目的問わず長文を好む謎
毎日文字数も数えることなく、ひたすらnoteやSNSを更新している。
幸か不幸か、Twitterで露わになった「文章をキチッと読める人は数少ない」という仮説に従い、私のnoteが炎上したことはない。週刊誌やマスメディアのような刺激的な見出しに要約もせず、淡々と文章を一部有料配信で流していくとこういう状態になる。
活字が人々の娯楽の大きな部分を占めていた頃、文章量とはそれだけ紙とインクを使っていたということもあり、一種の贅沢の指標であったように思う。小説などの、一種のエンターテイメント文章ならばそういう指標が判断基準であっても良いかもしれない。
が、例えば私の文章はあくまでも情報を効率よく届けるものであり、文章は短ければ短いほど良いと思っている。
つい先日とある資料への寄稿文の依頼を受けた。
その依頼者は私にある程度の文章量の寄稿文を要求してきた。だが、私の想いを伝えるだけであれば量は関係ないはずだろう、という意見とともに2,3行の簡潔な文章を送った。
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