
001 初めての子連れ出張 | 函館市
前回の記事を書いたのち、自分の中で様々思考を巡らせて、完全自己満足の領域だけど、これまで撮り溜めてきた写真を見ながら思い出を振り返り、このnoteに書き残していきたいと思う。
#写真で振り返る高岡の人生
(勝手にシリーズ化w)
その第一回目は2019年9月下旬、息子が3歳の誕生日を迎える頃であり、私がすすきのでホステス復帰する前。
フリーランスのWEBライターとして、初めて子連れで泊まりの出張をした時の写真。

男の子の好きな遊びは「戦隊モノ系」か「乗り物系」に二分化しがちだと思うんだけど、息子はまさに「乗り物系」の虜で、特にトーマスや鉄道にどハマりしていた。
そんな時、北海道札幌市に住む私は、取材と打ち合わせで函館市に出張依頼を受け、移動手段はJR函館本線を走る「スーパー北斗」(現在は「特急北斗」と名称改訂されたんだね)だったので、息子も大喜びだったことが記憶に残っている。
自分ひとりだけの一泊二日なら、少し大きめの鞄に荷物を詰めて出かけるけれど、息子も一緒となると、おむつに着替えに・・不測の事態(突発的に洋服を汚したり、おむつからいろいろ漏れたり・・)に備えて、基本的には余分に荷物を準備する関係で、

大人の荷物が一週間分ほど入る容量のキャリーバッグで出発した(笑)
札幌駅から函館駅まで約四時間ほど電車に乗るという、腰痛持ちにはなんとも厳しい長時間移動と思えるが、当時の私はまだ26歳の20代女性(ぴちぴち女子)だったので、疲労とは無縁。
電車好きの息子は終始ご機嫌で、車窓から景色を楽しんでいる姿が本当に可愛くて仕方なかった。
当時、息子と滞在したホテルは「Hotel & Spa Resort LA VISTA 函館ベイ」

ホテルの内装は「大正時代」を彷彿とさせるようなレトロな雰囲気。客室のインテリアなどにも浪漫を感じる。

ラビスタ函館ベイの朝食が人気で有名ということで、同ホテルに滞在し、旅レポという形でいただいた仕事だった。
正直、大したお金にはならないけど、当時は今後を見据え、WEBライターとしてどんどん経験を積んでいきたい気持ちでいっぱいだったので、子連れだろうとも「我こそは!」と勝ち取った仕事だった。
正直、息子と楽しく旅行♩という気分が三割くらいあったが、残りは不安や緊張の気持ちに包まれていたことは間違いない。
陽が落ちるまで、息子と函館ベイエリアを徒歩で散策。たくさん写真を撮ったり、記事にまとめられるネタを探したり。

この時に見つけたのが他の街では見ることのない、函館市ならではのマンホール。函館市の名産物が「烏賊」なので、それをモチーフにデザインされたものだったのだが、私はそういったものがあること自体、息子と過ごしたこの時に知った。
陽が沈み、早めに息子の食事を済ませて、事前に予約していたベビーシッターさんにホテルへきてもらい、バトンタッチ。息子としばしお別れ。
私は函館市の繁華街への取材を兼ねて、今回仕事を依頼してくれた取引先の人との会食へと向かった。18時から22時までの会食だったが、息子と夜間に離れるのに当時は全く慣れていなかったので、とても長い時間に感じた。
会食と取材先は、函館市大門町。地元民に愛された海鮮居酒屋一店舗と、老夫婦で長らく営業されている、こじんまりとしたお鮨屋一店舗の計二店舗。
今だから笑って振り返られる話、実はこの会食の結果、私は次の仕事を獲得することができなかったのだ。
22時、ホテルに戻ると、息子は幸せそうにスヤスヤ眠っていた。
初めてお会いしたベビーシッターさんは事前にやりとりしていたメッセージの印象通り、とても親しみやすく優しい方でありながら、幼児教育の知識が豊富な方で、非常に安心して息子をお願いすることができた。
この日以来、函館市でシッターをお願いするような機会はないので、疎遠になってしまったが、感謝の気持ちと共に、元気にされているだろうかと、ふと思い出す。
そこから深夜2時頃まで、写真データの整理や記事の下書きに取り組み、翌朝のバイキングの写真と文章を入れれば納品できる状態にしたノートパソコンを閉じて、窓から見える景色を写真で納めた。

深夜だから暗くて当たり前だろうけど、三年前まで私が過ごしていた東京都新宿区は「今は昼夜どちらだろうか」と思うほどに明るかったし、歌舞伎町に至っては、昼間の方がよっぽど暗いように感じる可笑しな世界線だったからこそ、この静かな暗さが余計に今自分が見ている景色が現実なんだなと痛感したことを鮮明に覚えている。
この時すでに次の契約を勝ち取ることができなかったとわかっているから、その事実が痛く冷たく感じた。私の進む方向はこっちでいいのかと、自分ひとりの人生なら、ここまで深く考えなかっただろうけど、この時の私には、自分よりも大切な存在ができていて、その彼を守るためにとにかく必死だったんだよね。
少し目を瞑ってみたけれど、不安や焦りで落ち着きがなくなっていたからなのか、朝4時半には目が覚めていた。そんな私の様子を察してか、息子もなんとなく目を覚まして、笑顔で「ママおはよう」とご挨拶。愛おしい。
ちょうどあと15分くらいで日の出の予想時刻だったので、二人で大浴場に向かった。ラビスタ函館ベイの最上階には大浴場があり、露天風呂は函館市街地を一望できる作りになっていた。
初めて息子と日の出の瞬間を見た。暗かった空が段々と明るくなっていく、濃藍の空が息子の好きな淡い紫色と私の好きな赤色寄りのピンク色に染まるよう。じわじわと、そこから雲ひとつない蒼空へと変化して行った。
私たちは、人気の朝食バイキングを食べたあとに早めにチェックアウトして、またベイエリアへ散策に出た。まだ息子は幼くて食べきれないだろうと思い、訪問を延期したラッキーピエロを見たあとに函館の海を見渡せるStarbucksに入り、大好きな抹茶ティーラテで少し冷えた身体と、だいぶ冷えきった心を暖めながら、はしゃぐ息子を眺めた。そんな時も頭の中は契約を打ち切られた仕事のことばかりだった。
契約が続かなかったことそのものにショックを覚えたわけではなかった。
あの日、私は一人のWEBライターとして依頼主から信頼されて仕事を請け負わせてもらったと思っていたけれど、実際に依頼主が私に期待していたことは仕事に全く関係ないことだったということがわかって、傷ついた。
詳しくは「あえて」書かない。被害者ぶりたくもないし、内容はどうであったにしても私のWEBライターとしての実力不足、且つ実力アピール不足だった事実は変わらない。この時、もっと強くなりたいと本気で思った。
息子を女ひとりで充分に守り切れるほど強くなりたいと。じゃあそこで私は「強さ」とはなんなんだろう、と考えた。
「ママ、みて」と息子の声にハッとする。この課題は札幌に戻ってから、ゆっくり向き合うことにしたらいいよね。
今はせっかくの息子との函館での時間を満喫しようと思えたのは、息子がものすごく幸せそうな笑顔で私を何度も呼ぶからだった。
夕方、帰りの電車がくるまで、本当によく遊んだ。函館ベイエリアで船に乗り、息子とふたりで人力車にも乗った。そのあとは函館駅前のビルに室内遊技場があり、四時間ほど私も息子も汗だくになるほどに遊んだ。



ここまでガッツリ遊べば、帰りの電車の中では息子も熟睡(笑)
息子の寝顔を見ながら、私はまた色々考える。今回の出来事もきっと自分の人生にとっていい経験だったに違いないと、今は一生懸命思おうと必死に自分に言い聞かせた。
スーパー北斗が札幌駅のホームにあと少しで到着するという時、私はiPhoneを開き、翌月の航空券を予約した。新千歳空港発、羽田空港着。滞在は5泊6日、最終日は息子の3歳の誕生日。
その翌々日から、私はすすきのでホステスになった。
つづきはまたどこかで。
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