イン・ザ・ハイツ
ブロードウェイ・ミュージカル「イン・ザ・ハイツ」の来日公演を見たのって、てっきり、6〜7年くらい前だと思っていたが、調べたら、11年も前だった。そんなに昔だったのか…。
その公演を見た時に感じたことは自分の英語聞き取り能力の低下だった。
ミュージカル・ナンバーにはラップ調のものもあるし、台詞や歌詞にはスペイン語もミックスされている。また、登場人物が多くて、次から次へとシーンごとにメインとなるキャラクターが変わるので話を追いきれないというのもあった。
さらに、ニューヨークを舞台にした作品だから台詞が多いというのも聞き取りにくさを感じた理由かもしれない。日本の映画や演劇だって、東京や大阪のような大都市を舞台にした作品の方が農村や漁村を舞台にした作品より台詞量が多いんだから当たり前といえば当たり前なんだけれど、それにも増して、現実世界でもニューヨーカーは早口だからね。
かつて、みちのくならぬニューヨークひとり旅をした時に、現地到着初日は地下鉄の車内アナウンスが早口すぎて、何言っているか分からなかったほどだったしね。
そんな要因が重なり、観劇後、きちんとストーリーを理解できなかった自分に対してガッカリしてしまったことは今でも覚えている。これでも、職場では英語が分かる人間扱いされていただけに尚更って感じだった。
というわけで、今回の映画版は舞台版では把握しきれなかったストーリーやキャラクターを確認するという意味も込めての鑑賞となった。
まぁ、コミュニティの支柱的人物の死に関しては舞台版の時でも理解できていたけれどね。
ところで、本作のストーリー展開はニューヨークで大停電が発生する日がクライマックスとなっているけれど、それって、2003年夏にあった出来事がベースになっているってことだよね?
ミュージカル・ナンバーも90年代末から00年代初頭に人気を集めたラテン・ポップやヒップホップのような楽曲が多いしね。
マーク・アンソニーがこの映画版の主題歌を歌い、尚且つ、俳優としても出演しているのは明らかに、その頃の空気感を出すためだと思うしね。
それだけに、ジョン・ウィックとか、スマホとか、Wi-Fiとか、16:9のテレビといった2003年にはなかった要素が作中に登場するのは違和感があるんだよね。まぁ、作中でははっきりと○○年の話とは言及していないから、つまり、作中のニューヨークの大停電は現実世界で2003年に起きたものとは言っていないから、問題はないんだけれどね…。
それにしても、20代女性観客が多かったな。確かに、最近、20代女性と話しているとミュージカル好きな人が多いように感じるから、舞台、映画問わず、ミュージカル好きな女性が増えているってことなんだろうね。
ところで、本作のキャスティングに対して、アフリカ系のヒスパニックが少ないとかブーブー文句を垂れていた連中がいたが、実際に見た感想としては全然、そんなことなかったぞ!
というか、結構、主要キャストの中にアフリカ系の血を引く、見た目が限りなく黒人に近い人も多かったと思う。
まぁ、主役の肌の色は薄めだったけれどね。結局、米国の黒人連中というのは、自分たちが主役じゃないとイチャモンつけてくるようなワガママな人間が多いってことだよね。
あと、メガホンをとったのが、アジア系のジョン・M・チュウ監督ってのも、米国の黒人連中が文句を言っている背景にはあるんだろうね。
彼らは“自分たちは差別されている”と言いながら、平気でアジア人差別をする連中だしね。
そういえば、ジョン・M・チュウ監督といえば、アジア系コミュニティを描いた「クレイジー・リッチ!」で有名だけれど、この「イン・ザ・ハイツ」はそのヒスパニック版と言える要素もあるよねと思った。
それから、言葉使いに関しても興味深く見ることができた。ニューヨークのヒスパニック社会を描いているいうこともあってか、彼らが話す英語が白人や黒人よりも日本人にも馴染みがある言葉使いになっていたんだよね。
白人や黒人なら贈り物について話す時に、“ギフト”という言葉を使うことが多いが、本作のヒスパニックは“プレゼント”という単語を使っていたし、機会について話す時は白人や黒人は“オポチュニティ”と言うが、本作では“チャンス”と言っていた。
舞台版ではそういう細かいところまでチェックできなかったが、今回の映画版では確認することができた。やっぱり、アジア系監督の演出になったおかげで、舞台版よりも我々、アジア人にも分かりやすい話になったってことなのかな?
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