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ケーキ&ミュージック番外編。
1980年代前半、4歳上に当時フォークソング部(今はアコギ、"フォークギター"なんて言わなくなりましたね~🤭)に所属していた姉がいて、私は11~12才頃から松山千春や中島みゆき、オフコースなどを聴くようになりました。中学生になると深夜ラジオに夢中になって、ニッポン放送の「オールナイトニッポン」、KBS京都の「ハイヤング京都」毎日のように聴いていましたね。
「ハイヤング京都」のパーソナリティーの中にサウンドクリエイターと言うイベンターの鈴置雄三氏が担当する曜日があって、ある日、その中で衝撃的な出会いをすることになります。それまで松山千春やオフコースを好んで聴いていた私にとっては、いきなりメロディに無理やり言葉をねじ込んだような歌詞。『♪そして仲間達は今夜、家出の計画をたてる~』『退屈な授業が俺達の全てならば~♪』そう、尾崎豊の「15の夜」。それまで経験してきた音楽とは全く異質な存在。戸惑いながらも興味を持ちはじめます(尾崎豊は語ると長くなりすぎるので、ここまでw。本題は鈴置雄三氏☝️)。
その番組の中で鈴置雄三氏がリスナーにある提案をします。「聴きたいコンサートがあるなら自分たちで呼べばいい」と提案。リスナーとともに「ヘッドライトクラブ」と言うサークルを結成。大学生、高校生などを中心とした団体で、東京以外の地域で初の尾崎豊のライブを京都で開催することに成功するのです。
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この尾崎豊との衝撃的な出会いと「聴きたいコンサートがあるなら自分たちで呼べばいい。」と言うワードが『セット』で僕の中に刷り込まれたのです。もし、別のアーティストだったらこんなにも心に残っていなかったかもしれません。そして、尾崎豊とのこの出会いが、後の1993.11.29 大阪御堂会館で開催された尾崎豊追悼フィルムコンサートでの、橘いずみさんとの出会い。2016.6.12 大阪難波S.O.Raでのビードローズさんとの出会い。そして、2018.10.7 表題の"ケーキ&ミュージック"へと繋がっていくのです。
第3章へつづく!!