![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/65129000/rectangle_large_type_2_5937fa8bac6ae9b1c2a6ed6f6b7e7bab.jpg?width=1200)
石橋財団コレクション選「印象派ー画家たちの友情物語」@アーティゾン美術館
アーティゾン美術館に初めて行った。正確に言うと、ブリヂストン美術館がアーティゾン美術館と名前を変えてから訪れたのは初めてだ。
以前は狭い美術館という印象だったが、だいぶ広くなったように思う。
それでも、三菱一号館美術館よりも移動距離は少ないとは思うけれどね。
とはいえ、今時、1200円(要事前予約)で見られる美術展なんてないし、しかも、それで、企画展2つとミニ特集を含む常設展示も見られる。これはかなりお得だと思う。
展示スペースは4〜6階に位置しているが、入場時はこの中では最上階の6階にまず行かされ、そこから下の階へ降りていくという鑑賞の仕方が基本となっているようだ。
なので、6階フロアーでの展示からふれていくことにする。
6階では企画展「ジャム・セッション 石橋財団コレクション×森村泰昌 M式「海の幸」ー森村泰昌 ワタシガタリの神話」をやっていた(「」の付け方が変になってしまったがご了承を)。正直、この森村泰昌という現代美術家に関する知識はないのだが、2021年に制作された作品が展示されていたのには驚いた。まぁ、自分は現代美術にあまり興味ないから、普段そういう展覧会に行っていないだけなんですけれどね。今回だって、もう一つの企画展目当てでアーティゾンを訪れたわけだし。
そして、5階で開催されているのが、自分の目当てであった「石橋財団コレクション選 印象派ー画家たちの友情物語」だ。自らのコレクションで印象派の企画展をできるというのはこのアーティゾンがきちんとした美術館であるあかしだと思う。
日本では美術館を名乗っていながら、実際は単なるイベントスペースでしかない施設も多いからね。国立新美術館なんて、本当、酷い。
そもそも、新という文字が入る位置がおかしいよね。普通は頭では?まぁ、頭に新が入っていても新銀行東京みたいなおかしな並びのものもあるけれどね。これは銀行という言葉の位置がおかしいんだけれど。
話は戻るが、印象派の展覧会って、つい見に行ってしまうんだよね。
最近もBunkamura ザ・ミュージアムで「甘美なるフランス」、三菱一号館美術館で「印象派・光の系譜」を見たばかりだしね。
やっぱり、クロード・モネが好きなんだよね。
ずっと見ていても飽きないし。
今回、アーティゾンには結構な人が入っていたけれど、おそらく、ほとんどの人がこの企画が目当てだったのでは?
ところで、この「睡蓮」って、前に見たことあったバージョンなのかな?思い出せない…。
そして、4階は常設展的な感じの中にミニ企画展みたいなものをやっているって感じになっていた。
上野の国立西洋美術館でも(広さも展示数も全然違うが)似たようなことをやっているけれど、やっぱり、常設展を設け、しかも、きちんと、展示作品を入れ替えたり、特集コーナーを設けたりできるのが、本当の美術館だよねって思う。
とはいえ、不満もあるんだよね。というか、アーティゾンに限らず、最近、美術館や博物館に行くとストレスを抱えて会場をあとにすることが多いんだよね。
それは、来場者の質が変わったということ。展示作品の写真撮影をOKにしている美術館が増えたことにより、美術鑑賞ではなくインスタ映えするイベント的なノリで美術館・博物館にやってくる人が増えたんだよね。
こうした人は肉眼で見ることよりも、撮影することに重きを置いているから、作品の前でアングルを変えたりなんだりして、何枚も撮影するんだよね。なかなか作品の前から動いてくれないから、こちらとしてはなかなか作品を見させてもらえない。
しかも、こういう映えを狙っている人たちって女性が多いんだけれど、大抵、女友達とか家族、彼氏と来ているから、ペチャクチャしゃべりながら鑑賞しているんだよね。
本当、展示作品の前でペチャクチャ話している奴とか、作品を指さす奴って腹立つんだよね。作品やアーティストに対するリスペクトがないよね。
もしかしたら、こういう考えは古いとされ、下手すると老害扱いされてしまうのかもしれないけれど、やっぱり、美術館って、じっくりと静寂の中、作品と向き合うものだと思うんだよね…。
まぁ、日本の美術展って、新聞社やテレビ局のイベントになっているものがほとんどだし、このアーティゾンのように企業が運営している美術館も多いから、どうしても、金儲けが優先されてしまうんだろうけれど、なんだかなって気もするよね…。