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「わかってる」になれるブランドとなれないブランドの間

10年以上前に、広告代理店の営業時代によく降りていた都内の駅に久しぶりに行く機会があったのですが、当時にはなかった高層ビルがいくつも建ち(建設中のものも)、あまりの隔世感に一瞬駅を間違えたのかと思うほどでした。

所用も終わり、陽が傾きかける時間帯に少し街を歩いてみると、真新しい高層ビルに挟まれるように、数十年前から佇んでいるだろう風情の酒場が目に入りました。その佇まいから滲み出る空気感で、ずっと愛されてきたお店(酒場好きからは“名店”と呼ばれてそう)だとすぐわかりました(あの“わかる感じ”はなんなんでしょうね)。

近づいてみると既に開店されていて、ほぼ満席近くの賑わいを見せていました。入りたい衝動をグッと堪え(帰って仕事をしなくてはならない)、少し店内に目を配りながら店の前を横切ってみると、お客さんの手元には某瓶ビール。それを見て思わず「わかってるね」と口走っていました(老舗のお店になんとも失礼な感想です)。

この「わかってる」という表現。当たり前のように使っていますが、なんとも不思議な表現ですよね。どの立場から物申しているんだろう?というのもありますが、それは置いておいて、「わかっている」と言わしめた人や場所が選んだモノ・コト・ヒトに対する贔屓にも取れるし、愛着とも取れるのですが、でももう少し冷静さがあるというか、そこまでのめり込んでいる感じがしない絶妙な距離感があるような感じがします。それは自分が好きなものでなくても「わかっている」はありえるからです(その服のブランドに興味がなくても、それをお召しになっている人に「わかってるね」と思うといったようなことです)。

そんなことを思っていたら、「わかってる」になれるブランドとなれないブランドの間には何があるんだろうと考えることになるわけです。そうしていると「わかる人がわかればいい」という言葉が浮かんできました。以前こんなnoteを書きましたが、なにか通じるようなものがあるように感じます。

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確たる根拠はないけれど「そうかもしれない」と思うことは、日々の生活や仕事の中で結構あると思うんです。普段は通り過ぎてしまうそういう感覚が後々顔を出してはヒントを与えてくれることも。正解やノウハウばかりが並ぶSNSでは発言することに気が引けてしまう「なんとなく」を月に2回を目処に書き残していきます。読んだ方々にとって、日常の「小さな兆し」に気づくきっかけになれれば。

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