THE FIRST SLAM DUNK
本作の公開を前に過去のアニメ版のファンから批判の声が高まった。
彼等の批判の対象は主に2点ある。
一つは声優のキャスティングを一新したこと。
もう一つはCGアニメになっていることだ。
個人的にはこういうことで文句を言ってるいる連中は単なる老害だと思っている。
いつまでも80年代や90年代の感覚から抜けられず変化することを拒否したから、日本は世界から取り残され、気付けば安く買い物や飲食ができる観光地として後進国になってしまったのだと思う。
正確に言うと、変化しようと思ったが、改革をうたう小泉政権と民主党政権で二度も騙され、変化を求めてはいけないと思うようになり、国民の大半がネトウヨ化して80〜90年代辺りで思考を止めてしまったというところだろうか。
批判対象の争点について考えてみよう。
まずはキャスティング問題から。
テレビシリーズが終了したのは1996年3月だ。
劇場版に至っては、前作にあたるのは95年7月まで遡らなくてはならない。
テレビシリーズの終了から数えても26年以上が経っているのだから、声優陣が一新されたとしても何の驚きもない。
2019年に公開された「劇場版シティーハンター 新宿プライベート・アイズ」はテレビ、映画含めて20年ぶりの新作アニメとなった(パラレル的作品「エンジェル・ハート」を除く)。
声優だけでなく音楽も全盛期の80年代終盤から90年代初頭のものを再使用するというオールドファンに媚びた作品だったが、同作におけるメインキャスト陣の高齢化による声の衰えは感じずにはいられなかったはずだ。
勿論、「ドラゴンボール」のようにオリジナルキャストの復活がうまくいったケースもある。
2013年公開の「ドラゴンボールZ 神と神」は劇場版としては17年ぶり、テレビシリーズを含めても「ドラゴンボールGT」が97年11月に終了して以来だから実に15年4ヵ月ぶりの新作アニメということになった(この間に「ドラゴンボールZ」を再構築したテレビシリーズ「ドラゴンボール改」の放送はあったが)。
その後、劇場版も数年に1本のペースでコンスタントに作られるようになり、新たなテレビシリーズも放送された。
確かに80〜90年代から比べれば演者の年齢を意識せざるをえない演技になっているかも知れないが、「シティーハンター」のように衰えを感じるほど劣化はしていなかった。
だから、アニメファンは「ドラゴンボール」にできて、「スラムダンク」にできないのはおかしいと噛みつきたくなるのかも知れない。
もっとも、その「ドラゴンボール」も最近は、オールドファンに酷評されてしまった。
理由は劇場版最新作「ドラゴンボール超 スーパーヒーロー」がCGアニメとして作られたからだ。
80〜90年代で思考が止まってしまった日本のアニオタにはいまだにCGによる作画を手抜きと考えている無知の塊のような輩が多い。
コンピューターを操作するのは人間だし、元となる画を描いているのも人間だ。レンダリングにだって時間がかかる。別にコンピューターが勝手に作画するわけでもないし、チェックするのも人間だ。雇うアニメーターの数という意味での人件費は削れても、作業時間の削減にはそれほどなっていないのではないかと思う。
これを手抜きと言い切ってしまう日本のアニオタはいかに保守的になり思考停止状態になっているかが分かるかというものだ。というか無知もいいところ。
海外では手描きアニメーションなんていうのはダサいものと思われている。
日本製アニメは一部のマニアが見るもの。賞レースを賑わす欧州のアートアニメはシネフィルが見るもので、一般人はCGアニメーションにしか興味がないというのが現実だ。
だから、「ドラゴンボール超 スーパーヒーロー」の興行収入は日本では24.9億円にとどまったのに対して、米国では3800万ドルと日本の成績を大幅に上回る結果となった。
ここ最近、「鬼滅の刃」が404億円、「呪術廻戦」が137億円、「ONE PIECE FILM RED」が185億円と、ジャンプ原作アニメの劇場版は記録的は数字を叩き出しているが、「ドラゴンボール超 スーパーヒーロー」がその程度の数字で終わっているのは、やはり、日本のアニメファンにCGを毛嫌いしているのが多いということを表しているのではないかと思う。
でも、キャスト変更にしろ、CGアニメ化にしかろ、原作者の意向なんだよね。というか、本作は原作者が監督も務めている。
やはり、ジャンプ原作アニメだが、現在放送中のテレビアニメ「チェンソーマン」も原作者の意向が反映された作品と言われている。
原作者が映画好きであることを反映し、映画っぽい、特に日本映画っぽい構図やカット割りが多用されている。でも、アニオタには不評なんだよね。
「スラムダンク」にしろ、「チェンソーマン」にしろ、結局、アニオタは原作者が作った世界観やストーリーが好きなのではなく、キャラクターや声優が好きなだけなんだというのがよく分かる。
でも、「チェンソーマン」は非オタっぽい人には人気あるし、今回の「スラムダンク」映画もそれなりに入っているようだし、非オタはピクサーやイルミネーションの作品も好きだから、一般層はそれほど声優変更やCG化には抵抗がないのではないかと思う。
やっぱり、アニオタってネトウヨが多いから考えが保守的なんだろうね。
アニオタのアンチフェミな考えをうまく利用して、野党に投票すればアニメや漫画の表現の自由がなくなるみたいな風潮を作り、アニメや漫画を守れるのは自民党だけとかほざいていた赤松健や山田太郎に簡単に騙されて自民党に投票した奴ってバカとしか言えない。
でも、赤松も山田も自民の意向に沿ってインボイス容認という本音を出してきているよね。こうなることが分かっていたのに、何が赤松や山田がいるおかげで抑止力になるだよ。
いいようにアニオタは票田として利用されただけで、赤松も山田も改革なんてできないのは最初から分かっていたことなのにね。
それで声優やアニメーターは廃業の危機に陥り、今更、インボイス反対とかぬかしているんだから、アニオタも、アニメ業界関係者も本当、バカとしか言えない。
話は戻るが、そんなわけで色々な不安を抱えながら本作を見ることになった。
でも、実在に見てみると結構面白いし、感動もした。ぶっちゃけ、今年を代表するアニメ映画である「ONE PIECE FILM RED」や「すずめの戸締まり」より面白かった。「RED」や「すずめ」は睡魔に襲われそうになったが、本作はそんなことなかったし、試合展開を追っているだけでもスリリングで楽しかったしね。
とはいえ、脚本・構成には難があったと思う。
本作は強豪校との一戦を描いた内容となっている。
しかし、テレビアニメの終了から26年以上も経っているので、テレビアニメを1話も見たこともない、原作を1話も読んだこともない、それどころか、どんな設定の作品かすらも理解していない人にも見てもらえるような工夫をしなくてはならない。
そのため、それぞれのキャラクターがどんな人物なのかを紹介する回想シーンが何度も挟みこまれる形になってしまっているが、それが映画としてはダメダメな脚本・構成となっている。
過去の劇場版は東映アニメフェアの1本としての上映だから、上映時間も短い。しかし、本作は単独の長編映画、しかも2時間ちょっとの作品として作られている。だから、盛り上がるシーン、つまり、強豪校との試合が必要となる。かといって、主要キャラが揃うまでを描いていたら試合にまでたどり着かない。だから、こういう構成にならざるを得なかったのだとは思う。
CGアニメによる映像表現に関しては、言われているほどCG感はなかった。というか、CGを毛嫌いするアニオタのために開発されたガラパゴス的な日本アニメ独特のCG表現であるセルルックにすらなっていなかった。
あえて言えば、漫画のカラー原稿をコンピューターを使って動かしたという感じかな。
原作者である井上雄彦は結局、キャラクターデザイン担当によってアニメ向けに改変されたものではなく自分の描いた画に忠実なキャラを動かしたかったってことなんだろうね。
まぁ、CGアニメなのに、モブキャラが静止していることが多いのはどうなのよとは思ったけれどね。
それから作中に映し出されたテレビが4:3だし、スマホとかも出てこないから、おそらく、過去のアニメ版が放送されていた頃が時代背景となっているのだとは思う。そして、その時代なら本作における描写も日常茶飯事だったと思う。でも、大きなケガを負った選手や試合中に暴力を働いた者がそのまま、試合に出場し続けるというのは今の若い観客には理解できない面もあると思うので、その辺の配慮はして欲しかった気もする。
まぁ、何年か後に米国の試合会場で当時のメンバーが別々のチームの選手として再会するというオチは良かったとは思う。