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モネ 睡蓮のとき@国立西洋美術館

コロナ禍に入って日時指定制の展示会が増えていたがこれの前売り券はそうなってはいなかった。おそらく、この日時指定制は不評だったのだろう。

近年の展示会は美術ファン以外の集客に注力しすぎと言っていいほどで、音声ガイドに人気俳優や声優を起用することに躍起になっている。

そうした状況で日時指定制を導入すれば、その俳優や声優のファンの予約で埋まってしまい、本来のその展示作品や作家のファン、美術ファンはチケットを購入できなくなってしまう。

また、展示会というのは映画や演劇、ライブ、スポーツとは異なり自分のペースで見ることができるのが最大の利点だ。

途中入退場を考えなければ、映画は上映時間、演劇やライブは上演時間の数時間は全ての観客が拘束されるし、スポーツだって、試合が終了するまでは拘束される。



でも、展示会はそうではない。

例えば、100点の展示作品があれば、そのうちの気に入っている数点だけをじっくり見て、あとは素通りでもいいし、全ての作品を凝視してもいい。つまり、展示スペースの滞在時間が人によって30分にもなれば3時間にもなるということだ。

また、映画や演劇、ライブは相手が提供したものをそのまま見なくてはいけないが、展示会は自分の好きな順番で見てもいいことになっている。これも来場者によって鑑賞時間や滞在時間が異なる理由の一つだ。

それに本来、展示会は演劇やライブのように指定された日時のワンチャンスのために全力集中するものではなく、時間に余裕ができた時にふらっと立ち寄るようなものだ。少なくとも美術ファンにはそういう人が多い。何故、ふらっとあいた時間に立ち寄るのかと言えば、先述したように、鑑賞時間・滞在時間をコントロールできるからだ。

しかし、日時指定制ではこうした楽しみ方はできない。少なくとも1時間以内には見終わらないとならないというプレッシャーが与えられてしまい落ち着いて見ることができない。

また、主催サイドとしても日時指定にするとその時間帯に入場できる客の数が限定されてしまう。人気の展示会であれば、たとえ、場内がまともに作品を見られる状況でなくても、詰め込めるだけ詰め込みたいというのが本音だろう。
世間がコロナで騒いでいた時は入場制限をせざるを得ないだろうが、今はそれよりもインフレや為替レートによる負担の方が深刻だから、1人でも多くの客を入れたいというのが本音なのだろう。

でも、前売り券購入者も当日券購入者も関係なく同じ列に並ばされるのは仕切りが悪いと言わざるを得ないと思う。

そして、場内に入るとさらなるストレスのオンパレード!クロード・モネの作品、特に睡蓮を見てぺちゃくちゃとしゃべっている連中の気が知れない。話題になっているから、モネや睡蓮、印象派に対する興味はそんなにないが、アミューズメントパークへ行くよりは安いしって感じで来ているんだろうね。
モネの作品を見たら心が穏やかになりぺちゃくちゃ話そうって気にはならないんだけれどね。

ところで、国立西洋美術館は日本の美術館・博物館では数少ない、“常に”常設展をやっている本物の美術館・博物館だが、この常設展の展示作品を見ている女性グループが写実主義の作品を見て“リアル過ぎる”と“酷評”していたことが気になってしまった。

モネなど印象派の絵画が日本人に好まれる現象と、日本のアニオタがいまだにCGアニメーションを毛嫌いする、特撮オタクがミニチュアを好みCGやVFXを嫌う理由ってこれなんだなと思った。

結局、日本人ってリアルに写し取った絵が嫌いなんだよね。リアルに描くなら写真でいいということなんだろうね。

ところで、「睡蓮のとき」というタイトルを見れば分かることなんだけれど、この展示会って現在、見ることができる「睡蓮」を可能な限り集めた展示会ではなく、「睡蓮」を手掛けた時期の作品を集めたものだったんだね…。いろんな「睡蓮」を見て瞑想タイムに入ろうと考えた自分が浅はかだった…。

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