先輩はおとこのこ
1クール全12話のテレビアニメでは完結せず、完結編は映画として公開するというやり方は批判されやすい。日テレドラマが完結編はHuluでとやる商法も同様だ。
地上波はクール単位で予算を組んでいるから4ヵ月全16話とか4ヵ月半全18話みたいにしたり、2期にわけてそれぞれ2ヵ月全8〜9話放送で構成したりというのが編成的に難しいというのは分からないでもない。
でも、テレビシリーズとして放送したものの完結編をそんなに期間をあけずに映画とか配信で公開するのはテレビシリーズを見た人に対して失礼だと思う(今回の“ぱいのこ”はテレビシリーズ放送終了の4ヵ月半後に映画が公開)。
要はテレビシリーズでは最終話を見せずに、ラストを見たければ映画館に行くなり、配信サービスを契約するなりして金を払えと言っているわけだから、やっていることはぼったくりバーや風俗と同じだ。ホームページや看板には何も書いていないのに、“あなたが払った料金は風俗嬢が裸を見せるためのもの。抜いて欲しければ追加料金を払え”ってのと何が違うんだって感じだしね。
まぁ、一応、主人公(おとこのこ=男の娘)や彼(彼女?)に恋愛感情を抱いていた(まだ抱いている?)後輩女子がそれぞれ、家族との関係を修復して再スタートを切るという最終回っぽいまとめ方はしていたが、主人公、後輩女子、さらに主人公の幼なじみ男子による三角関係に関しては曖昧な部分が多いから、おそらく、映画ではこの辺に何らかの区切りがつけられるのだとは思うが(原作は未読)。
本作のメインキャラの3人は女装男子、いわゆるおとこのこと、彼(彼女?)に恋愛感情を抱く幼なじみ男子&後輩女子という構成だ。
そして、主人公の女装男子は母親から男らしくすることを強要されている。
こうした部分だけを見ると、近年のLGBTQ差別をやめろという流れの作品に見えなくもない。
でも、この作品はそうしたリベラル視点でLGBTQを描いた作品ではない。というか、日本のコミックやアニメ、映画などに登場する広義のLGBTQ的描写は、おとこのこにしろ、BLにしろ、百合にしろ、リベラルな視点はほぼ皆無だ。
本作の主人公もそうだし、実写映画化された「ブルーピリオド」に登場するキャラもそうだが、おとこのこと言っても、常に女装しているわけではなく男装している時もある。性自認が女性だが戸籍上は男性として過ごす人やドラァグクイーンとは異なる。
手術やホルモン療法などで体を女性に近付けているわけでもない。
また、主要キャラ3人の恋愛対象に関してもいわゆるゲイやレズビアンとは異なる。
主人公(おとこのこ)は可愛いものが好きなだけで、ゲイとか性自認が女性というわけではない。しかし、幼なじみ男子に告白されて付き合うことを了承したりもする。
この幼なじみ男子もゲイというわけではない。主人公が可愛いから恋愛感情を抱いているだけだ。
また、主人公に恋愛感情を抱いた後輩女子は最初、主人公を女子だと思って告白したが、彼(彼女?)が男子だと分かっても恋愛感情を抱き続けている(一時期、諦めようとしていたが恐らく本気では諦めていないと思われる)。
じゃ、3人ともバイなのかと言うと、そうとも思えない。多分、3人とも可愛いものが好きなだけなのだ。そして、自分に好意を持っている人に対しては相手の性別や性自認に関係なく真摯に対応しようとしているだけなのだろう。
こういう曖昧なLGBTQ描写は欧米のエンタメ作品では描けないと思う。
欧米でこの手のストーリー展開の作品を作ったら、主人公はずっと女装していたいが社会に抑圧されて男装を強要される被害者として描くと思う。だから、反抗精神のあらわれとして母親の前でも女装で通して縁を切ったりするのでは?
また、幼なじみ男子は主人公の男の部分が好きなゲイ、後輩女子は女の部分が好きなレズビアンとなるのではないだろうか。
そういう意味では非常にアジア的な作品だと思う。
ただ、現実世界のLGBTQには興味がない、というか、どちらかと言うと差別する側のオタクや腐女子のためのファンタジーかと言うとそうでもない。
過去のおとこのこモノに比べると社会の差別や偏見、家族や友人との複雑な関係などもしっかり描いているので、日本のこの手の作品も徐々にアップデートされるようになったのではないかと思う。
とりあえず、ストーリーは完結していないので最終的な論評は映画を見てから語りたいと思う。
まぁ、途中で突然、デフォルメ作画になるのはどうかと思うが。