デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 後章
解散(公式サイドはエンディングと呼んでいるが)までカウントダウン状態となっているでんぱ組.incがAnimelo Summer Live(アニサマ)に出場決定というのは驚きのニュースだった。
これまでにもアニメ関連のタイアップ楽曲は何曲かあったし、元々は秋葉原を拠点に活動していたのだから、出場資格は十分にあるとは思う。まぁ、アニソンイメージはあまりないかも知れないが。
とはいえ、ワイドショーやスポーツ紙で話題にしてもらうために、いくらアニメタイアップ曲が話題になったとはいえ、アニメやアニソンとは本来関係のない芸能人、アーティスト枠の歌手、例えば、氷川きよしとか鈴木雅之あたりが出るよりかは納得のいくものだと思う。
今回、出場を決めた理由は、解散を控えたでんぱ組がアニサマに出るという芸能ニュース的な話題提供も勿論あるとは思うが、単なる話題作りでない正当な選考理由として主張できるのがこの「デデテデ」前後編に彼女たちの代表曲“あした地球がこなごなになっても”が使われたことがあるのではないかと思う。前章ではインスト版のみの使用であるのにもかかわらず、同曲の再評価に繋がったが、この後章では本人たちの歌唱バージョンで使われている。
まぁ、この曲がリリースされたのが2015年9月と9年近くも前であることには驚いてしまうが…。そして、こういう言い方は失礼かも知れないが、この曲がリリースされた時がでんぱ組の人気にしろ、楽曲のクオリティにしろ、ピークだったことは否定できないよねと思う。
同曲はオリコンでは自己最高位タイの2位だし、オリコンの集計によると最も売れたでんぱ組のシングルはこの曲の1つ前の“おつかれサマー!”(最高位3位)だし、その“おつかれ”でMステにも出演したし、“あした”のリリース時にはEテレの番組で特集されたりもしたから、熱心なファンが何と言おうとピークは2015年だったと思う。
そして、通常、アニサマは大型アイドルフェスの@JAM EXPOと被りまくりの開催日程なのに、今回、アトジャが9月開催となったのは、でんぱ組対応シフトなのではないかと思えて仕方ない。
ひと昔のように、ドルオタとアニオタは犬猿の仲ではなくなり、両方を兼任しているオタクも多い(自分はひと昔前から兼任中)。
DIALOGUE+のようにこれまでは同時期開催だったアニサマとアトジャの両方に出るユニットもいるし、代々木アニメーション学院が指原系アイドルの運営をやっていたりするし、アイドルアニメは毎クールのように放送されている。
なので、アイドル、アニメ双方の界隈の垣根はなくなっている(まぁ、アニソン現場では相変わらずMIX否定論者が多いが)。
そう考えたら、オタクに両方に足を運んでもらった方が、同じオタク業界、音楽業界としてウィンウィンだよねって思うのが普通だから、これが正しいスケジュールという気はするかな。
それにしても、この“あした”はまるで「デデテデ」のために書かれた曲のようだ。原作者の浅野いにおが同曲の作詞家であり、楽曲リリース当時の彼の最新連載作品が「デデテデ」であることを考えたら、思想的にリンクしていても何の不思議もないんだけれどね。
今回の後章で同曲が流れるシーンでは思わずウルッとしてしまったくらいだ。
作品自体は非常にテンポが悪く、まだ終わらないのかよと何度も思ったほど退屈な作品であったのにもかかわらずだ。
前作の後半で提示されたW主人公の1人の過去に関する深追いもほとんどなく、もう1人が要はマルチバースの別世界からやって来たからその過去は今の世界の話ではないと片付けて終わり。謎が謎を呼び、主人公たちに対して嫌悪感すら抱きたくなる展開が良くも悪くもクリフハンガーになっていたのに、本作ではそれが活かされているようには思えなかった。
まぁ、侵略目的の異星人が巨大な円盤で襲来し、都内上空に居座り、政府側は地上に降りてきた異星人の偵察部隊を捕獲して殺害したりしているのに、この問題に感心を持たず、逆に政府の対応を批判したりする団体を冷笑したりする一般市民の描写はよく描けていたと思う。
現在の自民党がやっていることは一部の大企業の正社員以外は恩恵を受けられない悪政なのに、それを批判せず、逆に批判している人たちにレッテルを貼り、非国民扱いしている現実世界の大多数の日本人の姿そのものだしね。
また、侵略者に対する迎撃に失敗し放射性物質のようなものが撒き散られされる結果となった8.31と呼ばれる大惨事が起きて以降、人々が政府を批判しなくなったという描写は言うまでもなく東日本大震災および福島第一原発事故のメタファーだ。
日本人が悪政をしている政治家のみならずあらゆることに対する批判をしなくなった契機は3.11とも呼ばれる東日本大震災だった。この時の民主党政権批判が日本国民の大多数が最後に行った政権批判だった(正確にはこの時の菅直人政権の後処理をした同じく民主党の次の野田政権まで)。
大きな震災・天災・人災などを機に人々が保守化して、政権を批判しなくなり、批判する人が非国民扱いされるというのは、同時多発テロ発生から数年間の米国でもそうだった。そうした描写は非常にうまく描けていたと思う。
ただ、テンポが悪いし、W主人公の隠された秘密(前章で明かされた主人公Aの正義のためなら殺人も厭わないという極端な性格と、後章で明かされたBが実は別のマルチバースの人間だったという設定)に対する言及がわずかで、途中からこの2人でない者が主人公となってしまっているのはどうなんだろうかと思った。
そして、一番呆れてしまったのが侵略により発生した災害の状況を伝えるニュースでアナウンサー(記者?キャスター?)が発した言葉だ。
“昨夜未明”って何だよ!
何か“昨夜”とか“未明”という言葉がニュースっぽいから使っているだけでしょ?“昨夜”と“未明”はどうやってもセットになる言葉ではないぞ!
“未明”という言葉は直訳すれば、まだ夜が明けていないという意味だ。まだ夜が明けていないという言葉を使っていいのは、夜の中間地点である真夜中=午前0時を過ぎてからだ。それまでの時間、つまり、朝や昼から見た昨夜は100%夜であり、未明ではない。
よく、地下アイドルがイベント告知で“明日的な今日”という言葉を使う。これは、地下アイドルには遅寝遅起きの者が多く、彼女たちが寝る時間は大抵、日付けが変わってからであることに起因する。
でも、彼女たちにとって起きている時間では日付けが変わった気分になっていない。一度寝て目覚めてからが明日だと思っている。とはいえ、彼女たちのファンであるカタギの人たちは普通に夜寝て朝起きるから、午前0時過ぎに当日のイベントの告知をする際に“明日”という言葉を使うと日程を勘違いされてしまう。しかし、自分の気分はまだ日付けが変わっていないから、こういうワケの分からない言葉を使って告知することになる。
おそらく、アニメや漫画に関わる人間も地下アイドル同様、遅寝遅起きの夜型が多く、目覚めた昼の視点で見ると、午前0時以降の“未明”と呼ばれる時間帯を“きょう未明”とは思えないから、“昨夜未明”なんていうアホな言葉を使っているのだろう。
でも、いくら原作者や脚本家・監督が夜型生活で“未明”という言葉の意味を理解できていなくても、原作基準で言えば編集者、アニメ基準で言えばプロデューサーがこの言葉をおかしいと指摘できないのはダメでしょ。
“未明”という言葉の意味を理解できない奴等が社会的メッセージを込めた映画を作ってもウソくさいものにしか見えない。
この程度の認識がない奴が作った似非社会派作品を絶賛する奴もアホだ。
なので、この2部作アニメ映画に対する評価はクソ映画ということにしたいと思う。