どん底作家の人生に幸あれ!(クソ邦題)
洋画の邦題が酷いのは今に始まったことではないし、日本映画が海外で公開される時だって、そのまま直訳したタイトルで公開されていないものも結構ある。
でも、コレは酷いでしょ。何しろ原作は、文豪チャールズ・ディケンズの名作文学「デイヴィッド・コパフィールド」なんだからね。
別にデイヴィッドがデヴィッドやデイビッド、デビッドになったり、コパフィールドがコッパーフィールドやカパフィールド、カッパーフィールドになったりするのは構わない。でも、デイヴィッドもコパフィールドも出さずに、「どん底作家の人生に幸あれ!」なんていうどっかで聞いたような汎用型の邦題にするのはないでしょ!せめて、作家という言葉を使うならディケンズを匂わせる文言を入れるべきだと思う。
まぁ、今回の映画の原題は原作そのままの「デイヴィッド・コパフィールド」ではなく、「ザ・パーソナル・ヒストリー・オブ・デイヴィッド・コパフィールド」と文言が追加されているが、それでも、「デイヴィッド・コパフィールド」の名称は残っているから、原作やディケンズに興味がある人なら、“見たい!”と思うようになっている。でも、この邦題ではきちんとチラシや新聞・雑誌などの文章を読んだり、予告編を見たり、海外の映画情報をチェックしたりということをしていない人には何の映画か全く分からないと思う。原作やディケンズのファンの足を映画館に運ばせるチャンスを失っているとしか思えない。まぁ、デイヴィッド・コパフィールドという固有名詞を出すと、マジシャンのデビッド・カッパーフィールドの話と勘違いするのが多いから外したという配慮もあるかもしれないが。
もっとも、ディケンズの名著の映画化作品の邦題が酷いのは今に始まったことではない。クリスマス・ストーリーの最高峰「クリスマス・キャロル」を80年代風にアレンジした作品は、主演が日本では「ゴーストバスターズ」で有名になったビル・マーレーということで、「3人のゴースト」なんていうとんでもない邦題にされてしまった。原題は「クリスマス・キャロル」の強欲な主人公の名前にちなんで、英語でスクルージという言葉が守銭奴という意味で名詞化され、なおかつそういう行為をするという意味で動詞化されていることから、「スクルージド」となっていたが、邦題は「クリスマス・キャロル」やスクルージからは離れたものにされてしまった。もっとも、原作を知っている人なら、「3人のゴースト」という文言を見聞きすれば、「クリスマス・キャロル」を想起できるので、今回の「どん底作家の人生に幸あれ!」よりかはかなりマシだとは思うが。
そういえば、最近も名作文学の映画化作品の“クソ邦題”で炎上したケースがあった。ルイーザ・メイ・オルコットの「若草物語」が、「ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語」というワン・ダイレクションのヒット曲を劣化させたようなタイトルに変更されてしまったことに対して、多くの文学ファン、映画ファンが文句を言った。そりゃそうだ。まぁ、サブタイトルの「わたしの若草物語」の部分は今回の「どん底作家の人生に幸あれ!」の原題「ザ・パーソナル・ヒストリー・オブ・デイヴィッド・コパフィールド」に近い部分があるような気もするが、でも、あくまでメインタイトルは「ストーリー・オブ・マイライフ」だから、「若者物語」を表に出す気はないんだろうなという気がする。
結局、こういう邦題を付けるっていうのは、今の日本人、特に映画業界が映画館に来て欲しいと思っている30代以下の層があまりにもモノを知らなさすぎるからなんだろうね。だから、とりあえず、ちょっと感動できる作品だよアピールする汎用型のクソ邦題になってしまうんだろうね。
ミニシアター系作品を見るような40代以上の人なら、実際に読んだことがあるかは否かは別にしても、ディケンズも「デイヴィッド・コパフィールド」も知らない人なんて皆無に等しいと思うので、素直に「デイヴィッド・コパフィールド」を出した方が集客につながると思うのだが、配給側は40代以上の映画ファンに来てもらっても増収にはつながらないと思っているんだろうね。こういう人たちは見たい映画があれば、1人でも映画館に行くからね。
でも、30代以下のミニシアター系作品にそれほど興味がない、つまり、ディケンズを知らないような世代は、連れと一緒に映画館に行くことが多いから、1組でも多くこういう人たちの足を映画館に運ばせたい。だから、その作品が感動系か爆笑系かなどが一発で分かる没個性的な邦題を付けるんだろうね。
それしても、30代以下の日本人の無知さ加減には呆れるばかりだ。
ここ数年、米津玄師やあいみょん、Official髭男dismなどといったアーティストが邦楽界の救世主みたいな扱いをされているが、個人的には90年代までの音楽を現在の技術で焼き直したものにすぎないと思っている。勿論、彼等の楽曲は好きだし、あいみょんなんかはライブに行ったことさえある。でも、“全然新しい音楽ではないよね”って指摘すると、老害扱いされてしまうんだよね。
最近では、Adoの「うっせぇわ 」という曲が人気を集めているが、コレなんかもそう。歌詞の中では“二番煎じはもう飽きた”みたいなことを歌っているが、40代以上のリスナーが聞けば、誰もが、チェッカーズと椎名林檎をつぎはぎした。というか、ハッキリ言えば、パクッた曲にしか聞こえない。歌い方はモロ、椎名林檎だしね。そして、歌詞全体に漂う“この支配からの卒業”的思想は尾崎豊か?彼女自身、椎名林檎からの影響は語っているし、おそらく、チェッカーズや尾崎豊の影響は彼女の親などから無意識のうちに引き継がれたのだと思う。それは、あいみょんにスピッツっぽいところがあるのと似たようなものだと思う。だから、アーティスト側は半ば確信犯的に過去の音楽のパクリをやっているんだと思う。
問題なのは、若いリスナーの方なんだよね。過去の楽曲やベテランアーティストについて何も知ろうとしないんだよね。今の40代以上のリスナーは、あるアーティストを好きになったら、そのアーティストが好きだったアーティストも聞くし、あるジャンルを好きになったら、そのジャンルで名盤とか名曲と呼ばれている作品もチェックするけれど、今の若いリスナーはそういうルーツ探訪的なことをしないんだよね。なので、年上の人たちから、“○○の曲は×︎×︎と似ている”と指摘されても、元ネタを知らないから、“自分たちが好きな新しいものを理解できないから攻撃してくる老害”としか考えられなくなってしまっているんだよね。
この現象が一番酷いのがSixTONESのファン。何にしろ、約60年間のキャリアを持つザ・ローリング・ストーンズのファンに対して、“ストーンズと呼んでいいのはSixTONESだけ。ローリング・ストーンズはローリング・ストーンズと呼べ。あるいはローリングでいいだろ”とか言ってくるんだからね。本当、酷い…。もっと、過去の作品やベテランアーティストをリスペクトしようよって思う。
話を元に戻すが、実際に映画館で鑑賞してみると、無知な若い層にアピールしたクソ邦題にしても、結局、ミニシアター系の上映作品だから、やって来る観客はほとんどが40代以上なんだよね。本当、クソ邦題の意味がない。
まぁ、そういう観客層だから、当然、リアルな老害も多いので、マスクをせずに鑑賞しようとして、スタッフに注意されていたのがいたけれどね。本当、感染の危機と闘いながら老害対策もしないといけない映画館のスタッフは大変だよなと思う。そんな苦労の連続で意識があやふやになっているのかどうかは定かではないが、最初、自分は本作を上映するスクリーンとは別のスクリーンに通されてしまったけれどね。
と、長々と作品に直接関係ない話ばかりしてしまったが、最後に本作の感想を。
アジア系や黒人が何の説明もなく主要キャストになっている上に、何の説明もなく親子で人種が違ったりするのは、ここ最近の欧米のエンタメ界の偏りすぎたポリコレの影響だと思う。
個人的には、こういうのは大嫌いだ。やっぱり、その作品の舞台となっている時代に合わせたキャスティングをすべきだし、原作ものなら、尚更、そうすべきだと思う。
ただ、そういう不満を抜きにすれば、全体としては良作だったと思う。ちょうど2時間くらいしかない上映時間なのに2時間半くらいの時間に感じたので、テンポは若干悪いのかなとは思うが。
あと、台詞を喋っているキャラの後ろで映像が映写されているといった演劇的・メタ的な演出は見る人によっては、毛嫌いするかもしれないとは思った。
でも、「恋におちたシェイクスピア」にも通じる、作中で作家が書いている作品と、その周囲で展開するストーリーがクロスするような構成は個人的には評価したい。
それから、善人そうな人でも無意識のうちに人を見下すことを言っているし、本来なら被害者側の人間、たとえば貧困層でも腹黒い奴はいるし、平気で人を騙すような人間でもいざという時には力になってくれるのもいる。人生って、そういうもんだよねってのを改めて認識させてくれる作品だと思った。まぁ、号泣とはいかないけれどウルッとは来たかな。だから、ディケンズを知らない層に向けて人生応援讃歌みたいな作風アピールでクソ邦題で釣ろうとしているんだろうね。
とりあえず、今年になってから映画館で見た新作映画では今のところ、これが一番良かった。
二度目の緊急事態宣言発令後の公開予定作品では、公開延期となったのは「エヴァ」や「ヤマト」、「ザ・ファブル」、「ザ・スイッチ」といった限られた作品のみで、多くの作品は予定通り公開されたが、結局、それって、作品の出来に自信がないから、緊急事態宣言下だろうとなんだろうと、強行公開して劇場公開作品としての箔を付けたかったんだろうなと思った。逆に延期された作品は、それなりに自負があるから、上映回数が減らされた中で注目されずに公開するのは勿体ないって思いがあるのかな?
まぁ、本作は作品内容には自信があっても、ヒットする自信はなかったから強行公開したってパターンかな?