シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇【ネタバレ注意】
テレビ版「新世紀エヴァンゲリオン」が放送されていた時期(95年10月〜96年3月)はかなり精神的にまいっていた時期だった。何しろ、24歳の若さにして窓際族にさせられてしまったからね。
その前の半年間は色々な業務が重なりめちゃくちゃ忙しくて、週末は職場で寝ることも多かったし、平日は汚らしい奴は社内にいるなみたいなことを言って自分を毛嫌いするのがいたから、家に帰って2時間の仮眠で職場に戻るとかそういうことをやっていた。なので、映画館に行ったり、テレビを見たりする時間もほとんどなかった。
何しろ、当時担当していた生放送番組の帯企画コーナーの担当ディレクターとしてロケ・編集・MAを毎週やっていたからね。
そして、それと同時に、その生放送番組のOAディレクターとして月10日間くらい、OAにも立ち会っていた。にもかかわらず、正式にディレクター昇格という辞令が発表されていないから、チーフADとしての業務も兼任していた。ADのシフト管理をしたり、AD会議のセッティングをしたりするのも自分の仕事だった。
さらに、当時、社員として所属していたプロダクションの業務で月2回、収録番組のFDの手伝いもやらされていた。収録日丸1日と前日の半日がコレに持っていかれてしまった。だから休みなんてまともになかった。
しかし、職場では派閥争いが進行していた。生放送派とロケ派の争いだ。ロケ企画もやっていたし、当時、所属していたプロダクションの社長はロケ派だったけれども、自分はどちらかといえば生放送対応に強いタイプの人間だったので、生放送派に気に入られていた。だから、ロケ派の人間からは自分のロケ企画に対して、必要以上のダメ出しが出されるようになってしまい、最終的には、その担当していた企画から追い出されることになってしまった。
しかも、その担当企画の出演者をクビにする理由として、自分が無能で仕切れないからコーナーが不評になったという理由をその出演者に伝えたということも伝聞で知った。それを教えてくる奴も多分、自分のことを好きではない派だったんだろうね。そんな派閥争いに巻き込まれたのが、ちょうど、エヴァの放送が始まった頃だった。
まぁ、中立派に何とか救われ、隔週でありもの素材を編集する企画コーナーと、月に数日くらいOAディレクターとして卓に座る業務は与えられたけれど、それ以外の時間は職場に居場所がなく、廊下をプラプラとすることも多かったのが、エヴァ放送期間の半年間だった。
特に精神的にやられていたのはこの半年間の前半の3ヵ月間だった。何しろ、この期間は何もやる気が起きず、その前の半年間のような休む時間がないほど多忙というわけでもないのに、この間に映画館に行ったのはたったの3回しかないからね。
しかも、そのうちの1回は「ローマの休日」のリバイバル上映の鑑賞。まぁ、中学生の時にテレビ放送で見た際には、何故、大人たちが名作と言っているのか分からないと思うほどつまらないと感じたが、この時に見たことによって、名作だと実感することができたのは収穫だったけれど。
さらに、残る2本のうちの1本は長らく日本公開が見送られていたペドロ・アルモドバル監督作品「セクシリア」だから、純粋な新作として鑑賞したのは「クイック&デッド」だけなんだよね。何故、これだけは映画館で見たのか謎だけれど、好きな映画を見る気力がないほど、映画館に行く気が起きないほど、メンタルがやられていたのは事実だったと思う。
なので、エヴァというアニメの存在は何となく知っていたけれど、放送を見ることはなかった。
だから、1997年春に最初の劇場版(春エヴァ)が公開された時には、当初はテレビシリーズの総集編プラス最終2話の別ルートによるきちんとした最終回としての新作パートによる2部構成になるはずが完成できず、春の映画では新作パートは途中までの公開で、改めて夏に新作パートを公開すると発表したことについて、ダサいとかセコいとか、そういうネガティブな感情しか起きなかった。
そして、夏に新作パート(夏エヴァ)が公開されたが、ヒットしていたことやオタクの姿が映る実写パートがあることも知っていたが、この時すら、そんなに見たいとは思っていなかった。というか、90年代初頭から97年の頃は、邦画なんて、年に数本しか見ないのが当たり前になっていた。
学校や職場の仲間から誘われた場合を除けば、自らの意志で見るのはジブリ作品を除けば、「夢」とか「うなぎ」のような海外でも話題になるような巨匠の作品くらいしかなかったような気がする。最終的には海外でも話題になった「Shall we ダンス?」を見たのも、当時の公開システムである邦画系公開作品としては異例のロングラン上映となり、当時は洋画大作を上映する日劇でムーブオーバーされたからという理由だしね。
そして、97年の春から98年のはじめくらいまでは自分の社会人人生で最も休みのない時期でもあった。96年秋から98年春まで担当していた番組は自分のテレビマン人生の中で唯一、収録番組をメインに仕事していた時期で、特に97年春から番組終了の98年春までは、毎週、ロケ企画ものを提出するというシフトになっていた。
だから、ウィークリーニュース担当ディレクターが休みの日でも出勤して、リサーチとかアポ取りとかをすることが多かった。とはいえ、ロケにでも行かない限りは自分で作業時間を決められたので、仕事前や合間に映画を見に行ったり、とっとと仕事を終わらせて映画を見に行ったりということも頻繁にやっていた。
しかし、先述のように邦画に対する興味が薄かった(実際、興行成績もアニメ以外の邦画はなかなかヒットしない時期だった)ので、鑑賞する作品はほとんどが洋画だった。
そんな自分がアニメの世界、さらにはそこから延長して邦画の世界に帰ってくるきっかけとなったのは、この収録番組で声優特集を組むことになったことだった。
その企画を提案した時、当時の職場にはエヴァにハマったデスクと、アニメや特撮が好きなディレクターがいた。デスクからは“声優特集をやるならエヴァは見ておけ”と言われていた。なので、WOWOWで最初の劇場版(未完成で公開された春エヴァ)のテレビ用バージョンが放送されたので見ることにした。
しかし、総集編だというのは分かるが、ストーリーを追う作りにはなっていなかったので全く理解できなかった。
そして、それを見たことをデスクに言うと、“アレをいきなり見たって分かるわけがないだろ!シリーズを見ろよ!”と言われた。
その後、アニメや特撮が好きなディレクターから、彼がレンタルビデオで借りた1〜20話をダビングしたVHSを借りて4〜5日かけて一気に見てしまった。“確かに面白い!”と思った。そして、中盤の学園生活シーンをもっと見たいとも思った。
それから、残りの21話以降も深夜の再放送などで鑑賞し、98年春には、97年に公開された2本の劇場版を一体化した(春エヴァのオマケについていた新作パートの先出し部分をカットして総集編部分のみを残し、それにラスト2話の別ルートである新作パートのみで構成された夏エヴァをくっつけた)「REVIVAL OF EVANGELION」が公開されるということで、これを見に行き、ここで何とか、エヴァのアニメの全ストーリーに追いつくことができたという次第だった。
だから、自分はエヴァについて偉そうに語る資格はないのかもしれない。でも、エヴァを強引な形ではあるものの見たことにより、自分の中で封印していたアニメ好きの部分が復活したのは事実だった。
よく考えたら、普通、中学生になれば、「東映まんがまつり」なんて見に行かないのに、「ハイスクール!奇面組」が見たいがために、わざわざ見に行っていたし(今、大きなお友達が「プリキュア」の劇場版を見に行ったりしているけれど、当時は中学生ですら、「東映まんがまつり」や「ドラえもん」の劇場版は見に行きにくい雰囲気だった)、「きまぐれオレンジ☆ロード」は正式にテレビシリーズが始まる前のイベント上映版しかなかった時代は、見るチャンスを得る前からサントラ盤を買って期待値を高めていたし、せっせと応募ハガキを出した末にやっとイベント上映版を鑑賞できた際には歓喜した。それに、小学校高学年の時には「幻魔大戦」を映画館で見て興奮し、シーンや台詞を脳内再生できるほどになったこともあったから、元々、属性はあったんだよね。
そうしたオタ魂が、声優特集を担当し、そのリサーチの一環としてエヴァなどのアニメや特撮ものを見たことにより復活してしまったんだよね。
そして、それ以来、現在に至っている。特に声優やアニソンに対する興味が増したのは、これがきっかけだろうね。
ちなみに、この時、取材した声優は委員長こと岩男潤子。個人的に、プロのマスコミ業界人として、有名人と握手したり、サインをもらうことはあってはならないと思っている。コロナ前は握手する文化があった欧米の著名人相手の時は別だけれど。
なので、プライベートであっても、握手会やサイン会には参加しないことにしている。ところが、これまでの業界人人生の中で3回だけサインをもらってしまったことがあるんだよね。1回はAV女優の松本いちか。もう1回はロッド・スチュワート。そして、残る1回が岩男潤子だ。
最近、Z会グループのアニメーションCMに彼女が歌う「ここにいるよ」が使われているが、サインをもらったのは、この曲が収録されているアルバム『Kimochi』なんだよね。このアルバムはアニソン史に残る名盤だと思うな。
まぁ、この曲がCMソングになるくらい、エヴァの影響を受けた世代が今のクリエイター界隈の中枢にいるってことなんだろうね。
エヴァは多くの元アニオタをオタクの世界に呼び戻したり、新たなオタクを生み出したりしたが、それと同時にエヴァ以降、当たり前になったことがある。それは、“やり直し”だ。
80年初頭にファースト・ガンダムの総集編映画が公開された際に大幅な修正が加えられていたので、それ自体はエヴァが“発明”したものではないかもしれない。でも、自転車操業でテレビ放送を間に合わせて作られた作品をビデオソフト化する際に修正するというのが当たり前のようになったのはエヴァのおかげ?だと思う。
アニメに限らず、漫画でも「HUNTER×HUNTER」が週刊少年ジャンプ掲載時は、下描きみたいな雑な絵なのに、単行本が出た際には修正されているというのも、エヴァという前例があったからこそ、そこまで炎上しないで済んでいるのではないかと思う。
そして、エヴァが“やり直し”ているのは未完成な形で世に出たものを修正して再リリースすることだけではない。ストーリーの“やり直し”も頻繁に行われている。
97年の最初の劇場版2本(旧劇)というのはテレビ版のラスト2話が別の世界線で描かれたことにより、賛否両論(こういう言い方をする場合は大抵、否の方が多いんだけれどね)となったので、本来の世界線で描き直そうというのが趣旨だったのではないかと思う。まぁ、テレビ版の終わり方がああなったのは制作スケジュールの都合という説もあったが。
しかし、その旧劇もテレビ版の最終回同様、メタな要素を取り入れた上に、性的な描写や、アスカがシンジに放つ一言など、テレビ版のラスト以上に賛否両論を巻き起こす結果となってしまった。
なので、その10年後の2007年から新たな劇場版シリーズ(新劇)が始まることになってしまった。新劇の構成は最初にアナウンスされたものとは異なる形とはなったが、最終的には全4章で完結となった。
その最初の作品である「序」は、テレビシリーズの最初の6話をほぼリメイクしたものであり、面白いことは面白いけれど、見たことある話だから飽きるところはあるかなって感じだった。
なので、続く「破」もその続きをリメイクしていくのだろうと思っていた。ところが、どんどん、テレビシリーズからは話が枝分かれしていき、ほぼ別の内容となっていた。さらにキャラクターの設定が変更されていたり、テレビ版にはいなかったキャラクターも出てきたりしていた。なので、この新劇シリーズというのは、旧劇のように終盤だけをやり直すのではなく、それよりも前の段階からパラレルワールド的な違う世界線の話を描くつもりなんだなというのを作品を見ながら理解することができた。そして、何よりも作品自体のエンタメ性が強く、めちゃくちゃ面白かった。これなら、テレビ版とも旧劇とも違うきちんとした最終回を迎えられそうだと期待した人も多かったと思う。
ところが、3作目の「Q」が本当、意味不明だった。タイトル通り、クエスチョンだらけだった。「破」はテレビ版とは違う展開・設定とはいえ、テレビ版と通じる部分もあったし、エンタメに徹した作りだから、観客が置いてけぼりになることはなかったが、「Q」はストーリー展開がほとんどテレビ版とは異なる上に、作家性の強い監督が作ったミニシアター系映画みたいなマスターベーション演出だらけで、本当、理解不能としか言えなかった。これでは、本当にエヴァは完結できるのだろうかと思った人も多かったと思う。エヴァ卒を宣言した人も多かったと思う。
そして、発表された完結編となる今回の4作目のタイトルは「シン・エヴァンゲリオン」で、タイトルの最後には、反復記号が付けられている。もしかすると、完結させる気がないのか?また、この後に新たなシリーズを始める気なのか?と不安も高まってしまった。
しかも、なかなか公開時期がアナウンスされないし、公開時期がアナウンスされてからも、新型コロナウイルスの影響で何度も公開日程が変更となってしまったので、エヴァは永久に完結しないのではないかとの思いも強まってしまった。
まぁ、ハリウッドでもアメコミ原作映画が何度もリブートされていて、中には異なる世界線で作られた作品同士の出演者が共演する企画もあったりするくらいだから、別にストーリーの“やり直し”はエヴァの専売特許ではないかもしれないんだけれどね。
そして、やっと、「シン」が公開された。コロナを理由に何度か公開が延期されたのにもかかわらず、首都圏ではまだ緊急事態宣言が発令されている中、公開されるのは意味不明だが、年度末だし、年度が変わる前に公開しておきたかったのかな?今回は3社共同配給だから、各社の業績や予算に影響するしね。
あと、異例の月曜日公開となったのは、初日の3月8日(月)に首都圏の緊急事態宣言が解除される可能性もあったというのもあるが、日本の映画興行の慣習で先行上映分は最初の週末の成績にカウントできるというのがあるから、月曜初日にすれば、丸々1週間分の数字をカウントでき、今年最大のヒット作という話題を作ることができるという狙いもあるのではという気もする。
それにしても、前作から本作の公開までに8年4ヵ月もかかってしまったせいで、エヴァ関係者にも色々と変化があったよね。緒方恵美とか貞本義行は明らかにネトウヨ的発言をしていたし、及川眠子はウヨ扱いされたり、パヨ扱いされたり、右往左往したしね…。
そういえば、久しぶりにムビチケを使って映画を見た。というか、本作のムビチケを持っていたことを忘れかけていたんだよね。去年、エヴァ楽曲集のCDを買った時にクソ高いなと思っていたが、そのCDってムビチケ付きだったんだよね。CDを買ってからムビチケ入りと気付くまでにもかなり時間がかかったけれど、そのムビチケを持っていたことも、今回の公開日が決まる頃まで忘れていたからね。ムビチケで映画を見たのって、多分、HKT48のドキュメンタリー以来だから、5年ちょっとぶりかな。
というわけで、やっと見ることができた今回の「シン・エヴァンゲリオン」のネタバレだらけの感想は以下の通り。
●そういえば、冒頭のパリの映像、だいぶ前にネットで見たな…。新劇の予告ってウソが多いから信じていなかったが、今回は本当だったんだ。
●そして、メガネっ娘(坂本真綾)は相変わらず、古くさい曲を歌い、古くさい言葉を使っているんだな。アジャパーって言うな!
●オープニング・タイトルの後、しばらく、テアトル新宿とか新宿武蔵野館、K's cinemaあたりで上映されるミニシアター系邦画みたいだった。
●委員長の出番が多いのは嬉しいが、完全にオバさんになっているな…。
●結局、メタ構造になるのは、テレビ版の最終回や、旧劇の終盤と変わらないんだな…。
●すねた顔した萌えキャラを予告編で見た時、アレ誰?って思ったが、アレってアスカだったのか!可愛いな。
●何故、ユーミンによる「さよならジュピター」の主題歌「VOYAGER」が使われているんだ?しかも、林原めぐみが歌っているぞ!いつ、CDなり配信なりでリリースされるんだよ?
●やっぱり、新劇は宇多田ヒカルの歌がないとしまらないよね。今回の主題歌「One Last Kiss」は本当、良い曲だ。最近の宇多田は仲の良い椎名林檎に影響されたのか、似非右翼風日本の伝統的な曲調や歌詞のものが多いけれど、宇多田は洋楽風のサウンドで、英語歌詞の多いものの方がしっくりくるなというのを再認識した。
そして、「Beautiful World」もバージョン違いだけれど再び使われているので嬉しい。結局、この曲が使われていないのって、「Q」だけなんだよな。「序」はオリジナル版が主題歌で、「破」は今回とはまた別のバージョンが主題歌だったからね。つまり、「Q」には何の希望もないから、「Beautiful World」の入る余地はないってことなんだろうね。
ところで、「One Last Kiss」のMVは英国で撮影された宇多田の映像をもとに庵野のディレクションで作り上げたリモート作品だけれど、あのMVを見ると、宇多田と庵野が不倫しているようにも見えるよね…。
というわけで、全てのエヴァンゲリオンにさよならを告げるとされる本作を見た印象を最後にまとめると、映画としては名作レベルには到達していないが、最終回・完結編としては及第点以上の出来だったと思う。いくつか泣いてしまったシーンもあるしね。
タイトルには反復記号が付いているけれど、また、“やり直し”をするようなことがあったら蛇足だと思うな。今回は3度目の正直で、テレビ版の最終回が放送された96年3月からちょうど25年を迎えて、やっと、きちんとしたエンディングを迎えられたと思うしね。
それにしても、「シン・ゴジラ」や「シン・ウルトラマン」は庵野がオリジナル製作者ではないから、“シン”を付けるのは分かるが、エヴァにまで付いているのは謎だよな…。テレビ版、旧劇、新劇全てをひっくるめたエヴァンゲリオンって意味なんだろうとは思うけれど、何か納得いかない…。
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