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祖母の葬式
私は生涯にわたってロマンチストであった。
それゆえに思い出は私にとっての桃源郷で、それに住まう人々は絶対的な存在で、発する言葉はバイブルだった。これを守ることこそ私の人生なのだと常に使命感があった。
しかし思い出は可逆性を持つ。生きる者はその存在そのものがそれを汚し続け、死にゆく者は私からそれを奪い極楽浄土へ向かう。私は記憶を貪る野獣と盗人に怯える生活を常に過ごしてきた。
そのストレスが自律神経失調症や鬱病として私の身体に顕れ始め、心にも致死毒として蝕み──私の命日は今年の四月一日。そんな予感が、予言が呪詛のように頭の中に響いていた。
私への呪いを明確に認知したのは祖母の死だった。
晴れて大学二年生となった私は、夏休み中、馬の世話と自動車の免許取得に追われ疲弊していた。しかしコロナ禍という忌まわしき状況下でも、これから起こるであろう新しき出来事に期待を馳せていた。我が人生という本のページが埋まっていく高揚感。ただ楽しかった。そんな日々を過ごしていると、父からLINEのメッセージがあった。
「ばあちゃん、ダメだった」
それだけであった。
その頃、母方の祖母は脳梗塞で失語症となり施設で介護されていた。一方父方の祖母は胃癌がステージⅢまで進行したとはいうものの、切除に成功し良く寝る以外には元気であった。その姿を昨年帰省した時に見て私は歓喜した。
二人とも容態は悪い。だがより不健康なのは母方の方だ。心が死んだのであれば身体も死ぬ日はそう遠くないだろうと覚悟していた。
ショッキングな出来事といえど、予想していたことであれば多少和らぐものだ。メッセージが届いた時、私は帰省するとの旨を淡々と伝えたに過ぎない。
とにかく、目の前のことを全て中断し、急いで故郷へ向かうこととなった。クローゼットからキャリーバッグへ衣服を詰め込み、リュックにも目の前のものをギュウギュウと押し込み、乱雑な部屋を後にして家から出た。
空港でもお土産もひったくるように購入した。覚悟していたこととはいえ、気は動転していたのだ。私は近親の死を初めて体験したのだから。
空港に降り立つと、父が車で迎えに来ていた。顔がマスクで覆われていて表情を読み取りかねるが、人が一人死んだというのにあっけらかんとしていた。ただ今日会いたくて会いに来たと我儘を通したとしても同じような、取り繕う様子も見せず私のことを見るや否や、
「おかえり」
といつものように言った。思わずそれに挨拶を返して助手席に乗った。車内にはエンジン音が響く。まるで車も私に向かって『おかえり』と言っているかのようだった。
新千歳空港から故郷まで二時間程度かかる。故郷には個人商店のような電気屋か婦人用の服屋ぐらいしかないため、まともな商品を求めに買い物するには長時間この車を使わなければならなかった。その時ほぼ家族全員連れ回すのだから、言うなれば車は第二の我が家だ。
運転中とはいえ、父はくつろいでいるように見えた。しかしそれが仮初であって、ただ普段と変わらぬ様子として接しているにすぎないようならば、それに応えるというものが親孝行というものだろう。こんなふうに近況を報告していた。
「今、お馬さんの世話をして乗ったり車の免許取りに教習所行ったりしてるんだ。だからアクセルとブレーキがわからなくなって、すごいヘンな体験してるんだよね」
「……そうかい」
「かわいいお馬さんの顔見ていると教習所の車もかわいく思えてくるんだ。世話しなきゃ! って」
「ふうん……」
たわいのない話だ。父が朗らかに笑えど、それほど反応しない。
別に会話が弾むことを期待しているわけではない。私がおしゃべりなところは祖母から受け継いだものなのだ。恥じるべきことでもない。
運転席の父の姿を目を見て話す習慣のついでに見てみた。ドクロマークが描かれた木綿の服は常日頃から見慣れていたものだ。ダサいといつもは言ってはいたものの、こういう時は却って安心する。近親の死という非日常が単なる日常の延長線上にあるかのように思えるからだ。
ただ、ここまで肩を落として運転していただろうか。思わず私の方から言葉が出た。
「ばあちゃん、亡くなる前は元気だったの?」
「わからない。コロナもあって面会ができなかったから」
父の声は淡々としていた。
「誰も入ることはできなかったの?」
「そう。入れなかった。でも、容態がすごぶる悪くなる前に、お前に会いたいって言ってた」
胸が痛くなった。その頃、私は教習所で知り合った友達と回転寿司で、寿司皿に醤油を垂らして啜って遊んでいた時期でもあった。ふざけている間に祖母は苦しんでいたのだ。罪悪感が私の心を支配し始めた。
父は私を断罪するかのように続けてこう言った。
「ちゃんと会ってやれよ?」
「……わかった。えっと、ご遺体って、その……どこに?」
「家」
「……うん」
故郷に着くまでの間、私はただ静かに刑の執行を待つ死刑囚のような気分となっていた。それに応えてか、第一の我が家へ近づくにつれ鈍った黒い雲が層を重ねていった。
その一方で、この帰省は父と母と姉、そして祖母と再び会える良い機会であった。自分で稼いだお金ですらないが、私が通う大学近辺の名産物を贈ることを楽しみにしていた。食に興味はなくても誰に何をあげて喜んだかぐらいは記憶できる。私を含めた手土産を片手に父は家に帰ったのだ。
「到着!」
生まれ育った家がそこにあった。エンジンを切る音が聞こえて私は思わず体を伸ばした。
「ふぅ、ありがとう。じゃあ荷物おろさないとね」
「手伝うよ」
私と父は車から降りると、お互いの手荷物を家に運んだ。だが先に祖母へこれを、この██県土産をあげよう! 私ができる家族サービスはこれぐらいしかできない。だからこそ一番にあげるべきなのだ。だから──
「じゃあ、ばあちゃんに会いに行こう?」
「うん、その前にばあちゃんにお土産を……」
「え?……ああ、とりあえず仏壇のとこに行こう」
「わかった、じゃあその後に」
とにかく、仏間に出向くこととなった。今思い返せばこの時父が訝しんでいたような気がする。
死人を見るのは初めてであった。少し緊張していた。私は人見知りなのだ。家族とはいえど、死人となれば別人だ。かなり躊躇したが襖を開けてみると──
「ばあちゃん、███が来たよ」
そこからの記憶は殆どない。私は恐るべき錯誤をしていた。そして滑稽にも、死人にお土産を渡すこととなったのだ。
葬式の日。
遺体を家から運ぶ前に綺麗にせよとの名目で、葬儀屋が私に布を渡してきた。震える手で血の通っていない腕や首を見る羽目となり、私が最期に出会った祖母の記憶が徐々に上書きされていった。早く終わってほしかった。
「綺麗になりましたね」
私自身の思い出を汚しきったことに満足したのかと心の中で毒づきながらも、葬儀屋は、
「それではご遺体の方運ばせていただきます。皆様方は葬儀場にお越しください」
と冷静に私たちへ指示した。
霊柩車に運ばれていく祖母と車でそれに着いて行った私たちは葬儀場に着いた。
入り口から不必要に着飾られており、それは死人への敬意ではなく、ただ金で買った誇示を見せつけられているかのようで不愉快だった。
会場は椅子だらけだった。それが脱皮した蛹の抜け殻が寄せ集められているかのように見えて、より不快であった。
私はこれから何をすべきなのか? 葬式を体験したことがないのもあるが、親族の面汚しとしておめおめ付いてきたようなもので、これから処刑されるのか、何が始まるのか、とにかく混乱していた。
指定の席に座れと誰かに言われた。私はパニック状態であったもののそれに従った。何も考えることができない悟りの境地にいた心を払うかのように、けたたましい金属音とともに煌びやかな服装をした僧侶が現れ、祖母の遺影の前で読経を始めた。
こいつか。
こいつらがばあちゃんの財産を盗んだネズミどもなのか。
代わりに死ね。死ね。消え失せろ。死んでしまえ。呪われろ。
前を睨みつけていた。
いつの間にか私の前に儀式用の鉢やらがキャスターで運ばれて、これを前に投げつけたかった。しかし祖母の信心深さが私を制御した。
死ね。死ね。死ね……
恨み節を目で伝えていると遂に読経が終わり、そのネズミが私たちにブッダの教えを宣い、ちゅうちゅうと去っていった。
一通り儀式が終わり、別室へと移された後、私たち家族は僧侶のいる部屋に赴き、有り難そうに金を受け渡して、僧侶はさも当然かのように受け取っていた。
その時まで私は常に睨んでいた。気づいていないのか、いるのか。いずれにせよ怒りの燃料としては極上だった。
その後、親族が群がり、祖母の遺影の前で食事会が披露されていた。ただ、私は食欲がなかった。ただでさえ人の死を身近で見たというのに、生に向かって走ろうだなどと立ち直れる気配すらなかったからだ。
そんな私の状態とは裏腹に、人皆獣のように食い散らかしていた。それこそ祖母への冒涜に見えていた。
「いっぱい食べれば、おばあちゃんも喜ぶよ」
何を言っているのだ。死者が喜ぶものか。人の気持ちを断定するな。
「ほらほらこれはどうだ? お前の好きな餃子だぞ」
なんで言うんだよ。ばあちゃんに教えようとしているのか。僕の好物を。あなたは知らないだろうけどと付け加えたいの?
「お酒も飲みなよ。若い頃はこうやって……」
黙ってよ。助けて。やめて。お願い、ばあちゃん……!
火葬の日。
獣どもが私の寝込みを襲わないかと寝るにいられず、布団を収納するクローゼットの中で一人閉じこもっていたら、葬儀屋がそれを開けるや否やワッと言って後退りした。このときようやく陽が差してきたのだとわかったのだ。
これから祖母は火葬場に向かう。それを聞いた私たちは棺桶に入った祖母へ花を飾った。途中ネズミがありがたいお言葉としてちゅうちゅうと鳴いて去った。家族は話が長いとぶうぶうと応戦していた。私は何も覚えていない。
ただ、そこで初めて父の、母の、姉の涙を見た。私と同じ悲しみの輪に入っていたことに嬉しくも、哀しくも、安堵ともなんともいえない感情に包まれつつも、自分の知っている家族の姿ではないことに気がつくと直ぐに冷えてしまった。
霊柩車に入っていく四角い白い箱。その中に私の祖母が納まっている。ただ、哀しかった。モノ扱いのほかない祖母の姿なぞ見たくもなかった。
私たちは火葬場に向かった。
火葬場は床がタイルでできていて、先ほどの葬儀場のような金への貪欲さを見せつけられている気分にもされない、ただ清潔で公共のインフラの一つに過ぎないという印象を受けた。
そこで、私の祖母は火葬されるのだ。目を背けることも、行かないでと懇願することも、祖母への絶対的な死がそれを許さない。
私は何もしたくなかった。空虚で、ただただ祖母と同じ火に焼かれればどんなにいいだろうかと逃避していた。そうこうしているうちに全て焼かれたとの知らせが入った。職員からか、家族からか、最早覚えていない。
目の前に骨があった。吐き気を催した。この時点で私にとっての最期の姿が遺体であればどんなに良かったことか。祖母を思い出す時に否応なしにこの姿を植え付けさせた家族が憎い。親族が憎い。葬儀屋が憎い。そしてその火葬場の職員も……違う。皆祖母のために動いて仕事しているだけだ。本人の遺志に従って動いているだけだ。
顔色が優れていないであろう私を無視して父は箸を渡してきた。骨壷に骨を入れろ、と。
「いっぱい拾えよ」
狂っている。まともなのは私だけだろうか? なぜ平然としていられる? 骨だ。骨なのだ。人の一番内部にあるものだ。それを間接的にでも手を触れよと言っている。鶏と違う。人間だ。人間の、我々同族のものだ。今助けを一番乞いたい人は骨となっている。困惑から私の姉を見た。同じ立場の人ならばどう対処しているのか。そんなことを思うまでもなくとにかく見た。二番目に助けとなるであろう人間だ。同じ両親から生まれたただ一人の存在だ。そして私より年配者だ。見なければならない。見た。助けてと見たのだ。
姉は私を侮蔑するかのように、ただ骨を拾うことを催促していた。
そこから私の絶対的な何かが死んだ。
今思えば、ただ私は戸惑っていただけであった。私の家族はただ私の家族の他ならない。裏切りもなにもなく、儀式を遂行した家族愛溢れる人々だったのだ。
それでも、家族の狂気を目の当たりにして、祖母が夢でしか会えない存在となった今、その夢を永遠に見ていたいと熱望するようになってしまった。
私は怖い。この夢が見られなくなることを。
私は嫌だ。夢の中で死者を冒涜することを。
ロマンチストである以上、永遠の眠りへ憧れることはやめられないのだ。
罰当たりな私に対して、天罰はまだ来ない。
当たり前だ。人間を信じられない人間が仏様も信じられるわけがない。それならば私自らの手で罰するしかない。
運命の日は四月一日。どんな日となるのだろうか。
まだ、わからない。