いない 16 女の子たち

(※性暴力、戦時性暴力の描写があります)(つらそうな方はどうぞ無理せず)

 祖父は、尋常高等小学校を卒業して、15歳くらいから、「飛行機を作る工場」(戦闘機だと、父が教えてくれた)で、働いた。

 祖父が16歳か17歳くらいの時に、「部長」から、「能力の高さを見込まれ」た。
 祖父が「班長」になった後、「部長」から「ここに6ヶ月行けば高校卒業資格をもらえる」と言われ、
 かいぐんとくべつくんれん? とくべつじっしゅうたい? というような音の名前の、何のための施設なのか、よくわからない場所へ行った。

 祖父は、「360人中**人しか帰ってこなかった」6ヶ月を「生き残り」、戻ってきた。
 祖父は、「人をまとめる力、判断力、仕事の早さと正確さ」を「見込まれ」、18歳で「組長」になった。

 祖父は言った。
 「組長ったってな、18歳の組長なんか、前代未聞だ。
 他の組の長は、30代、40代の親父連中で、最初は
 『こんな野郎に務まるもんか。まだ赤ちゃんじゃねえか。』
 と、よく侮られ、必要な情報を、俺のところまで回されなかったりしたもんだ。」

 私は、
 「それで、どうなったの?」
 と、祖父に聞いた。

 祖父は、
 「仕事で、見せつけてやんだよ。」
 と、私に言った。

 祖父は、
 「仕事ができりゃあな、しかも、邪魔されしんで(方言。邪魔され尽くして)邪魔されながら、完璧に仕事を仕上げてくりゃあ、部長の信は、俺の方へ傾くだろう。
 歳だけ食って嫌がらせしか能がねえようなザコどもよりも、余程な。要は、ここだよ。」
 と、言い、祖父の人差し指で、祖父のこめかみを私に示した。

 私は、
 「工場では、どんなことをするの?」
 と、祖父に聞いた。

 祖父は、
 「おまえに言っても、わかんねえだろうがな。」
 と、私に言い、祖父の眼球を、斜め上に回した。白目のふち。下まぶた。

 ややあって、祖父は、
 「飛行機工場っつってもな、1人の人間が、初めから終いまで1機作るわけじゃねえ。
 分業つってな。何人かごとの班を作って、仕事を分けんだよ。
 だから、自分の担当以外の内容は知らねえ。
 だが俺は、組長だからよ。全部知ってなきゃいけねえ。
 どこからどんな質問が来ても、即座に正しく答えられるようでなきゃ、簡単にナメられっからな。」
 と、私に言った。

 祖父は、祖父のあぐらを組んだ足の中にいる、私、と呼んでいる、これの足の指の間に、祖父の手の指をはめ込みながら、
 「日本全国から、工場に人が集められてくんだけどよお。」
 と、私に言った。

 私は、語尾を上げて
 「うん。」
 と言った。

 祖父は、
 「中でも**から、集団で寄越された小学生の女の子どもは、いや、参ったね。」
 と、私に言った。

 私は、
 「小学生?」
 と、祖父に聞いた。

 祖父は、祖父の、私の足の指にはめてあるのとは逆の片手の、親指から人差し指の部分で、私の顎から首を上下にしごきながら、
 「そうだぞ。小学4、5年生の女の子どもがな、親元から離れてな、働きに寄越されんだけどよ。」
 と、私に言った。

 私は、祖父の顎を見上げた。
 祖父が時々、ピンセットみたいな形の毛抜きで、髭を抜いている。皮膚のしわ。祖父は、
 「何が参ったって、まず、言葉がお互い通じねえんだよ。」
 と、私に言った。

 私は、祖父に、
 「なぜ?」
 と、聞いた。
 
 祖父は、
 「バカお前。今はテレビで標準語なんて言って、どこでも通じる言葉の手本があるけどよ。
 おじいちゃんたちの頃は、そんなもん、まだ普及してねえよ。
 おじいちゃんはな、どこへ行っても通じるように、標準語を勉強したから、今だって綺麗に話すだろう。」
 と、私に言った。私は、頷いた。

 私は、
 「おじいちゃんの言葉は、きれい。」
 と、祖父を見上げて、言った。
 
 祖父は、私の足の指の間に挟み込んだ祖父の手の指を、握ったり開いたりしながら、
 「そうだろう。」
 と、私に言った。

 祖父は、
 「おばあちゃんの言葉とか、お前、時々、わかんねえだろ。」
 と、私に言った。
 私は、曖昧に首を傾げた。祖父は、
 「あれはな。**弁といってな。**県の、このへんで使われている方言なんだ。」
 と、私に言った。

 私は、祖父に、
 「そうなの?」
 と、聞いた。

 祖父は、頷いた。祖父は、
 「外に出たら、通じねえよ。
 狭い地域で生きてると、てめえで喋っている言葉のつもりの鳴き声が、外に出たら通じねえ、ということさえ、頭に浮かばねえ。」
 と、私に言った。

 私は、祖父に、「うん」と「ううん」の中間のような音を出し、頷いてみせた。
 祖父は、
 「これがもっと南下すっと、海だろ。漁師どもの言葉は、またちげえんだよ。」
 と、私に言った。

 祖父は、
 「海に出る連中はよ、海風の中で怒鳴らねえと指示が通らねえから。
 普段の会話も、事情を知らねえ奴が聞いたら縮み上がるような、がなり声になっててよ。喧嘩してんじゃねえんだぞ?」
 と言い、喉の奥で唸るような、短い笑い声を出した。

 私は、祖父に、私の首を傾げてみせた。祖父は、
 「あれは笑ったなあ。」
 と、言った。

 祖父は、
 「だから最初は、言葉の勉強からだったな。
 **から来ましたってよ、小学生の女の子どもだ。
 言葉が通じなきゃ、意思の疎通ができねえ。意思の疎通ができなきゃ、仕事の指示も通らねえ。
 だから俺は、よく来てくれた、まずは言葉の勉強から始めるかって、言ったんだ。」
 と、私に言った。

 私は、
 「そうなんだ。」
 と、祖父に言った。

 祖父は、
 「他の組長どもは、例によって俺をバカにしたね。
 そんな悠長なことしてる暇があんのかってよ。いまだに小学気分でいるのかってな。からかわれたが。」
 と、言い、私の顔を見下ろした。

 私は両目を見開いて、「食い入るように聞いている」という顔の動かし方をした。
 祖父は、私の喉から肩や背中を握ったり、さすったりしながら、
 「部長は俺の味方だった。」
 と、祖父の正面にある、電源の消えた居間のテレビ画面を見ながら、言った。

 私は、
 「おじいちゃんは、仕事ができるから?」
 と、祖父に質問をした。

 祖父は、「うむ」と「んん」の間のような音を出し、
 「わかってんじゃねえか。」
 と、私に言った。
 「わかってんじゃねえか。そうだよ。
 仕事もできるし、俺には、他の組長どもにねえ、道理を守る姿勢が買われた。」

 祖父は、
 「そうやってな。まあ、あの女の子どもも、急に親元から離れて、知らない場所まで働きに来て、飛行機を作るって言われてもな。
 わかんねえよ。可哀想に。子どもってだけで低く見られるしな。 
 俺の組ではそんな奴は半殺しだが、よその組には、たちの悪い男や女がゴロゴロいやがる。
 そいつらからも守ってやんなきゃいけねえし。

 それによ。小学4年生ったら、ちょうどお前と同じか、ちょっとお姉さんくらいだよ。数え年っつってな。
 でもまあ、おまえくらいのものだな。
 メンスっつってよお。俺らの頃はそう言ったが、だーれも、月経の始末なんか、教わらないで、こっちに送られてきたわけだ。
 始まってもねえんだから。誰も、そんなとこまで、頭回す親あ、いねえよ。

 働き出してから、こっそり、俺んとこに来てな、『組長、組長。どうしよう。』って。『死ぬかもしれない。』って。
 そりゃそうだ、血が出てんだから。そりゃ、おったまげもするだろう。
 『組長、組長、どうにかして。』って。
 言われてもよお。」

 と言い、長い息を吐きながら、祖父のあぐらの中に収まる私の尻を支えに、左右に揺らした。

 私は、
 「言われても?」
 と、祖父に、続きを促した。

 祖父は、
 「考えてもみろよ。俺だって、たかだか18かそこらの、あんちゃんだ。
 血が出た、って来られたって、どうしろっつうんだよ。」
 と、吐く息を笑わせながら、私の顔を覗き込んだ。
 私は、祖父の顔の、頬骨あたりを見上げた。

 祖父は、
 「でも、しょうがねえ。俺がやるしかねえ。他にいねえ。」
 と、私に言った。

 祖父は、
 「今でこそ、月経用ナプキンなんてもんがあるがよ。俺らの頃は、そんなもん手に入らねえからな。考えた。
 要は、血が流れ出さなきゃいいわけだ。
 おじいちゃんは、きれいな手拭いを集めさせてな。それをこう、このくらいの大きさに切ってよ。」
 と、言いながら、私の足の指の間から、祖父の手の指を抜き、私の目の高さの空中に、祖父の両手で、長方形を描いた。

 祖父は、
 「これをな。当て布として、股に当てておけって。
 洗い変え用に、同じ大きさの当て布を、たくさん作ったんだよ。
 みんな、個別にこっそり、おじいちゃんのとこに来るだろ? 決まりが悪い(方言。恥ずかしい、いたたまれない。)もんな。
 そのたび、俺が、こうやって手当てすんだぞ、毎月血が出るからなって、教えてやってたら、女の子どもの間でな、困ったら**組長のとこに行けって、話が回るようになった。」
 と、私に言った。

 祖父は、空中の長方形をほどき、祖父の片手を、私の上の服の裾から中に入れた。私は、
 「おじいちゃんは、すごいねえ。」
 と、祖父に言った。

 祖父は、
 「なんの仕事に来てんだかよお。女子(おなご)どもや野郎の世話で、てんてこまいだ。」
 と、笑い声と話し声の、混ざったような音で、言った。

 祖父は一度、息を吐き、
 「しょうがねえ。こっちも必死だ。本当なら親が教えることだ。
 それを、離されて、こっちで働いてんだから。
 親元から大事な娘を預かってんだよ。手当てしねえと。」
 と、私が着ている服の中で、私の背中を撫でながら言った。

 私は、祖父の胸に、私、と呼んでいるこれの、後頭部から側頭部をすりつけた。祖父は言った。
 「そんな風によ。俺は俺の組の人間を守ったが、よその組は悲惨だった。」
 と、私に言った。

 私は、祖父の顔を見上げた。顎と、下から見た耳と、頬骨と、少しの目。
 祖父は、
 「なーんも知らない状態でこんなところに送られてきてよ。大した仕事も任せらんねえ。
 人手は要るが、単純な仕事を回すことになる。
 機体の塗装を剥がす役の班があってよ。シンナーを使うんだよな。
 それで、慣れてねえ奴は、くらくらっとなっちまってよ。
 わけもわかんないままに、野郎どもにまわされんだよな。可哀想に。
 野郎の他に、若い女どもな。女がいけねえ。
 年増の女どもは、急に赤ちゃんみたいな連中が来て、面白くねえからってよ。
 野郎どもをけしかけんだよ。やっちまえって。本当にどうしようもねえ。
 だってまだ、初潮も来たか来ないかの娘だぞ? どうやって自分の身を守るって、組長や班長がしっかりしてなきゃいけねえのによ。無茶苦茶だ。
 現場は、いろんな道具があるだろ。あいつら後のことなんか何も考えずに、下から上から突っ込むからよ。あんなのどうしようもねえよ。後でわかったって、どうしようもねえ。
 こういう風にされた女の子はよ、仕事に戻すどころじゃ、もう、ねえからよ。親元に返すことになんだけどよ。泣かれるんだよなあ。親によ。

 おじいちゃんが行った360人の時もよ、おじいちゃんが組に帰ってきた時、部長に、只今戻りましたって、挨拶しに行った時によ。
 部長が血相変えて、『**! おまえ、服を脱げ!』って、俺に言うんだよ。

 俺は、とうとう部長も頭がおかしくなりやがったなと思ってよ。
 どうやって部長の側にある、丸太ん棒って呼ばれてた刀を奪うか、画策していたんだがな。
 部長が言うんだよ。『おまえ。背中。何ともねえのか。』って。」

 と、祖父は言いながら、祖父の手を私の肩甲骨と背中の境目に差し入れ、私の肩甲骨の下縁を掴み、話を続けた。
 「俺は、ひん剥かれると思ったが、どうやらこいつは違うようだと思ってな。
 部長に、『はい! 背中は何ともありません!』って、言ったんだよ。

 そしたら、部長が、机の上に、はあーーーーって、大きなため息を吐いてよ。
 言うんだよ。『おまえ。知らないのか。おまえと一緒に全国から集められた360人。五体満足で帰ってきたのは、**人しか、いないんだぞ。』と。」

 私は、祖父の話を聞き、祖父の顎を見上げながら、目の中で、首を見ていた。

 祖父の「ともだち」。ではない。死んだから。と、祖父が言った。
 朝、「便所でぶら下がっていた」、「頭のおかしい上官に殴り回されて」、夜じゅう「寝返りも打てずに、いてえよお、いてえよお、と」泣いていた、16、17の、祖父の、だれか。

 祖父は言った。
 「部長が参っちまってよ。『もう2度と、うちからは、あそこへ人を送らねえ』。
 散々泣かれたんだってよ。息子が死体で帰ってきたと思ったら、その死体の背中が、虎柄みたいに、しましまだって。

 部長が葬式に行くと、親から、『どういうことだ、こんな風にされるために息子を送り出したんじゃない』って。泣かれて、責められてよ。それが何人も続いてよ。もう懲りたって。

 よその組も、そうだったんじゃねえかな。結局あの半年だけで、次の年から、募集もかからなくなった。訓練隊自体が、なくなっちまったんじゃねえか。」

 私は、祖父の腕を撫でた。祖父は、
 「でな。」
 と、私に言った。私は、うなずいた。

 祖父は言った。
 「でな。まあ、親に泣かれるんだけどよ。やられちまったもんは、戻らねえだろ。股にな。瓶をな。こうしてな。こう、こうしてな。飽きてくると、割ってよ。そんで、」
 と、祖父は、何をどうして人の体が遊ばれるという表現になるのか、私に話した。

 祖父は言った。
 「だからな。おまえみたいな、甘やかされて育った、どうしようもねえ、のろまの、グズの、白痴はな。おじいちゃんから離れたらすぐに、外の人間に騙されて、遊びしんで(遊び尽くされて)遊ばれて、おもちゃにされて、」
 と言いながら、祖父は私の上半身を触りながら、もう片手でこれの肛門から股に指を沿わせた。

 祖父は言った。
 「飽きられたら、ゴミみたいに捨てられて、ドブで野垂れ死ぬことに決まってんだよ。間違いない。おじいちゃんが言うことは、間違いない。そうだろうが。」
 と、祖父の指を動かしながら、私に言った。
 これは、「うん」という音を出し、頷いた。

 祖父は、
 「そうだろうが。知ってんだよ。おまえみたいな、甘ったれたゴミクズから、どんどん死んでいくんだよ。
 だから隙を見せたらいけねえって、おじいちゃんが、日頃から言ってんだろうが。おまえは一向に覚えねえ。
 おまえから先に殺されんだよ。おまえが。そんなだから。おじいちゃん、おちおち昼寝もできねえ。
 おまえがあんまりダメだから、おじいちゃんが教えてやってんだ。おまえの、その、甘ったれた声。甘えた声を出しやがって。そうだろうが。」
 と、私に言った。

 これは、「うん。」という音を出し、頷いたが、多分、祖父には、聞こえていないような気がした。
 祖父は、私が怖いものに殺されないように、教えてくれるのだと言った。
 祖父は、私が後で困らないように、練習するのだと言った。
 祖父は、私がどうしようもないゴミだから、他に教えてくれる人などいないから、仕方なく、私がバカだから、私があまりにもバカだから、教えてやっているのだと、言った。

 私(たち)は、
 「そうなんだ。」
 と、思った。

 私は、「**から来た女の子たち」の話を、祖父の目配せ、私の相槌、祖父のため息がいつごろ出るか、予測しながら聞いていた。

 私が小さな頃、祖父の話は、ばらばらの破片のようだった。
 繰り返し聞くうちに、祖父の話は、だんだん、ひとまとまりの楕円みたいな、物語の形になっていた。

 幼い祖父が、虐げられながら環境と戦い、成長し、働き、上司に高い能力を見込まれ、出世し、戦争が終わってからは、「自分の努力で得た力」により、邪魔する奴をぶん殴りながら、荒稼ぎしてゆく、お話。

 私は、祖父の、決まった流れ、決まった台詞、盛り上がりどころ、沈黙、息継ぎを、繰り返し、聞いていた。

 私は、いつ、祖父の腕を撫でればよいのか、いつ、自分の頭を祖父の胸に擦り付けたらよいのか、祖父の話が、次にどうなるのか、知っていた。
 学習した。そして毎回、生まれて初めて聞く話を望むような動きをした。

 そうした方がいいと思った。思っていない。言葉がない。動きだけ。