ。
ありがとう。
たからばこ、