序章 あなたは、むだ死にするかもしれない。
ある日、僕はニュースアプリの記事を読んで衝撃を受けた。
日本では毎年約5万人もの人が、胃がんで死んでいるという。
しかも胃がんの99%は「ピロリ菌」感染が原因で、検査を受けて除菌すれば、がんになる確率が激減する。事前に予防さえすれば、この5万人は死ななくてすむ可能性が高いそうだ。日本はこういうことがあまり広く告知されていない。
「むだ死に大国」ニッポンで生き残る技術
がんの原因といえば、一般に遺伝や喫煙のイメージだろうし、胃がんはストレスとか暴飲暴食のせいだ、くらいの認識だろう。しかし胃がんに関していえば、ピロリ菌以外が原因の場合はたったの0・5%程度だ。
僕は、以前にピロリ菌の検査を受けたことがあって、陰性だった。そうやって自分の身は自分で守ってきたが、「胃がんはおもに感染症である」「除菌すれば死なずにすむ」ということを知らないで死ぬ人が、何万人もいる現状は驚愕だ。
日本の死亡原因は第1位ががん、第2位は心疾患、第3位は肺炎、次いで脳血管疾患。がんのなかでも胃がんは、肺がん、大腸がんに次いで3番目に多いがんである(国立がん研究センター/2016年予測)。
この情報を、医療関係者や国が広く伝えていないのはおかしい。これだけ医療が発達している先進国で、知識があるかないかの差が生死を分けることがあるなんてバカらしいというのが正直な感想だ。
がんの約25%は感染症が原因だった
じつは日本人は感染症由来のがんが多いということが、ほとんど知られていない。現在、原因が特定できて、確実に予防対策がとれるがんは、喫煙による肺がん、そして感染症由来のがんだといわれている。たとえば、胃がんはピロリ菌、肝がんは肝炎ウイルス、子宮頸がんはヒトパピローマウイルス……じつに日本人のがん全体の約25%を感染症が原因のがんが占めている。これらを知らずに放置すれば、確実に「むだ死に」である。
日本の「がん予防」の第一人者である浅香正博先生によれば、日本人のがんに感染症が多いと最初に指摘されたのは、1996年のスタンフォード大学のパーソネット教授の講演だった。当時、感染症によるがんはアジア、アフリカ諸国に多く(ザンビアで62%、中国で46%、日本で42%)、欧米では10%以下だった。
この時点で日本の医療界では、がんは生活習慣が大きな要因というのが定説だった。しかし、パーソネット教授は、「感染症由来のがんは予防可能だから、日本はがん予防がおこないやすい国だ」と述べた。それが国内で疫学的にも証明されるまでに約20年がかかり、いまになってやっとこの指摘が正しかったと医療関係者にも認知されている。つまり、20年近く日本のがん対策は遅れた。
検診も受けずにがんになった僕のおじいちゃん
日本では、具合が悪くなったら病院に行くのが当たり前だと考えられている。しかし、これが大きな間違いだ。検診は症状がないときに、定期的に受けるべきものだ。
僕の祖父も、がん検診すら受けていなくて、結局大腸がんの発見が遅れてしまった。手術で大腸を切除したものの、すでに肺に転移していた。高齢のため肺がんは進行せず、93歳のいまも元気でいる。しかし、これは高齢ゆえのまれなケースで、もっと若い場合は進行も早く命にかかわる。
大腸がんは早期ではほとんど症状がない。腹痛や血便、腹部膨満感などの症状が出たあとに受診したら、すでに進行がんの可能性が高い。予防には野菜中心の食生活や適度な運動がいいというエビデンスもある。しかし、個人の生活習慣を変えるのはなかなか難しい。
僕は、確実にがんを予防するために、まずは症状の有無にかかわらず検診を受けるべきだと思う。大腸がんなら、せめて便潜血検査(便に混じった血液を調べる)を受けること。50、60代なら、がんのもとになるポリープがあるかどうかも調べておくべきだ。
よく大腸がんは50代には何かしらのスクリーニング検査をしろといわれるが、気になるなら、20、30代前半でもスクリーニング検査を受ければいい。予防できたはずの病気になって、「しょうがないよ、歳だから」と苦しむのはやめてほしい。
治療と闘病がマーケットにされている!
日本では、とにかく予防に金と時間をかける発想が乏しい。
その代わり病気になった後の対処に、莫大な金が使われる。
たとえば、生命保険。
僕は生命保険に入っていない。がんになった日のために保険に投資する金があったら、いま検診や人間ドックに行くほうがいいと思うからだ。
日本は保険大国で、生命保険の世帯加入率は89・2%(平成27年度生命保険に関する全国実態調査)におよぶ。「がん保険」「医療保険」と一口にいっても、検査入院には給付金が支払われない場合もある。高齢者を対象に持病もカバーする保険もあるが、保険料は高めだ。かけた以上のお金が返ってくるかどうかは、確率に左右される賭けと同じだ。基本的には、保険会社の側に利益が出るようになっている。
とくにがんに特化した商品は、契約後90日以内にがんと診断されても給付金が出ない、同じ「がん」でも皮膚や内臓の粘膜にとどまっているがんは給付金が少ないなど細かな違いがあるから厄介だ。
そして、実際にはがん保険には入ってもがん検診は受けない人たちもいるから、まったく意味不明だ。そもそも病気になった後や死後のことに金を使うこと自体が、「むだ死に」を想定していると気づいてほしい。
健康志向なのに予防には無頓着な日本人
そのくせ、なぜか日本人はやたらと健康や食事に意識が高い。
減塩やグルテンフリー、糖質カット……つねに健康のトレンドに敏感だ。健康食品も盛んに売られていて、「ピロリ菌予防」を売りにするヨーグルトもある。もちろん、ピロリ菌に働きかける乳酸菌はいるが、除菌はできない。
食品でいえば、緑茶がピロリ菌に対する殺菌効果があるという研究もあり、ピロリ菌による胃の粘膜炎症を抑えることは実験でも証明されている。けれども人間の胃の中で完全に除菌することはできないのだ。僕がツイッターでピロリ菌のことをツイートすると、必ず「私はヨーグルトを食べているから大丈夫です!」とコメントを寄せてくる人がいるが、勘違いしないでほしい。
日本人は食事療法やオーガニックなものへの信仰心が強い。漢方や自然食は安全で、西洋医学の薬はダメという風潮がある。
でもその考え方は、むしろ逆だと思う。
一般に市販や処方されるような薬は、実際に服用が許されるまでに、製薬会社によって繰り返し実験と調査がなされている。当然、副作用がない薬などないが、薬事法にもとづいて細かく説明されている。それよりもオーガニック風を装った医薬部外品のサプリメントの方が、よっぽど危険だ。
書店には、「○○を食べれば、がんが消える」とか「病気にならない食事法」といった書籍が山ほど並んでいる。がん治療や闘病に関する本もバリエーションが豊富だ。抗がん剤を否定する有名医師もいれば、それを批判するカウンター的存在の医師もいる。氾濫する情報からどれを選んだらよいかを真面目に考えるならば、高度な医療リテラシーが求められる。
ところが、「がん予防」に関する本は案外見つからない。闘病と治療だけが取りざたされ、科学的なエビデンスにもとづいた予防法を教えてくれる本は、なかなか見当たらないのだ。
国民皆保険制度はやがて破綻する
こうしていまやっと、日本で「予防医療」の重要性がクローズアップされているのには、もうひとつ大きな理由がある。
社会の高齢化にともない、国の医療費が年間40兆円に達し、このまま「治療」にばかり金をかけていたのでは、この先、「国民皆保険制度」の破綻が目に見えているからだ。
そのため、消費税の増税や国の補助金の活用、高所得の会社員の保険料引上げが予定されている。また、75歳以上の後期高齢者医療制度の保険料では低所得者の負担軽減措置が17年度から原則的に廃止の予定だ。
65歳以上になると有病率が急激に上がる。
何かしら病気を持っていて慢性化すると、ずっと通院することになるが、日本の医療は、窓口負担1〜3割で治療が受けられる。世界的にもまれな素晴らしい制度といわれてきたが、負担額が少ないために「とりあえず病院に行けばいいや」という人たちがいるのも事実だ。
そこに医学の高度化も相まって、進行したがんに使う分子標的薬(ニボルマブ)を含む抗がん剤など年間数千万円がかかる医療が国費でおこなわれている。これを問題視し、なかには75歳以上は延命治療を控えるべきという極論も出てきている。
国民皆保険制度のないアメリカでは、医療費を負担できない貧しい層は切り捨てられるし、医療費で破産する人もいる。医療費を国庫負担でまかなうイギリスは、一定以上の医療は保険適用されない。
僕は日本もいっそのこと、予防に策を講じたうえで病気になった人は救済するが、さんざん不健康な生活を送って予防策をとらなかった人には、それなりのツケを払ってもらうシステムに一刻も早く舵を切るべきだと思う。
国策で強制しないと患者は減らない
日本には、会社員の健保や公務員の共済など、多くの健康保険組合があり、厚生労働省はそのすべてをきちんと管轄できていない。
僕はもともとIT業界だったから、関東IT健康保険組合に入っていた。IT企業限定の保険で、若い労働者が多いので病院にかかる人も少なく保険料も安い。福利厚生もなかなかよかった。
現在は健康診断も、各保険組合に委ねられている。よって住民検診受診率は把握できても、職域検診がどれくらいなされているのか実態がわからず、国民全体の検診受診率やがんの罹患率も、正確にはわからない。
一方で、台湾や韓国は、健康保険機構を国が一括管理し、ナショナルデータ化している。そのため、年に1回のがん検診を国民に義務付けるなど合理的な施策がとりやすい。
また、アメリカでは、民間の保険会社が大腸がん抑制のために、内視鏡検査を推奨して、検査を受けた人の保険料を安くした。受けなかった人には医療費を高くしたところ、あっという間に大腸がんの死亡率が激減。大腸がんはもともと欧米の生活様式から生まれたがんだといわれていたが、現在は日本の患者のほうが多い有様だ。アメリカは日本の4倍くらいの人口なのに、だ。
日本でこれ以上、むだ死にを増やさないためにも、僕はいまこそ健康保険組合組織を民営化するべきだと考えている。これからは、民間の保険会社と組んで検査を義務化し、予防医療を兼ねた保険プランをビジネス化すれば、検診受診率も格段に上がるはずだ。
若い人のがんが社会的損失になっている
この5年間で、毎年40代以下の胃がんの死亡者は約1000〜1100人という。毎年37万人もが死ぬがん患者のなかではごく一部に思えるかもしれないが、80代の人ががんで死ぬのと、働き盛りの若い人が死ぬのとでは、社会的損失の意味合いが違う。
例を挙げれば、同じ胃がんでもふたつに分かれる。
ひとつは32歳で急逝したニュースキャスターの黒木奈々さんのように若年者の胃がんで進行が速いもの。もうひとつは、60代でじわじわと増えてくる胃がん。全然違うが、「ピロリ菌」が原因であることは同じなのだ。
一般にがん細胞が生まれてから、がんとして見つかるまで10年ほどかかるという。いま20代、30代、40代の人こそ、症状がないうちに検診を受けて先手を打っておくべきだ。
とくに女性はがんにかかったときのボリューム年齢が低く、40代が47・7%と最も高く、次いで30代が29・9%だという。
かかるがんの種類で1位は「乳がん」(45・5%)、2位は「子宮頸がん」(19・5%)と女性特有のがんが多い(三菱UFJリサーチコンサルティング調査)。
乳がんはかつて「ピンクリボン運動」が社会的ムーブメントになり、検診の習慣化が進んでいるが、それでも諸外国に比べれば検診受診率は低い。
子宮頸がんは、いまワクチンの副反応問題で予防の啓蒙が停滞している段階だが、同時に毎年約3800人もの人が死んでいる現実がある(詳しくは2章を参照)。何かしらの医療行為を受けることには「予防」でさえ、リスクがつきものであることを、改めて考えてもらいたい。
大人の80%が放置している病気がある
日本では、成人の8割が感染しているにもかかわらず、治療する習慣がない病気がある。それは、歯周病菌による歯周病だ。ちょっとした歯の不具合だと考えられているかもしれないが、じつは感染症である。
放置すれば歯が抜け、歯を支える顎の骨が溶ける。そればかりでなく、歯周病菌が全身に行きわたれば、糖尿病や脳内の動脈瘤破裂(くも膜下出血)などの疾病を引き起こす。
定期的に歯医者に通えばほぼ防げることだが、日本では高齢で総入れ歯になってしまう人が多いし、歯周病を治療する習慣がない。実際の死因は「脳血管疾患」の場合でも、じつは歯周病菌でむだ死にした、という人も相当数いるはずだ。
満員電車、家族…むだ死にを招くストレス
幸い、僕はこれまで命の危険を感じたことは一度もない。
腎臓結石で入院して、結石を超音波で破砕する手術をしたが、身体を切ったことはない。
僕は食事は好きなものを、好きなように食べることにしている(朝は食べないことが多いが)。よく健康のために食事制限にこだわる人もいるが、あれはストレスがたまるのでやらないことにしている。ライザップに通っているときは糖質制限をしているが、それはあくまでも体型維持のためであって、健康のための施策ではない。
とにかく、ストレスは、「むだ死にしない」ために最も避けるべきことだ。僕はストレスがたまっているな、と感じたらさっさと寝てその日のうちに忘れる。そして、忙しく働いて、嫌なことやネガティブなことを考える暇を作らない。
やりたくもない仕事を無理してやっているなら、いますぐやめてしまえばいい。
家族が面倒だったら、家族をやめたっていい。
自分の何かを犠牲にして生きるのは、やめたほうがいい。
これが僕の持論である。
先日、東京都知事の小池百合子さんが「満員電車をゼロに」という選挙公約を掲げていた。あれはぜひ実現してほしい。満員電車によるストレスはストレスのうちでも最悪の部類だろう。のちに紹介するレーシックも、見えないストレスを排するために施術したわけで、あれでかなり快適になった。
このあとの章でいう「むだ死にしない技術」についても、予防の知識に関しても、あくまでもストレスにならない程度に、自分のためにやってみたいことを取り入れるくらいのつもりできいてほしい。
*記載した内容は、2016年9月までの取材をもとにしています。
なお、医療に関するテキストは専門医に取材し、監修を受けています。
*病気の予防や診断、治療の方針など医療情報と制度は、
時事により変更になる可能性があります。
*監修・取材協力
予防医療普及協会 ( http://yobolife.jp/ )
鈴木英雄(筑波大学附属病院)
間部克裕(国立病院機構函館病院)
渡邊嘉行(医療社団法人和光会 総合川崎臨港病院)
田中弘教(宝塚市立病院)
ⓒ2016 Takafumi Horie, Japan Preventive Medicine Foundation,
Magazine House, Printed in Japan
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