シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇(EVANGELION:3.0+1.01)
緊急事態宣言の影響で、劇場版「名探偵コナン」最新作や、「るろうに剣心 最終章」2部作が思ったほどの成績をあげていない。
おそらく、東京五輪パラは有観客で強行されるだろうから、元々、映画各社がこの時期に大本命作品を公開するのを避けているということもあり、夏の間に大ヒット(興収30億円以上)が期待できそうな作品は、開幕前に公開される「ゴジラvsコング」と会期中に公開される「ワイスピ」最新作くらいしかないのでは。
五輪パラ閉幕後でも、今年度内(11月まで)でそのレベルに届きそうな作品は、大ヒット邦画の続編「マスカレード・ナイト」と、日本での公開日はまだアナウンスされていないが、海外での公開時期と同時期となれば年度内に日本公開の可能性もある「007/ノー・タイム・トゥ・ダイ」くらいしかない。そして、どの作品も50億円を超えることはないと思われる。
そして、現時点での年間2位候補の「コナン」は70億円台がいいところだと思う。だから、既に約90億円を記録している「シン・エヴァンゲリオン」の年間1位は確実視されている。
どうせ年間1位になるなら、興収100億円を突破したい。なので、そのために特典商法を使い、リピーター客を集めて、大台にのせたいという気持ちは理解できなくもない。
でも、新バージョン(シン・バージョンと書くべきかな?)で上映する。しかも、ドルビーシネマなどの特別上映を行っている劇場以外は全て新バージョンに差し替えるというのは理解できない。
特典配布だけだったら見に行かないって人でも、バージョン違いなら見に行かなくてはってなるからね。実際、自分もそれで見に行くことにしたし。
おかげで、エヴァ新劇は「破」以外は全部、劇場で2回ずつ見たことになった。まぁ、「破」が一番面白いんだけれどね。
結局、エヴァって、1回見ただけでは面白いかどうか分からないからリピートするってことなんだろうね。「破」は1回見ただけで面白さが分かったからリピートしなかったってことだしね。
今回の「シン」は、決して映画としては名作ではないかもしれないが、完結編としては非常に良く出来た作品だと思う。
テレビシリーズの最終回も、旧劇(正確には旧劇場版の2作目)も終わり方に対しては批判的な意見が多かったが、新劇のみならず、テレビシリーズや旧劇も含めたすべてのエヴァンゲリオンの完結編となった今回に関しては概ね、好意的な意見が多い。
批判しているのは、シンジが綾波もしくはアスカと結ばれないことに納得いかない綾波もしくはアスカの老害ファンがほとんどだ。
そうでなければ、いまだにアニメや漫画に関しては、手塚治虫が作ったセオリーの原理主義者で、彼が言ったとされている“夢オチはやってはならない”という作劇法をかたくなに信奉しているから、夢オチのような終わり方の本作を批判しているのではないだろうか?
また、「シン」に限らず、エヴァではたびたび、メタな要素も出てくるが、それも夢オチの一種として嫌っている人は多いように思える。
つまり、そうした考え方がアップデートされていない老害以外からすれば、十分に合格点を獲得している完結編なんだから、わざわざ新バージョンを公開するというのは、評価されている作品を制作側が自ら否定していることにつながるわけで、観客としては納得できないんだよね。
そもそも、別バージョンってオリジナル版と同一作品なのだろうかという問題もある。
去年6月、コロナの影響による作品不足で、「千と千尋の神隠し」が再上映された際に、その再上映時の興収を年末になるまで計上しなかったことから、「鬼滅の刃」のファンが「劇場版 鬼滅の刃」の記録達成を遅らせるために配給会社が嫌がらせをしたみたいなアホなことを言っていたが、「千尋」も「鬼滅」も東宝作品なんだから、嫌がらせも何もないだろ!映画やアニメのことをよく知らないくせに知ったかぶりすんじゃねぇって思ったことを思い出した。
日本の映画業界の慣習では、配給側が申告すれば再上映時の数字も計上されるという非常に不透明な仕組みになっているので、日本の映画ファンの中に、再上映時の数字をカウントするのは姑息な手段と思っている人が多いのは仕方ないのかもしれない。
でも、米国では単なる再上映だろうと、別バージョンだろうと、初公開時の興行収入にプラスして同一作品として計上しているんだよね。
「スター・ウォーズ」旧3部作の全米興行収入には、1997年に一部シーンを差し替えたりした「特別篇」の数字もカウントされているしね。
そもそも、ジョージ・ルーカスは旧3部作に関しては初公開バージョンではなく、特別篇を基本バージョンにしてしまったし、さらには、その完結編である「ジェダイの帰還(いまだにこの邦題表記に慣れない…)」に至っては、ソフト再発時に、ラストの霊体のアナキンの姿が旧3部作のルックスではなく、新3部作の若いルックスに変えられてしまった。
さらに、その新3部作の2作目「クローンの攻撃」はラストシーンの描写がフィルム上映版とデジタル上映版では違っていた。
ルーカスと仲の良いスティーブン・スピルバーグの「未知との遭遇」は長いこと、80年公開の「特別編」が基本バージョンとされ、77年のオリジナル版は封印されていた。まぁ、オリジナルを見たいという声が強まったからなのか、その後、この2バージョンに、「ファイナル・カット版(2年前の午前十時の映画祭では、このバージョンで上映された)」を加えた3バージョンが共存するようになってはいるけれどね。
庵野秀明も、ルーカスやスピルバーグに近いタイプで、初発表時に納得のいかなかったものはソフト化や再上映など機会があることに修正し、その修正された現時点での最新バージョンを基本バージョンとしたい主義なんだと思う。
今では、テレビアニメがソフト化(DVDやブルーレイなど)される際、テレビ放送時には納期などの都合で妥協して搬入した不完全なものを修正して発表するというのは当たり前になっているが、四半世紀前にテレビ版「新世紀エヴァンゲリオン」がそれをやった時は、驚きの声で語られることが多かった。
また、旧劇場版は本来は、テレビシリーズの総集編と、ラスト2話を別ルートで描いた最終回(=新作パート)の2部構成(新作パートが2部構成だから、トータルでは3部構成)で公開される筈だった。
しかし、新作パートの制作がオシてしまったことから、テレビシリーズの総集編と、新作パートの冒頭だけを見せたものを劇場版1作目として公開し、2部構成の新作パートのみを劇場版2作目として公開することになった。
この公開の仕方に納得がいっていなかったからなのだろうが、その後、旧劇場版のダブり部分を省いて1本化した「REVIVAL OF EVANGELION」が公開され、これが事実上、旧劇の基本バージョンとなってしまった。旧劇場版の2作目はそのまま、「REVIVAL」に組み込まれているからいいけれど、1作目はレア映像扱いになってしまったからね…。
そして、その後の新劇では毎回、ソフト化する際に劇場公開版からバージョン・アップするのが恒例となってしまった。
今回の「シン」は緊急事態宣言の影響もあってか、過去作とは比べものにならないほどのロングラン上映となっていることから、庵野としてはアラが観客の目に触れる機会が増えたのが嫌で仕方なかったのではないかと思う。
だから、劇場公開中にもかかわらず、アップデートしたものを発表したのだと思う。
メタな親子決闘シーンの映像の一部に違和感がなくなっていたから、多分、そこはいじられているのではないかと個人的には思うが、全体としては、全然、印象は変わらなかった。要は庵野のオナニーだな。
クリエイターとしては、80点くらいの出来のものを世に出してしまい、不満に思っているかもしれないが、一回世に出た以上は、それはそれで良しとしなくてはいけないと思うんだけれどね。
明らかなミスとか、差別的な描写とか、著作権上の問題などを別にすれば、修正は不要だと思うけれどね。
ところで、オリジナルと別バージョンはどこまで同一作品と呼べるのだろうか?
リバイバル上映時にリマスターしただけのものはオリジナルと同じだし、ドルビーシネマでの上映バージョンも画質や音質を向上させただけだから同じバージョンだと思う。
3D上映作品だと2Dバージョンと異なる構図のカットが入っていることもあるし、IMAX上映作品だと通常版では映っていないものが映っていたりすることもある。この辺になると同じバージョンと呼べないような気がする。
一方、マスターの紛失とか、当局による検閲などで長らく短縮版で上映されていた作品のカットされていた部分が復元されたものは、短縮版、完全版ともに同一作品と呼んでいいと思う。
ただ、ディレクターズ・カットやロング・バージョンのようなものはガラリと印象が変わることもあるから、同一作品と呼ぶことにはためらってしまう気持ちの方が強いと思う。
中には、尺が違うだけでなく異なるテイクも使われている、上映時間約4時間の「美しき諍い女」と、2時間ちょっとの「美しき諍い女 ディヴェルティメント」なんてのもあるが、これに関しては別作品扱いしてもいいかなという気もする。
この「シン」は正直言って、金儲けのためだけに別バージョンを公開したとしか思えない。それは、オリジナルに対する評価を下げることだと思う。
でも、2時間35分もあるのに、そこまでの長さを感じさせないし、尿意も抱かせないのは、両バージョンに共通して評価できることかな。
ところで、本作では、上司が部下に対して、“無理だと言うな”と言っていたが、そういうシーンが評価されるってことは、エヴァのファンってのは、そういうことを言うパワハラ上司そのものみたいな連中が多いってことなんだろうね。
というか、アニオタって、ネトウヨ思考が多いから、権力の犬みたいになっているんだろうな。
だから、ブラック労働を美化する「SHIROBAKO」みたいな作品をアニオタって絶賛するんだろうね。
それから、同級生は年取っているのに、エヴァパイロットだけ14年前と見た目が変わらないってのは、アニメ業界を含めたクリエイティブ職の人間のメタファーな気がするな。
たまに、同級生と会うと、見た目も精神面も全然違うから、自分は果たしてこの人たちと同じ年なのかって思うことあるしね。
ところで、本作の最後に“終劇”という文字が出たことで喜んでいる連中が多いけれど、本当は“終劇”ではなく“劇終”だってことを知らない人が多いよね。
おそらく、多くの人は香港製のカンフー映画でこの文言を知ったのだと思う。
70年代末くらいまでは、香港映画のクレジットというのは、横書きの場合、文字は右から左に書かれていたんだよね。だから、見た目は“終劇”だった。
でも、80年代になって、国際基準の左からの表記になった。それに伴い画面上の見た目も“劇終”に変わったんだよね。
でも、80年代以降は時代もののカンフー映画はあまり作られなくなったし、70年代のように“終劇(本当は劇終)”マークが出て、そのまま上映終了ではなく、エンド・クレジットが流れる作品が普通になった。
そして、マニアでもない観客は文字だらけのエンド・クレジットなんて見たくないというのが多いことから、最後に“劇終”と出ることを知らない人も増えてしまった。
その結果、70年代のカンフー映画の知識のまま、アップデートされずに、“終劇”だと思い込んでいる人が多いんだよね。
まぁ、日本語で演劇やコンサートが幕を閉じることを“終演”と言うから、それと同じ感じで、“終劇”だと思っている人も多いとは思うけれどね。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?