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交換ウソ日記

本作を見ようと思った最大というか唯一の理由は齊藤なぎさが出ているからだ。彼女が=LOVEを卒業して以降では初めてのちゃんとした演技仕事ということなので、元推しメンの新たな第一歩を確認してみたいとうのが見たいと思った動機だ。

“ちゃんとした”という言い方にしたのは、これより前に恋愛リアリティショー「花束とオオカミちゃんには騙されない」に出演しているからだ。
イコラブ卒業後、最初の仕事を恋愛リアリティショーにするというのは明らかにドルオタ、特にガチ恋系の男のファンを排除する目的であることは間違いないと思う。逆にイコラブ時代からのファンでも女性はアイドルの恋愛に寛容なので、というか憧れている面があるので、この選択からは女性人気の高いインフルエンサー的な存在になろうとしているんだろうなということが読み取れると思う。

もっとも、恋愛リアリティショーの出演者が本当に恋愛をしているとは限らない。というか、恋愛ものに限らずリアリティショーなんて映し出されているものが事実とは限らない。
それは、リアリティとは決してリアルと完全にイコールではないからだ。
文法的な解釈では、形容詞のリアルを名詞化したものがリアリティだから同じものだと主張する人は確かにいる。
その考えから、ある作品に対して“リアリティがない”と評価した人に際して、“映画やドラマ、アニメはドキュメンタリーではない。だから、リアリティなんて必要ない”と文句を言ってくる人が結構いる。
でも、“リアリティがない”と言った人はそんなことは全く思っていないんだよね。
SFやホラーなんてほぼ100%が空想や妄想の世界だ。そんな話が現実だとは誰も思わない。
でも、一見、荒唐無稽な話でも本当のことのように思えることがある。それがリアリティなんだよね。だから、一般的にはリアルは現実、リアリティは現実性と訳される。

つまり、リアリティショーは本物っぽいがドキュメンタリーではないということ。それは、最近、リアリティショー出演で炎上して自死した女子プロレスラーの母親がリアルとリアリティの区別がつかなくなりクレームをつけたテレビアニメ「推しの子」でも描かれていたことだ。

とはいえ、恋愛リアリティショー出演を機に、現実世界でも付き合うことになった、もしくは付き合っているように見せているカップルが多いのも事実。なので、こうした番組への出演はアイドルとしてのイメージをなくすための戦略なんだと思う。

何故、そんなに急激なイメチェンをはかるのか。その理由はおそらく、アイドル時代の彼女に女優志向のイメージがなかったからだ。

確かに深夜ドラマ「明日、私は誰かのカノジョ」のホスト狂いの風俗嬢はハマリ役だった。ああいうやる気のない風俗嬢は確かにいる。でも、それは、たまたま彼女が現実にいそうな風俗嬢っぽい雰囲気を持っていたから、というか、そういう風俗嬢を描いた原作に登場するキャラのイメージにピッタリだったからに過ぎない。

でも、これ以外だと目立った演技仕事というのは、オムニバス映画「夏の夜空と秋の夕日と冬の朝と春の風」の1編で主演を務めたらくらいしかない。

このほか、「幸色のワンルーム」、「もしも、イケメンだけの高校があったら」といったタイプは異なるがいずれも一応、青春ものにカテゴライズされる深夜ドラマにも出演している。前者はヒロインをいじめる同級生役、後者はヒロインの親友役と肩書きだけを見れば重要な役で登場しているが、ぶっちゃけ、どちらも出番は少なかった。

というか、原作のイメージ通りと評価された「明日カノ」だって出番は多くなかった。

元AKB48の川栄李奈のように、主要キャラだろうと、脇役だろうと、ゲスト出演だろうと、構わず次から次へと出演し、足跡を残しまくったというのならまだしも、アイドルを辞めて女優になると宣言するほど、演技仕事をしていないよねと言いたくなってくるのも事実だ。

となると、早くアイドルを辞めたかった、イコラブを抜けたかったというのが女優に転身する理由なんだろうなという気がして仕方がない。
というか、「明日カノ」に出た時点で卒業は既定路線だったんだろうね。普通は人気アイドルがホスト狂いの風俗嬢の役なんてやらないからね。客とやり取りしている場面やホストとベッドでイチャつくシーンははごまかして描くのでは?でも、そうしたシーンがあったということは、いつ辞めてもおかしくない状況だったんだと思う。

というか、人気アイドルが映画やドラマでヌードにはならないにしても、性的な演技を披露したら、それは卒業がカウントダウン状態に入ったと見ていいと思う。

白石麻衣が映画「スマホを落としただけなのに 囚われの殺人鬼」でレイプされそうになり、ブラチラ状態になったが、これは彼女が乃木坂46卒業を発表した直後の2020年2月の公開だった。

同じく元乃木坂の堀未央奈は2019 年に性的な台詞もある映画「ホットギミック ガールミーツボーイ」に主演したが、それから、およそ1年半後に同作のメガホンをとった山戸結希監督が手掛けたソロ曲“冷たい水の中”のMVの中でグループ卒業を発表した。

つまり、元々汚れキャラみたいな存在の人は別だが、そうでない人気アイドルが性的な描写のある映画やドラマに出るのは、アイドル扱いされたくない、もうアイドルは卒業するという宣言だと思って間違いないと思う。

まぁ、「明日カノ」に出るよりも前の時点で自分のなーたんに対する興味は薄れていたから、別に彼女が風俗嬢役を演じてもなんのショックもなかったけれどね。

というか、2021年になーたんと別のイコラブメンバーが対立する裏アカが発覚した騒動のおかげで、なーたんに対しても、今でもイコラブに所属しているそのメンバーに対してもいまだに良い印象を持てなくなってしまっているんだよね…。

そこへ来て、なーたんが卒業を発表した代々木競技場第一体育館公演では、楽天チケットのミスという言い訳で、本来は良席にありつけるはずだったグッズ付き高額チケット購入者なのに2階席に追いやられてしまった。

そして、イコラブ運営が女子人気が高い、若者人気が高いというのをアピールしたいがために、デビュー当初からの30代以上の男のファンを次々となーたんの卒業コンサートの当選者リストから外すということまでやってのけてしまった。

だから、なーたんというか、イコラブに対する興味すら薄れてしまっているのが現状だ。

なので、なーたんとのお別れを告げるという意味合いも込めて、本作を見ることにした。

ぶっちゃけ、途中までは例によって、「幸色」や「もしイケ」のように、なーたん演じるキャラがいなくても話が成立するかなとも思った。しかし、主要キャラ6人を巡る六角関係の描写が盛り上がってくると結構重要なキャラとなっていた。

というか、なーたんもそうだし、茅島みずきもそうだが、ヒロインの親友2人を演じた女優って、どちらも「明日カノ」シリーズで風俗嬢役を演じた人じゃん…。風俗嬢イメージのある女優をキラキラ映画に使うのってどうなんだろうかと思ったりもした。

作品自体についても語っておこう。

途中までは違和感だらけだった。
ヒロインに対して好きな女子ではないはずなのにやたらと密着してくる男子はなんなんだ?しかも、同意を求めずにキスまでしてくるし、こいつはただのやれれば誰でもいいという性格なのかと思ったりもした。

また、六角関係というか、1人はヒロインの先輩で他の女子2人とは関わらないから、実質五角関係だが、その五角関係を巡り、嫉妬から険悪な関係になっていた女子3人(まぁ、嫉妬していたのはなーたんだけだが)の関係が修復した後に、ヒロインがこの男子が好きだと思っていた生徒会長=ヒロインの親友のフリをして交換日記をしていたことがバレるという展開も意味不明だ。
しかも、その直後にヒロインと生徒会長の険悪な日々の描写があるわけでもなく、いきなり球技大会のシーンになるという構成も非常に出来が悪い。

でも、こうした様々な違和感は脚本に仕掛けられたトリックを気付かせないためのものだったということが終盤になって分かる。
それは、実はヒロインとウソの交換日記をしていた男子が途中で日記がウソだと分かり、自分が好きなのは生徒会長ではなくヒロインだと気付いていたというものだ。

それなら、この男子の不可解なヒロインに密着したがる言動も納得だし、生徒会長との仲違いの後の描写を見せないのも卑怯ではあるが納得だ。

よく、“ラスト何分全てが変わる”みたいなキャッチコピーがついた映画を見かけるが、そういう映画ってほぼ全てがクソ映画なんだよね。

でも、本作ならそういうキャッチコピーをつけてもいいと思った。これなら腹が立たないよ。

ところで、これっていつの時代の話なんだ?
普通に高校生がCDに親しんでいるしね。

まぁ、放送部所属なのに曖昧な話し方しかできないヒロインに対して、アナウンサーなんだか、ナレーターなんだか、声優だか分からないが、“君なら向いている”みたいなことを言って、アナウンス学院のようなところへの進学を進める元カレ(六角関係のうちの唯一の先輩キャラ)は意味不明だなと思ったが、エピローグではラジオパーソナリティになっていたので、おそらく、恋がうまくいって、しゃべりの方も上達したのだろうと好意的に解釈しておくことにしたいと思う。

放送部と言えば、本作のヒロインはマキシマム ザ ホルモン好きで、昼休み中の放送でかけたりして一般生徒に驚かれたりしていたけれど、よく考えたら、自分が出た高校(しかも都立高)ではよく、KISSとかモトリー・クルーとかのHR/HM系がかかっていたな…。教師が文句を言っていたという話も聞いたことないしね。若い先生が多いから許容されていたのかな?

そして、球技大会のシーンも自分が10代の頃を思い出させてくれた。ヒロインはなかなか、シュートが成功しないから(ヒロインと男子が通りかかった場所に偶然リングがあり、しかも丁寧にボールまで落ちていて、“じゃ、練習しよう!”というご都合主義展開になったのには笑ってしまったが)、試合に出たがらなかったんだけれど彼女の気持ち分かるよね。

形の上では、“そんなことないよ”とか言っておきながら、本音では“あいつがいると負ける”と思っているんだよね。まわりの生徒なり教師は。
本作のヒロインが、スタメンだったのかどうかは分からないが、自分が中学生の時の球技大会ではスタメンから外されたし、いつまで経っても出番がなかった。しかし、球技大会は部活ではなくあくまで全校生徒が参加する授業の一環だから、本来なら、その球技の能力に関わらず、全員に出番がなくてはいけないものだ。なので、終盤、ある程度、試合展開が見えた頃になって、無視したわけではないよとアピールするために、“出る?”とか言ってきた奴がいたんだよね。何を今更ほざいてんだって感じだよね。
なので、非常に腹が立って仕方なかった。だから、“いい”と言って、そのまま会場を去り、大会の閉会も見届けずに着替えてとっとと帰ってしまった。

そもそも、日本の学校の体育の授業って教師が何も教えてくれないんだよね。だから、部活に入っているとか、校外のスポーツクラブに入っているとか、親きょうだいに教えてもらったといった理由で、既にルールを覚え、それなりの技術も身につけた者しか活躍できないようになっている。
それでいて、何も知らない者を劣等生扱いするんだよね。体育とかスポーツを嫌いになるのってこういうのが原因なんだよ。

良いことも悪いことも含めた10代の頃の色々な出来事を思い出させてくれる映画だった。

途中まではクソ映画だと思ったが、終盤で評価は変わったので、これは人に勧められる作品だと思う。倍速視聴で映画やドラマを見た気になっている連中はこういう嬉しい裏切りを経験することはできないんだよね。

そういえば入場特典がチェキ風の写真だった。もっとも普通のチェキのサイズではないし、紙質もチェキとは違うので、あくまでチェキ風だが。

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