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WBLC2023ワールド・ブルース・リー・クラシック2023「ドラゴン危機一発」4Kリマスター版→4K映像+1983年再公開時英語版(北京語主題歌入)

命日(7月20日)からはちょっと遅れてしまったが、今年は李小龍師父没後50年の節目の年だ。
それにあわせた企画は行われるであろうと思っていたので、この特集上映が実施されたことに驚きはない。ただ、「WBLC2023ワールド・ブルース・リー・クラシック2023」という野球のWBCに便乗した名称にしたのはダサいとは思ったが。

これまでにも節目の年にブルース・リー復活プロジェクトは行われていた。

没後10年となる1983年には、「ドラゴン危機一発」と「ドラゴン怒りの鉄拳」が2本立てでリバイバル上映されている。しかも、東映邦画系(現在はないシステム)での全国公開だ。

おそらく、その背景には、カンフー映画、香港映画のブームがあったのだと思う。

この年、ジャッキー・チェン出演映画が4本も劇場公開され、このうち、夏休み公開の「カンニング・モンキー 天中拳」は配収10億円超(現在の興収発表に換算すると16億円程度か?当時の一般入場料が現在の4分の3程度なので時価換算すると21億円程度か?)、年末公開の「キャノンボール2」は21億円(同じく興収換算だと35億円程度か?時価換算だと46億円程度か?)の大ヒットとなっている。
後者は日本ではジャッキー主演映画のように宣伝されているが、実際はオールスター共演作品でジャッキーの出番は多くないし、前者は当時アイドル的人気を誇っていたJACの面々が出演する日本映画「伊賀野カバ丸」との2本立て興行なので(そう考えると単純に配収を2本で割ると5億円超、興収換算で8億円程度、時価換算の興収で10.5億円程度ということになるが)、純粋にジャッキー人気によるヒットとは言えないものの、現在の洋画興行事情から考えれば、大成功と言っていいのではないかと思う。

また、1982年公開の「少林寺」の大ヒットを受けて、それまで日本未公開だった「少林寺への道」、「少林寺三十六房」といった少林寺を題材にした映画の公開が相次いだのもこの年だし、「Mr.Boo!」シリーズ(本当はシリーズものではないが)のサミュエル・ホイによる新たなシリーズ(こちらは本当のシリーズもの)「悪漢探偵」の1作目が日本公開されたのも83年だ。

だから、こうした作品群でカンフー映画や香港映画のファンになった人を取り込めるという思いもあったのだろう。

実際、自分はこのリバイバル上映を見て、師父に興味を持ち、その後、他作品もテレビ放送などで見るようになり、一気にファンになってしまった。というか、チャールズ・チャップリンと並び、尊敬する歴史上の人物として師父の名を挙げるようになってしまった。
 
しかし、自分のような者は多くはなかった。

盛り上がりに欠けた理由は大きくわけて2つあると思う。

その一つは師父が亡くなった年に公開された「燃えよドラゴン」やその後、後追いで日本公開された「危機一発」、「怒りの鉄拳」、「ドラゴンへの道」でファンになったリアルタイム世代の熱い思いを再燃させることができなかったからだ。

そうなってしまった理由は、日本初公開当時のものとは異なるバージョンで上映されたからだ。

初公開時、「危機一発」も「怒りの鉄拳」も東和(現・東宝東和)の配給だった。しかし、このリバイバル上映は東映の配給だった。
当時、東宝東和と東映はジャッキー映画の日本配給権をめぐり争っていて、結局、ゴールデン・ハーベスト(GH)製作の大作は東宝東和、旧作やGH以外が製作した新作、GH作品だがジャッキーが主演ではない「福星」シリーズは東映が配給という形になっていた。

おそらく、東映としてはにっくきライバルの東宝東和によって公開されたバージョンをそのまま流すことがプライド的に許せなかったのだろう。

しかし、この改悪により、リアルタイム世代の思いは再燃することはなく、逆に鎮火してしまった。

そして、もう一つの理由は、新たにカンフー映画や香港映画のファンになった人にとって師父の主演映画はテイストが異なるように思えたことだと思う。

ジャッキー主演のカンフー映画や少林寺ものの多くの作品は、主人公が修行を通じて強くなり、最終的に巨大な悪を倒すという展開のものが多い。

しかし、師父が演じるキャラクターは最初からカンフーの達人だ。せいぜい、周囲の人物に自分が達人であることを明かしているかいないかくらいの差しかない。

また、「ドラゴンへの道」のように随所にコミカルな描写が織りまぜられた作品もあるものの、基本は師父の映画はシリアス路線だ。ジャッキーやホイ兄弟のようなコメディ路線の作品でカンフー映画や香港映画を好きになった人にはとっつきにくい面もあったのではないだろうか。

そういうわけで、80年代終盤になるとテレビで師父の映画を見る機会もめっきりと減ってしまっていた。

そして、90年代になると日本でのジャッキー人気も低下してしまい、香港アクション映画自体の存在が日本では希薄になってしまった。

そんな師父やカンフー映画に対する熱い思い、リスペクトの念が再燃するきっかけとなったのが1995年に刊行されたムック「ブルース・リーと101匹ドラゴン大行進」だ。このムックは映画秘宝シリーズとして発行されているが、この成功が後に秘宝の月刊誌化につながったことは言うまでもない。そして、それまではカウンターカルチャー側だったはずの町山智浩とその仲間たちが調子こくようになり、権力と化すようになったのもこれがきっかけだ。

秘宝や町山の話は置いておこう。

同書が話題となったことで、ブルース・リー再評価の機運が高まったのは事実だ。

それを受けて、25回忌となる1997年に師父関連作品が一挙に再上映された。没後25年の1998年でないのは謎だが、おそらく、「101匹ドラゴン」の熱が冷めないうちにやってしまおうという判断だったのだろう。

いずれもミニシアターや独立系の劇場での上映だったが、レイジング・サンダーの配給で「危機一発」と「ドラゴンへの道」、ヘラルドの配給で「燃えよドラゴン」、東宝東和の配給で師父の死後に代役を立てて完成させた「死亡遊戯」が相次いでリバイバル上映されたほか、キングレコードの配給で「ブルース・リーの生と死」というドキュメンタリーも公開された。自分は当時、この5本全てを劇場で見ている。

その後、何度かブルース・リー作品の再上映は行われているが、自分が見ることができたのは、1999年に〈ディレクターズ・カット デジタル・バージョン〉で上映された「燃えよドラゴン」と、2013年に午前十時の映画祭のラインナップの1本として上映された同じく「燃えよドラゴン」だけだ。

2020年には師父の生誕80年を記念した企画「ブルース・リー 4Kリマスター復活祭2020」が実施されたが、上映館のほとんどが4K非対応、対応している劇場も夜1回の上映のみという感じで見る機会を失していた。

今回のWBLCはこの2020年のラインナップ(「危機一発」、「怒りの鉄拳」、「ドラゴンへの道」、「死亡遊戯」)に、「死亡遊戯」同様、死後に作られた「死亡の塔」を加えただけの安直な企画だったりもする。

そして、相変わらず、4K非対応の劇場はあるし、新宿ピカデリーは1週目こそ4K対応だったけれど、上映は夕方以降のみ、しかも上映作品は日替わり。さらに、2週目からは4K非対応となっていたので、今回も参戦することなく終わってしまうのかと思っていた。

ところが、4K対応劇場であるヒューマントラストシネマ渋谷で、1日1回のみの上映で上映作品も日替わりではあるものの、日中に見られることがわかり、急遽参戦することにした。

見ることになったのは「危機一発」だ。先述した1997年の再上映時に見て以来だ。83年のリバイバル上映、その後のテレビでの再放送、90年代に主演作品のLDボックスセットが出た際の鑑賞を含めて見るのは5回目となった。

久しぶりに見た印象としては、まぁ、テンポは最近の映画に比べると緩いよねとは思った。あと、映画館の冷房が効きすぎて、それが眠気と尿意を呼び込む結果となり、不完全燃焼な鑑賞となってしまった。

ただ、四半世紀前に見た時はそんなに意識していなかったことを実感することができた。

それは、結局のところ、「怒りの鉄拳」も「ドラゴンへの道」も「燃えドラ」も「危機一発」のアレンジに過ぎないということだ。

表向きは普通のビジネスをやっているように思わせておきながらカゲで麻薬や売春絡みの犯罪に手を染めている組織に潜入し悪事を暴くというストーリーは「燃えドラ」と同じだ。同作は本作をスケールアップしただけという言い方もできると思う。

また、拘束されるか撃たれるかの違いはあるものの、孤独な戦いを終えた主人公が警察に罰せられるという終わり方は「怒りの鉄拳」に通じる。まぁ、どんなに正義のためという名目であっても私刑を下すのは犯罪行為だからね。意外とこういうところはリアリティがある。

それから、最初は弱いと思われていた主人公が実は強いということが周囲の者にも理解され信頼されるようになるが、行き違いから仲間から裏切り者のように思われ孤独な戦いを強いられることになるという展開は「ドラゴンへの道」に通じるものがある。

あと、主人公が女性に苦手というか、童貞臭みたいなものを漂わせているのも「ドラゴンへの道」のプロトタイプかな。売春婦とのやり取りは「燃えドラ」にも似ている。

そして、本作の主人公が叔父から“ケンカは禁止”と言いつけられていたのも(結局はその約束を破ってしまうが)、ブルース・リー本人の素行があまりにも悪いから香港を出て米国で生活するよう親に命じられたことのメタ的な設定なのだろうか。四半世紀前に見た時はそれを意識しなかったが、今見るとそうとしか思えない。

それにしても、死後50年経ってもブルース・リーに新たにハマる人がいるというのはすごいことだと思う。

その最たる理由は主演映画がたったの4本しかないから後追いしやすいということなんだと思う。

ジャッキー・チェン出演映画は200本以上あると言われているが、無名時代の作品やスタントマン扱いの作品を除いた主演や主要キャラを演じた作品だけでもかなりの本数になる。

クリント・イーストウッドは監督作品に限定しても約40本ある。黒澤明の監督作品は30本だ。

「男はつらいよ」シリーズは特別編や事実上の総集編プラスαである最新作を除いても48本。「007」シリーズは原作の映画化権を持つ(一部作品を除く)プロダクションによって作られた作品だけで25本。映画「ドラえもん」シリーズは正規の作品としてカウントされるものだけでも43本(来春公開予定作品を含む)もある。

チャールズ・チャップリンは、初期の短編やアメリカを追放されてからの作品、ドキュメンタリーを除いたファースト・ナショナル及びユナイテッド・アーティスツ時代の作品だけでも16本ある(プロパガンダとして作られた短編はカウントせず)。

こうした俳優や監督、シリーズものの諸作と比べればブルース・リー作品はチェックしやすいと言えるのではないだろうか。

赤ちゃんの頃から映画に出ていたし、子役・少年スターとして香港では人気もあったらしい。でも、日本や米国などのファンからすれば見る機会の少ない作品ばかりだ。
また、米国で活動していた時期にはテレビシリーズ「グリーン・ホーネット」で主人公の相棒役という大きな役も得ているが、この時期の出演作品はほとんどがチョイ役だ。

死後、多くの関連作品が公開されたが、ほとんどはドキュメンタリーで純粋な新作映画と言っていいのは「死亡遊戯」と「死亡の塔」だけだ。
その2本だって、主演映画と呼べる内容ではない。「死亡遊戯」は同作における黄色いトラックスーツ姿がブルース・リーの代名詞のようになっているが、生前撮影された本人による演技はわずか10分程度と言われている。「死亡の塔」はもっと酷い。実際の師父の演技を使ったのは数分と言われているし、それもこの映画のために撮ったものではないらしい。

つまり、米国から香港に戻ってきて急逝するまでの数年間に香港映画として作られた4本(「危機一発」、「怒りの鉄拳」、「ドラゴンへの道」、米国と香港合作の「燃えよドラゴン」)だけが、きちんとした主演映画ということになる。

ジェームズ・ディーンだって主演作品はたったの3本だから後追いしやすいでしょと言う人もいるだろうが、そのうちの1本「ジャイアンツ」は3時間21分の長尺ものだから、そう簡単に見ようという気力は起きない。
でも、師父の作品はどれも復讐もののカンフーアクション映画だからとっつきやすいし、そりゃ、新規がつくよねって思う。

《追記》
字幕に時代を感じる…。
リバイバル上映用に翻訳し直していないんだろうね。“⚪︎⚪︎したまえ”という翻訳スーパーは1970年代ではよくある言い回しだろうが、2020年代のものではないよね。日本映画の日本語の台詞なら当時の言い回しのままでも気にならないし、洋画や海外ドラマでも当時、録音された吹替版なら何とも思わないが、字幕だと違和感あるかな…。

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