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オリジナル朗読劇「海辺の街でもう一度、あの日の彼女に会えたなら」再演 ②9/2(土)昼公演

本公演は2022年2月に上演された朗読劇「海辺の街でもう一度、あの日の彼女に会えたなら」の再演バージョンだ。前回はそれぞれ1時間程度しかない前編と後編を別公演としてチケット販売するというかなりアコギなやり方をしていたが、今回は前編と後編を一体化して一つの作品として上演するという非常に真っ当な構成に変更されている。まぁ、当然だよね。ちなみに自分は前回はスケジュールの都合で前編に相当する部分しか見られなかった。

それにしても驚くのは馬嘉伶の舞台出演の多さだ。本作は今年5作目の出演作となる(自分にとっては4作目の鑑賞)。

最近、AKB48からの卒業を発表するメンバーが続出しているが、その中には、劇場公演以外の仕事がほとんどない人、チーム制廃止でその劇場公演すら出られなくなりそうな人、本田仁美のような超選抜と色々なポジションの人が含まれている。
まちゃりんは、表題曲にはほとんど縁のないメンバーではあるが、このように演技を中心に外仕事は多い。果たして、彼女は卒業を発表するのだろうか?今後はどうなるのだろうか?

そんなわけで本公演では前回は見られなかった後編パートを初めて見ることができた。

まぁ、予想通りの展開だった。

前編のラストで4人組の1人が事故死したことが明かされていたし、“Secset base〜君がくれたもの〜”を歌うシーンがあったし、同曲の歌詞にちなんで10年後に再会することも提示されていたから、おそらく、同曲が効果的に使われていたアニメ「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」同様、仲良しグループのうちの事故死したメンバーが幽霊となって戻ってくるという展開になることは容易に想像できた。実際そういう話だったしね。

だから、この内容で“オリジナル朗読劇”と謳われてもねという気持ちは正直なところある。
また、再演なのにしかも朗読劇だから台本を手にしながら演技しているのに台詞というか朗読文というかを結構噛んでいるキャストがいるのもどうかとは思った。



それから、ストーリー展開にも疑問点がある。

タイムカプセルを埋める前にメンバーの1人が亡くなったわけだから、普通はそのセレモニーって中止するよね。埋めた後にメンバーが事故死するならまだ分かるんだけれどね。
あと、10年後の自分や仲間に宛てた手紙が1人分しか紹介されなかったが、これって公演ごとに担当メンバーが変わるシステムなのか?

とはいえ、泣ける作品であることは事実。幽霊と“Secret base”の組み合わせはどんな陳腐なストーリー展開・脚本でもウルっと来るよ。ずるいんだよ!

それから、児童・生徒・学生時代の友人関係の描写もリアリティがあったと思う。

例えば、本作のような4人組の仲良しグループがあったとして、その中の誰かと自分の2人で話している時は対等な関係なんだけれど、4人でやり取りすると自分は3番手か4番手になってしまう。そのことから自分はこのグループに属する必要ないんじゃないかと思ったり、常に1番手や2番手になるメンバーに嫉妬したりする。そういう思いはよく描かれていたと思う。

高校生の頃は生涯の親友になると思えていたのに、実際は埋めたモノを掘り返すセレモニーの日まで何年も会っていなかったという関係性もリアルに描けていたと思う。
結局、高校卒業後の進路、つまり、大学なのか短大なのか専門学校なのか浪人なのか就職なのかでそれぞれ考え方が違うし、大学などを卒業した後の就職先が大企業なのか中小企業なのか、あるいは正社員なのか非正規なのか公務員なのか自営業なのかでも異なる。
さらに、地元で働いているのか都心部で働いているのか、結婚しているか未婚か、子どもがいるかいないか、親と同居しているか否かでも考え方に差は出てくる。親との同居だって生活費を主に親が出しているのか自分が出しているのかでだいぶ異なる。
結局、属するコミュニティが変わると友達付き合いって成立しないんだよね。高校くらいまでは超名門校にでも入らない限り、友達は基本、同じようなレベルのコミュニティに属している者ばかりだしね。

高校2年生の夏を舞台にしたというのもよく練られた設定だと思う。日本の学校制度だと地域にもよるが文化祭や修学旅行などの行事が終わった高2の秋くらいから進学や就職の準備に入るので、この時期というのは最も高校生らしい青春を過ごせる期間でもある。その時期に起きた仲間の死を描いているんだから、そりゃ、ウルっと来る話になるのも当然なんだよね。結局、大人になって再会した時に思い出話のネタになるのって、高2のGW明けから秋までの半年くらいの出来事がほとんどだしね。



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