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貨幣とは、負債の一種

では貨幣とは、いったい何なのでしょう。

これについては、
イングランド銀行の季刊誌(2014年春号)の
貨幣に関する入門的な解説が
大変わかりやすいです

そこには、
こう書いてあります。

今日、
貨幣とは負債の一形式であり、
経済において交換手段として
受け入れられた特殊な負債である。

難しいですかね?
少しずつ、
理解が深まると何よりです!

このように、
貨幣を負債の一種とみなす学説を
「信用貨幣論」といいます。

これに対して、
貨幣の価値は、
貴金属のような有価物に
裏付けられているとする学説は
「商品貨幣論」と呼ばれています。

何か、ほかに
モノの担保がある
という意味ですね。 

では、この
信用貨幣論

商品貨幣論
のどちらが正しいのでしょうか。

多くの人々が抱いている
貨幣というもののイメージは、
商品貨幣論のほうであるように思われます。

財源はどうするんだ?
そんなにお金を発行したら、
破綻してしまうのでは?
などなどですね。 

また、かつての金本位制は
商品貨幣論に基づいた制度です。
お金の担保には
金が補填されているという
制度でしたね。
 

しかし、
現代の貨幣は、
貴金属などの有価物との
交換を保証されていない
不換通貨であるにもかかわらず、
お金として広く使われています。

どうしてなのでしょうか。
 

イングランド銀行の季刊誌の解説も
商品貨幣論を否定しています。

この解説は、
貨幣とは負債であるとする
信用貨幣論の意味を
分かりやすく説明するために
ロビンソン・クルーソーとフライデーしかいない孤島
という架空の事例で説明されています。

その孤島で
ロビンソン・クルーソーが
・春に野苺を収穫してフライデーに渡す。

その代わりに、
フライデーは
・秋に獲った魚をクルーソーに渡す
ことを約束します。
 
この場合、
春の時点では、
クルーソーにはフライデーに対する
信用が生まれます。

反対にフライデーには
クルーソーに対する
負債が生まれます。

そして、
秋になって、
フライデーがクルーソーに
魚を渡した時点で、
フライデーの負債は消えます。
 
このように、
取引関係は、
信用と負債の関係として
理解できます。

イングランド銀行の季刊誌の解説は、
このように説明しています。
 
ここで重要なのは、
このクルーソーとフライデーの
野苺と魚の取引が、
同時に行われるのではなく、
春と秋という異なる時点で行われる

ということです。

というのも、
野苺と魚を同時に交換する
物々交換の場合には、
取引が一瞬で成立しているので、
信用や負債
は発生しません。
 
しかし、
春と秋といったように、
異なる時点の間での取引関係では
信用と負債の関係が
発生します。

このクルーソーとフライデーの例において、
もう一度、春の時点、
つまりフライデーが、
クルーソーに対して秋に魚を渡すという
債務を負った時点に戻ってみます。

この時、
フライデーがクルーソーに対して、
秋に魚を渡すという
借用証書を渡したとします。
 
ここで、
話を少し変えて、
この島には、クルーソーとフライデー以外に、
サンデーという第三者がいたとします。
 
サンデーは、
火打ち石を持っているとします。

そして、
クルーソーが、フライデーに対する
借用証書をサンデーに渡して、
その火打ち石を手に入れたとしましょう。
 
さらに、
この三人に加えて、
マンデーという人もいたとします。
 

マンデーが持っているのは、
干し肉です。

そして、
サンデーがそのマンデーに
例の借用証書を渡して、
その干し肉を手に入れたとします。

その結果、
フライデーは秋に魚を渡すという債務を、
マンデーに対して負います。
 
この例の場合、
フライデーの秋に魚を渡すという債務は、
クルーソー以外の三人にも
譲渡可能なものとなっています。

つまり、
クルーソーたち四人の島では、
このフライデーの債務の存在を示す
借用証書が、貨幣となっているわけです。

これが
貨幣とは、負債の一形式である
ということの意味です。

ところで、
このクルーソーたち四人の島で、
この借用証書が本格的に
貨幣として流通するためには、
いくつか、条件があります。

まず、フライデーが秋に魚を渡す
という約束を必ず守るという
信用がなければ、
この借用証書を誰も受け取ってくれない
ので、
取引の手段としては、使えません。

また、
この借用証書を
マンデーもサンデーも受け取るためには、
・クルーソーの野苺
・フライデーの魚
・サンデーの火打ち石
・マンデーの干し肉
の価値がちょうど等しくなければなりません。

しかし、
この四人だけの世界とは違って、
現実の経済における財・サービスの取引は、
無数の主体の間で行われます。

このため、
取引される財・サービスの数は
膨大になり、
売り手と買い手の間の
信用、負債関係も
また無数に存在する
ということになります。

そうなると、
クルーソーたちの世界のように、
数人の間の関係だけで
信用、負債関係を解消するとそこで、
ある二者間の関係で定義された負債と、
別の二者間の関係で定義された負債とを
相互に比較し、
決済できるようにするために、
負債の大きさを計算する
共通の表示単位が必要となります。
 
この共通の負債の表示単位が、
例えば、円やドル、ポンドと
いったものになるわけです。

いかがでしたか?
初めの文章に戻ってみますね。

貨幣とは負債の一形式であり、
経済において交換手段として
受け入れられた特殊な負債である

この文章の
イメージが少しついてもらえたら
何よりです!

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