護られなかった者たちへ
with コロナ時代というのはいつからなのかという定義は明確にはないが、日本の映画興行的にいえば、去年の初夏以降ということになるのだろうか。
去年春の緊急事態宣言の際には国内のほとんどの映画館が休業となった。その措置が明けたのが早い地域で5月下旬あたりであり、それ以降は、全国全ての映画館が一斉に休業になるような事態にはなっていない。
東京などでは今年春の緊急事態宣言の際にも一部の映画館が営業を停止したが、それはシネコンを中心とした劇場がほとんどで、商業施設に入居していないミニシアターなどは営業していたし、東京と隣接する埼玉・千葉・神奈川の映画館は営業していたから、一部作品を除いて新作の公開も行われていた。
そんなwith コロナ時代に注目されている女優の1人と言っていいのが清原果耶だと思う。
映画は去年9月以降、本作を含めて8本もの出演作品が公開されている。演じた役のポジションも主役やヒロイン役から助演、チョイ役、声優まで幅広い。
さらには、良くも悪くも日本で最も注目されるテレビドラマ放送枠である朝ドラの現時点の最新作である「おかえりモネ」でもヒロイン役(主演)を務めている。
ただ、「おかえりモネ」の脚本や演出には問題点が多いことから、脚本家や一部出演者のファン以外からは批判的な声も目立ち、それが、これまで築いてきた清原果耶の演技力に対する評価までも下降させてしまっている面も否定できないのが現状であったりもする。
そんなわけで、これまでの清原ちゃん出演映画を全て劇場で見ている自分も、本作を見るにあたって不安を抱くことになってしまっていた。
当初は去年公開予定だったが、コロナの影響で公開時期が変更になったということを考えれば、撮影時期は「モネ」よりも前ということになるのだろうか?
ということは、「モネ」の“悪影響”を心配する必要はないのだろうが、「モネ」も本作も東日本大震災絡みの話だし、本作には「モネ」の放送局NHKの関連会社が製作委員会に入っているので、嫌でもセットで考えてしまいたくなる。
実際、内容自体にも共通点は多いしね。
本作における東京からやってきた刑事を見下す宮城の刑事の描写というのは、「モネ」における東京生活を一時期送っていたヒロインの帰郷について、決して大歓迎ではない幼なじみや妹、父親などの態度に通じるものがあるしね。そういう東北人の排他的な態度の描き方は共通していると思う。
それから、本作でも「モネ」でも清原果耶が彼女の実年齢(19歳)以上の大人っぽい役を演じているというのも共通点かな。
「モネ」では現時点の放送回では24歳になった気象予報士を演じているが、本作では、役所の生活保護担当者だ。職場ではかなりの中心的立場になっているようだが、東日本大震災発生当時に子どもだった(中学生という説もあるが)という場面もあるということは、現在のシーン(大震災から9年後)はかろうじて20代に突入したくらいの年齢とかでしょ?大震災発生当時中学生だったとしても20代半ばくらいかな?ということは、高卒で公務員になったわけだよね?年齢的にも学歴的にもそんな人が役所で中核的な仕事をやれるのかな?
まぁ、清原ちゃんのルックスが大人びているから、そんなに気にならないんだろうけれど。
本作でも高校生くらいになった彼女演じるヒロインの場面があり、そのシーンでは制服姿を披露しているけれど、最近の清原ちゃんのビジュアルはどんどん、実年齢以上に大人っぽくなっているから、そろそろ、女子生徒役は限界かもね。
普通だったら、19歳なんて、キラキラ映画(少女コミック実写化作品)にバンバン出ている頃なのに、彼女にはそういう機会はなさそうだね。
あと、はっきりと“事件”が起きた瞬間を描かずに、観客(視聴者)に、もやっとしたものを抱かせておいて、後で回想や説明台詞で明らかにするという構成も同じ。
東日本大震災を題材にしながら、大震災発生の瞬間やその直後を描かないのも一緒。
被災者のPSTD症状を再発させないためみたいな配慮なのかもしれないが、そんな配慮をするなら、そもそも、東日本大震災を題材にした映画やドラマなんて作るなよって言いたくなってしまうかな。
こういう“配慮”は映画やドラマだけでなく、ニュース番組とかワイドショーでもあるからね。
東日本大震災に限らず、米同時多発テロでも飛行機が世界貿易センターに突っ込んだ瞬間や、その直後のビルが崩れていく場面は使ってはいけないって、日本の放送局では取り決められているしね…。
さすがに今年は発生から20年の節目の年だから、発生当日は“衝撃的な場面が含まれる”みたいなお断りスーパーを入れて放送していたけれど、なんか違うんじゃないかなって気がするな。
そういえば、本作の中でやたらと、“震災”という言葉が使われていたのも気になったかな。
別に東日本大震災を“震災”と呼ぶ映画やドラマはこの作品に限ったことではないし、ニュース番組やワイドショーでもキャスターやコメンテーターが何も気にせずに東日本大震災のことを“震災”と呼んでいるけれど、それって、まるで東日本大震災以外は震災ではないって言っているように感じるんだよね。
東日本大震災以降、熊本などで大地震があったが、それらは震災じゃないのかって話になるしね。さらに、極端なことを言ってしまえば、東日本大震災以後、地震扱いされなくなり、速報が流れることがなくなってしまった震度1の地震だって、その揺れで棚から食器が落ちてきて、それが割れたら、言い方は悪いが、立派な“震災”だと思うしね。
というか、同じく大震災と呼ばれる阪神大震災が東日本大震災のわずか16年前の出来事でしかないのに、東日本大震災だけを“震災”扱いするのはなんだかなという気はするかな。
勿論、阪神と異なり、東日本では、大津波が発生し、原発事故も起きたということもあるけれどさ…。
何となく、阪神大震災の被災地は都会だから同情しなくていいみたいなところがあるのでは?
話は戻るが、「おかえりモネ」との決定的な違いもある。それは、清原ちゃんが好演しているということだ。
というか、元々、彼女の演技は高く評価されていた。でも、「モネ」における彼女の演技に対する評価は低かった。どちらかといえば清原ファンに分類される自分でもそう思うくらいだ。でも、この映画を見ると、やっぱり、清原ちゃんの演技は良いと思うんだよね。
つまり、「モネ」の彼女の演技が酷く見えるのは、脚本や演出のせいってことなのかな。
同じ東日本大震災を題材にし、闇を抱えている人たちの話なのに、両方の作品でヒロイン役を演じた女優の演技が片方だけ良く見え、もう片方が酷いというのはそういうことなのでは?
まぁ、本作のストーリー展開もかなりデタラメなものだから、そう考えると演出がなっていないってことかもしれないな…。
演技といえば、佐藤健の演技は素晴らしかった。彼を演技派と思ったことはこれまでなかったが、今回は賞レースを賑わす存在になるのでは?
まあ、他の主要キャストに関していえば、阿部寛って何に出ても阿部寛だし、林遣都も何を演じても林遣都って感じだったけれどね。しかも、この2人の組み合わせを「ドラゴン桜」で見たばかりだから、尚更、いつもと変わらない演技って感じてしまったかな。
というか、エンドロールを見たら、キャストのクレジットの一番最後に阿部寛が出てきたのでビックリした。この話って、阿部寛演じる刑事を中心に展開していると思っていたが、主役じゃなかったのか。
エンドロールといえば、中国映画とかヨーロッパ映画とかでたまに見るエンディング曲が終わったあとも、クレジットが流れ続けるってのがあるが、邦画、しかも松竹という大手の配給作品でもそういうのあるんだね…。
それにしてもツッコミどころだらけの作品だったな。原作を読んでいないから詳しいことは知らないが、原作と一部設定を変えたせいなのか?それとも、原作自体がそうなのか?
クレジット順だと主人公になる佐藤健演じる放火で逮捕されたことがある男が、就職先を見つけた際に、そこの社長らしき人物が“殺しと放火以外ならいいんだけれど”みたいなことを言って、一旦、この主人公の雇用をやめようとする場面も意味不明だ。
殺しと放火以外って、レイプとか窃盗はいいのかよ?男だらけの職場だからレイプはないかもしれないが、窃盗なら会社のものを盗まれるかもしれないぞ。しかも、そんだけ渋っておきながら、結局、採用しているのも意味不明だ。
あと、作中の思想もネトウヨっぽくなったり、パヨクっぽくなったりして迷走しまくりで、ポリシーを感じない。
生活保護を不正受給している登場人物に感情移入したくなるようなパヨク的視線があったかと思えば、困窮に陥った人間は自己責任だみたいなネトウヨ的な見方も出てくる。
自己責任といえば、きちんと年金保険料を納付していなかったので年金をもらえなかった人物が出てくるが、それこそ自己責任だよね。
さらに、なるべく住民に生活保護を受けさせないように仕向ける役所の態勢を批判するパヨク的な思想が入ったかと思えば、リベラル系の政治家の偽善的な言動を批判するネトウヨ的思想もあったりする。
かと思えば、役所勤めの人間やリベラル政治家が善行をしている場面も描かれている。
一体、何を言いたいのかがよく分からない。
そして、何よりも突っ込まざるをえないのが、阿部寛演じる刑事が発した“汚名挽回”という言葉だ。他のキャラクターが何もそれに突っ込んでいなかったってことは、別にこの刑事が仕事にかまけて一般常識がない人物として描かれているというわけではなさそうだ。
つまり、本作の監督であり、共同で脚本も執筆している瀬々敬久が、その間違いに気づいていないってことだよね。
何か社会派監督のイメージがあるけれど、この程度の常識しかない人だったんだね。
本当、日本の映画監督って、海外の映画監督に比べると映画以外のことを知らないのが多すぎるな。ブラック労働で、仕事と酒を飲む以外の時間がないから、こういう無知な人間だらけになるんだろうね。
ところで、ヒロインが最後、一時期、一緒に生活していた老婆の家を久しぶりに訪れた際に、ふすまに書かれた“おかえりなさい”のメッセージを見つけるというシーンがあるけれど、清原ちゃん演じるキャラクターが宮城で、こういう言葉をかけられる展開というのは、どうしても、「おかえりモネ」を思い浮かべてしまうよね…。