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人生最大の危機①
母親が入院することになった。記憶が正しければ母親が入院するのは妹が生まれた時以来だ。
体調を崩したのは去年9月の半ばだった。
入院させるまで4ヵ月半もかかってしまった最大の理由は金と時間の問題だ。
物価高とインボイスのせいで貯金を取り崩す生活が続いている。ここで入院費など医療費を支払うとなったら破産してしまう。
また、看病のために仕事量を減らすというのは収入減、場合によっては失業につながるので、なるべくなら入院せずに済むようにしたいという思いもあった。
そして、母親が医者にかかりたがらないというのも放置してしまった要因だ。
9月の半ば、母親は入浴中にふらついてしまい床にひれ伏したような状態になった。立ち上がり、着替えるのに数時間もかかってしまった。
8月に比べればマシだが、その頃は連日33度前後の気温になっていたので熱中症になったのだろう。母親は元々、血圧が高く薬を常に飲んでいたが、普段からそんなに水分を取るタイプではなかったので、連日の暑さで血栓とかに悪影響が出たのかも知れない。
ただ、翌朝には普通に過ごしていたので、その時は軽い熱中症だと自分も母親も思っていた。
しかし、母親の様子は徐々におかしくなっていった。野菜を切ったり、皮をむいたりすることができず、カレーやシチューにタマネギを皮ごと煮込むようになった。即席ラーメンをゆでても麺がかたいままで食卓に出すということが増えた。
さらに、キッチンや洗濯機、風呂場などの蛇口をきちんと閉められずに水を出しっ放しにすることも目立つようになった。水道料金がかさむので怒ったこともある。
しかし、年金支給日になると定期的に血圧の薬をもらいに行っているクリニック=かかりつけ医があったので、そこで診てもらえばいいかと思い、その結果が出るまではいいやと思ってしまった。
そのクリニックで受けた健康診断の結果は持病の高血圧を除けば問題なしというものだった。
担当医は力が入らず料理ができなくなったり、蛇口を閉められないのも熱中症の後遺症がちょっと残っているだけという診断を下したので、それを信用してしまった。
しかし、母親の体力はその後も低下し、洗濯をすることもできなくなっていたし、食事をすると、ボロボロとこぼすようになっていた。
また、寝る時も段差をまたぐことができなくなったということで床に布団を敷いて直接寝るようになった。
そして、12月になると一気に体調は悪化した。
久しぶりに外食しようとしたが待ち合わせ時間を過ぎてもなかなか現れない。待ち合わせ場所に現れたのは約束していた時間から1時間近く経ってからだった。
その時、実際に母親の動く姿を見て驚愕した。
元々、足腰が弱くショッピングカートを使って移動していたが、この日は労働世代の成人が1分で歩ける距離を移動するのに15分もかかっていた。
だから、結局、この日は外食は無理だと断念することにした。
この日もかかりつけ医に診てもらっていたはずなのに、このかかりつけ医は問題なしと診断していた。だから、明らかに弱ってはいるが、とりあえず、命に別状はなさそうだと安心してしまった。
しかし、それから2週間すると、さらに体調は怪しくなった。風呂に入れば、脱衣スペースから自室までを水びたしにするようになった。体をふく力もなくなっていたのだろう。
そして、記憶もあやふやになっていった。そばを食べているのに大晦日であることを分かっていなかったり、餅を食べているのに正月だと分からなくなっていた。
また、自分が仕事や私用で一緒に食事を取れない時はすぐに食べられるモノを置いて、好きな時に食べてくれというのを以前からやっていたが、気が付いたら、菓子パンのようなものだけ食べて、カップスープやカップ麺には手をつけないようになっていた。
カップのビニールをはがしたり、かやくやスープの袋を切ったりすることができなくなっていたようだ。
それでも、正月休みが終わるまではだましだましではあるが、何とか生活は送れていた。
母親が突然、動かなくなったのは正月休みが明けて間もない1月7日のことだった。
※②に続く