今泉力哉監督“女性差別”発言の根底にあるもの
今泉力哉監督のツイッターにおける発言が女性蔑視として炎上した件については、発言に同意できる部分と、これは言ってはいけないだろうとか矛盾しているよねと思う部分、その両方があると思う。
まずは同意できる部分について。
今回の今泉発言にあったように、女性ファンの多い俳優がメインクラスで出演している映画が、男性映画ファンを映画館から遠ざけているという現象は確かにあると思う。
たとえば、ジャニーズメンバー主演の映画を見に行くと観客のほとんどは女性だし、キムタクや活動休止中の嵐のメンバーの主演映画ならまだしも、キンプリとかSixTONES、Snow Manといったあたりのメンバーが主演の作品だと女性だって、30歳以上はほとんどいなかったりする。
そういう映画をオーバー40の男が、それもイケメン扱いされないような男が一人で見に行ったら不審者扱いされてしまう風潮は確かにあると思う。
また、入場しようとすると、映画館のスタッフにも“あなたの見る作品はまだ入場開始じゃないよ”と思われることもある。
なので、女性ファンに支えられている俳優の出演作品が女性ファン以外の観客を遠ざけているというのは事実だと思う。というか、事実だ。
そして、それは、女性側にも、そうした作品を見ようとする男の観客に対して、差別とまでは言わなくても偏見を持っている人が多いと思う。
“ジャニーズ主演映画を一人で見にくるオーバー40のイケメンでない男は痴漢目当てに違いない”
そういう思い込みを持っている人も多いのでは?
でも、共演者のファンとか、監督のファン、原作のファンという理由で見ようと思っている人だっているし、中には話題の新作映画は一通り見るという主義の映画ファンだっている。勿論、男の中にだって、ジャニーズファンはいる。
つまり、今回の今泉発言を批判する資格があるのは、イケメン俳優やジャニーズメンバー主演の映画を見に来るお一人様のオッサンがいても、変な目で見ない人だけだと思う。
今泉発言の当該ツイートは削除されているので、あくまで推測だが、こうした発言の前提には、プロ・アマ問わず、映画や音楽などのエンタメを愛する男の多くが、“女性ファンに媚びると作品がつまらなくなる”と感じていることがあるのだと思う。
BLといった言葉が一般化するよりも前の時代、そうしたジャンルの作品を好む女性オタク、現在でいうところの腐女子の好む作品のことは“ヤオイ”系と呼ばれていた。
女性オタクにはイケメンキャラがカッコいいポーズを取ったり、カッコいい台詞を言ったり、イケメンキャラ同士が絡んでいたりすれば満足し、全体のストーリーが破綻していても、つまらなくても気にしない人が多い。
つまり、ヤマもオチもイミもなくても気にしない人たちに支持されているから、ヤマ・オチ・イミの頭文字を取って、“ヤオイ”と呼ばれていた。
確かに、少年漫画にカテゴライズされていた作品に女性ファンが増え、彼女たちに受ける内容にした結果、内容がつまらなくなっていった作品は多数ある。よく言われるように、劇場版「名探偵コナン」シリーズはその代表格だと思う。
勿論、最も支持している層に媚びて、その層に受けるような作品を作ることはマーケット的観点からは何の問題もない。
男女雇用機会均等となってからは、男女の給与格差は縮小していった。にもかかわらず、デートした際は男が全額、金を出せという風習は変わっていない。また、女性のみが割引を受けられるサービスも依然として多い。その結果、自由にお金を使えるのは女性の方が多くなっていったというのはある。
また、男は見たいものがあれば、一人でも迷わず行くが、女性は友達や彼氏、家族を誘って出かける人が多い。
一人分の入場料しか払わない男の観客と、複数名の入場料を払う女性観客のどちらに媚びるかといったら、そりゃ、女性観客だよねとなる。だから、エンタメ界が女性ファンを優遇するのは仕方ないところはあると思う。
でも、こうした考えを持つこと自体、女性差別、女性蔑視とされてしまう時代になったのであり、それを認識できない人間はやはり、男尊女卑的思考を持つ老害なんだろうと思う。自分を含めて。
つまり、今泉監督は多少は知名度のある映画監督としては、そういうことを言ってはいけないと認識すべきだったということかな。
まぁ、今泉監督は、問題発言を批判された後に、他の日本の映画人とは異なり、老害ネトウヨ(もしくはパヨク)化することなく、自分の中にある無意識な差別主義を認めていたことは評価できると思う。
朝日新聞で映画関連のコメントをしている藤えりかという記者は、日本人の俳優にのみ“さん付け”をし、外国人俳優は呼び捨てにしておきながら、BLMに同調し、人種差別撤廃なんて訴えている矛盾だらけのことをしているが、それを指摘したら、日本人に“さん付け”をし、外国人を呼び捨てにするのは慣例だから問題ないとかほざいたからね。
そんな人が人事差別撤廃を訴える資格なんてないでしょって言いたい。
つまり、自民党や米共和党を酷評するためだけにBLMを利用しているに過ぎないんだよね。
それに比べれば、自分の無知の知を悟った今泉監督には好感が持てると思う。
結局、日本の映画人・芸能人って、低賃金の長時間労働が当たり前になっているから、映画や芸能以外のことを吸収する金も時間もないんだよね。新聞も読まないし、ワイドショーでないニュースも見ない。
だから、簡単にネトウヨやパヨクになってしまう。それが、社会意識の高い海外セレブとの違いだろうね。
大抵、こうした差別意識について批判を受けると、ネトウヨとかパヨクとか、あるいは単に男を叩きたいだけの間違ったフェミニズムを展開する勢力とかが出てきて、話がややこくしくなってしまうことが多い。
ネトウヨ的な連中は、“フェミやパヨクの連中のせいで言論の自由が奪われた”みたいなことを言うし、フェミやパヨクの連中は問題発言をした者だけでなく、男全員がクソみたいな論調に変えてしまう。
“女性は作品を見る目がない”的なことを言った今泉監督が女性差別主義者なら、男を全否定するフェミやパヨクの思想だって、立派な男性差別だけれど、何故か、それはOKになってしまうから、ネトウヨ老害が騒ぎたくなるのも、分からなくはないけれどね…。
エンタメを巡る性差別問題って、本当、矛盾だらけだよね。
腐女子が好む作品は内容がないからつまらないと言われ、かつては“ヤオイ”と呼ばれていたというのは先述した通りだが、男のオタクが好む作品だって、内容のないものは多いんだよね。
「ガールズ&パンツァー」なんて、男のオタクから絶賛されているけれど、最新作である「最終章 第3話」なんて、個人的には、ずっと、ドンパチやっているだけで、全然、面白いとは思わなかった。
でも、彼等にとっては、全編クライマックスだからヤマはあるし、大会を開催しているのだからドンパチやるイミはあるし、決戦しているのだから勝敗、つまり、オチはついている。だから、“ヤオイ”ではないっていう理論なんだよね。
結局、男女問わずオタクは自分の好きなものは全肯定するし、嫌いなものは全否定する。その口実に異性を利用しているだけなんだよ。
女性オタクが少ない「ガルパン」を絶賛するのは、ボーイズクラブというか、ホモソーシャルというか、そういうノリなんだろうね。
“女には面白さが分からないものを楽しんでいるオレたちって最高だろ”みたいな。
「映画秘宝」編集長による恫喝事件と、今回の今泉発言の根底にあるのは、どちらも、そうしたホモソーシャル的思想だと思う。
秘宝の“事件”の時には、秘宝関係者や映画業界関係者、オタク系映画ファン、フェミをとことん嫌う勢力が一致団結して、被害者が余計なことをしたから、オレたちの楽しみが奪われたみたいな主張をし、秘宝の存続を優先すべきだと主張する連中が多く、その中には町山智浩も含まれていた。その結果、まるで、恫喝の被害を受けた女性が悪者扱いされてしまった。
今泉監督は、その悪しき前例があるからこそ、自分の差別主義を指摘した人を批判するなと釘をさし、尚且つ、自分が差別主義者であることを認めたのだと思う。
秘宝界隈の連中にしろ、パワハラ・セクハラをしていたアップリンク経営陣にしろ、映画業界は自分の非を認めない連中ばかりだったからね。
まぁ、今年公開された今泉作品「あの頃。」を見れば、彼が女性差別的なホモソーシャル思想を持った人間だというのはよく分かるけれどね。
あの映画、下ネタばかりだしね。
オタク文化、アイドル文化を描いた映画を期待していたのに、出てきたのは、ホモソーシャル思想全開の下ネタ映画。要は女性の中には嫌悪感を抱く人も多いと想像される作品だったからね。
ミニシアター系邦画のファンを中心にマンセーされていた今泉監督だっただけに、このまま、いけば、誰もノーを言えない存在になっていただろうから、ここで一度、彼に色んなことを考えさせる機会を与えたことは、映画界にとってもプラスなのではないかと思う。
このまま、大物になり、どんなクソ映画を作っても誰も批判できないような裸の王様になる前に、彼を救うことができたわけだしね。
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