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ゆとりですがなにか インターナショナル

ゆとり世代の定義は曖昧だ。

団塊の世代や団塊ジュニアのように明確に何年から何年生まれと言われているわけでもない。まぁ、その定義通りなら団塊の世代に含まれない年齢の人が平気で自分は“団塊だから”とか言っていたりもするので定義が曖昧なのはどの世代も同じかも知れないが…。

団塊ジュニアの上の世代と言えばバブル世代だが、バブル期の定義もその時によって、コロコロ変わってしまっている。

少なくとも2000年代前半はバブル期≒80年代後半という定義付けがされていた。
だから、2007年の映画「バブルへGO!! タイムマシンはドラム式」で90年3月に当時の大蔵省から金融機関に対して行われた総量規制のせいでバブルが弾けたという説が展開された際にはわずか数ヵ月とはいえ、何か違うのではと思ったくらいだ。

よく、バブル期の象徴として91年にオープンしたジュリアナ東京をあげる人がいて、それは間違いだと指摘しなくてはならなかったが、最近では91年どころか、92年、場合によっては93年あたりまでをバブルとしている説もあるので、ジュリアナをバブルのイメージで語るのは間違いとは言えなくなっているような気もする。
実際、自分の肌感覚でも、会社側が深夜タクシーの利用や立て替えでうるさくなってきたのは93年の秋あたりからという感じなので、バブル期を93年あたりまでとすること自体は全面的に否定はしない。

ただ、バブル期の定義の修正には政治的な意図を感じずにはいられない。

どう考えても、バブルが崩壊した最大の要因は89年に導入された消費税だ。でも、それを認めてしまうと、政府は消費増税ができなくなってしまう。だから、消費税導入の時期とバブル崩壊の時期を少しでも離して、崩壊の原因が消費税ではないと洗脳しようとしているのだと思う。

ゆとり世代の上の世代は氷河期世代とされている。政財界はなるべく、自分たちが作ってしまった貧者の数を少なく見せるため、この世代の数を少なくしようとしているが、実際には政財界の定義では省かれてしまう人数の多い団塊ジュニアもこの世代に属している。

バブルにしろ、氷河期にしろ、政財界は歴史修正して責任逃れしているとしか思えない。

そんな、バブルや団塊ジュニア・氷河期といった浮き沈みの激しい人たちに続いて登場したのがゆとり世代だ。

暗記させるだけの詰め込み教育だと結局、試験が終わったら全てすっかり忘れてしまい何の意味もない。だから、きちんと物事を理解する時間=ゆとりを持って勉強しようという趣旨は分からないでもない。

でも、そんな詰め込み教育だって、きちんと膨大な量のデータをインプットできていた児童・生徒はいた。しかし、提供されるデータ自体が減れば、そうした優秀な子どもが咀嚼できる分量も減ってしまう。そりゃ、日本の学力が低下するのは当たり前だ。

そして、ゆとり世代の最大の問題と言っていいのが、この“ゆとり教育”を進めたのが、当時、力を持っていた日教組だったということだ。

ネトウヨの主張のように、日教組によって反日教育が行われたとは個人的には全く思わない。

問題なのは、人類皆きょうだい的な(笹川っぽい時点で胡散臭いが…)思想を植え付けたことだ。

徒競走では全員一等賞、お遊戯会の舞台では全員主役なんていう平等主義を洗脳したせいで、この世代は政治家にしろ、芸能人にしろ、何にしろ問題を起こした人を批判できなくなったし、問題提起する人を厄介とかクレーマーと思うようになった。そして、どんなにクソな映画やドラマを見ても絶賛しかできなくなってしまった。平等ということは不正を行った者やいい加減な仕事をした者にだって人権はあるということだからね。

ところが社会に出て彼等は驚愕することになる。それは世の中は全然平等ではないからだ。

どんなに努力しても、実力や才能以外の要素で評価される。主役に選ばれる人間なんて、選考が行われる前に既に決まっていたりもする。
しかも、批判するなと洗脳してきた日教組と基本思想とニアリーイコールである左派野党が誰よりも政権与党を批判している。

だから、マナー的なことのみならず、歴史なども含めて学校で習ってきたことは全てウソだと思うようになり、反対の思想のネトウヨになってしまったのだろう。

そういう意味で非常にゆとり教育というのは罪深いものだったと思う。

そんなゆとり世代の若手社会人たちを描いたドラマが2016年に放送された「ゆとりですがなにか」だった。自分はこの頃、職場の派閥闘争に巻き込まれたりして精神的余裕がなかったため、途中までしか見ていないが(ただし、2017年に放送されたスペシャル版はきちんと見た)、ステレオタイプな描写が過ぎるもののゆとり世代以外の世代が見たゆとり像というのはそれなりに描けていたとは思う。

ただ、本シリーズからは7年以上、スペシャルからも6年経っているし、そこまで大人気というほどでもなかったので、何故、今更、劇場版が作られたんだと言いたくはなる。

まぁ、本作の背景にはZ世代というゆとりよりもさらに下の世代が登場し、連日のようにこの世代の消費行動や社会意識などがネットニュースを賑わせていることがあるのは間違いないとは思う。

バブル世代や、団塊ジュニア・氷河期から見たら、やる気のない連中にしか見えなかったゆとり世代も結局、老害化し、Z世代に対して、“今の若い連中はなっていない”と批判するようになっている。結局、ゆとりもその上の世代と同じ老害コースを歩んでいるよねというのを面白おかしく描きたかったのだろうということはよく分かる。

そして、この世代は日教組教育の反動で自民党的・ネトウヨ的価値観に洗脳されているのが多いから、外国人だらけになってしまった日本に忸怩たる思いを持っていることは間違いない。

だから、本作のサブタイトルは「インターナショナル」になっているのだろう。

しかし、韓国人だろうと中国人だろうと欧米人だろうと関係者なくステレオタイプな外国人描写で描いているのには呆れてしまうし、教師をやっているキャラが外国人の児童のみを呼び捨てにするような人種差別をしているし、見ていて不快になった。こういう低レベルな人種ネタのギャグで面白いと思っている監督や脚本が通用するのは日本だけだよ。

下ネタも中途半端だしね。作中で言及していた「ハングオーバー!」シリーズくらい突き抜けていれば下ネタやステレオタイプだらけの作品でも楽しめるんだけれど、日本の映画やドラマってのは変なところで保険をかけるから、ただの差別主義者が作った下品な作品になってしまうんだよね。

それにしても、テレビドラマ版から7年も経ったが、この間に人気や知名度、評価が上がった役者だらけだよね。まぁ、ぱるるは当時より人気や知名度は低下したけれどね。でも、本作のぱるるはかなり可愛い!

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