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フォーエバー・チャップリン ~チャールズ・チャップリン映画祭~「街の灯」

生涯ベストの名作映画を1本選べと言われたら、どの作品を選ぶか迷うという映画ファンは多いと思う。

答える相手によって、選定の基準を変えて選んでいる人も多いのでは?
自分の場合、単純に最も好きな作品なら「マネキン」、何度でも見たくなる作品なら「インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説」、最初は良さが分からなかったけれど、年齢を重ねれば重ねるほど良さが分かる作品なら「ローマの休日」、何度見てもよく分からない作品だが映画好きっぽい雰囲気をアピールするなら「2001年宇宙の旅」、アニメーションなら「リトル・マーメイド/人魚姫」、日本映画を求めていそうな人が相手なら「ルパン三世 カリオストロの城」なんてあたりだろうか。

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でも、これぞ名作という基準で選ぶのであれば、間違いなく、「街の灯」と答えると思う。

全てのシーンが名場面だし、大爆笑するシーンの連続なのに、ラストでは大感動してしまう。

ラストシーンで主人公とヒロインは再会できた。目が不自由だったヒロインの目が見えるようになった。それだけなら嬉しいことなのに、ヒロインは目の前にいるみすぼらしい主人公が目が見えなかった時の自分を助けてくれた恩人だとは気付かず、憐れみの眼差しで見ている。そして、この主人公に恵んでやろうとした時に手が触れ、目が不自由だった時に彼と接した際の感触が戻り、“あなただったの?”と一言声をかけて幕は閉じる(その後に、もう少しやりとりはあるが)。

何て、人生は残酷なのだろうか。結局、人は見た目で判断されてしまうということだ。

おそらく、この後、ヒロインが主人公に恋愛感情を抱くことはないと思う。そりゃ、汚らしいムショ上がりの男と付き合おうなんて思わないよね。いくら恩人でも。
主人公だって、自分が下層のさらに下の人間だと分かっているから、彼女に付き合ってくれなんて言えない。というか、久しぶりに彼女を見かけた時も声をかけられなかった。それは、自分があまりにもみすぼらしいということを分かっているからだ。

わずかな尺のラストシーンにこれだけの様々な感情が込められているんだから、映画史屈指の名場面と言わざるを得ないと思う。

こんな名作中の名作に初めて接したのは80年代半ば頃、自分が中学生の頃だと思う。
この頃は夏休みになると、チャールズ・チャップリン作品がNHKで集中的に放送されていて、同級生の間で、“昨日見た?”みたいに話題になったりもしていたんだよね。

そして、テレビ放送で2回くらい見た後に、初めて映画館で見たのが、1986年1月のことだった。

そうした、テレビ放送でチャップリン作品が人気となっていることや劇場での上映権が切れることなどを理由に85年の年末から「チャップリン・フォーエバー」として連続上映されることになり、その第1弾として、「街の灯」と「ゴルフ狂時代」が2本立てで全国公開された。
しかし、テレビでちょくちょく見られる作品をわざわざ、映画館で見ようとは思わない人が多かったせいか、客入りは良くなく、第2弾以降は小規模な公開になってしまった。
まぁ、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」や「グーニーズ」、「ポリス・ストーリー/香港国際警察」といった話題作が日本公開されていた時期だったので埋もれてしまったんだとは思うけれどね。

そして、その後、90年代初頭に廉価版ビデオ(VHS)として、チャップリン作品がまとめて発売されたので、それを購入し、その際に改めて、「街の灯」を鑑賞した。

それからしばらくは、きちんと全編を通して見るようなことはなかったと思うが(記憶は曖昧…)、久しぶりに見たのは2003年のことだ。この年、久しぶりにチャップリン作品がまとめて、「Love Chaplin!チャップリン映画祭」として上映されることになった。当時、自分は失職中で時間に余裕があったということもあり、同映画祭の全上映作品を鑑賞してしまった。勿論、そのラインナップの中には「街の灯」もあった。

そして、2007年には没後30年追悼企画として、「WITH CHAPLIN/チャップリンと。」という映画祭が開催された。さすがに全上映作品を見ることは無理だったが、この時も「街の灯」はきちんと鑑賞した。

その後、名画座の新文芸坐でも鑑賞したほか、今はなきスバル座の65周年企画での上映でも見ている。

今回は、そのスバル座での鑑賞以来、10年10ヵ月ぶりの「街の灯」体験となった。「フォーエバー・チャップリン」と題した映画祭の上映作品としての鑑賞だ。

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場内は中高年だらけだった。パッと見た感じ、自分より年下に見える観客は1人か2人いるかどうかだった。海外では映画にしろ音楽にしろ、サブスクサービスの普及によって、過去の名作や名曲を発掘し、新作や新曲と同じように親しむ若者が増えているが、日本では、全然、そんな風にはならないんだよね…。

名作映画のリバイバル上映にやって来るのは中高年ばかり。ベテランアーティストのライブにやって来るのも中高年ばかり。

結局、ネットで盛り上がっている作品を友達との会話の話題にするためだけに、コンテンツを倍速視聴したり、サビだけ聞いて飛ばしてしまうようなことばかりしているから、過去作に興味を持てないんだろうね。

それから、場内に来ている中高年も中高年で問題だ。もっと声を出して笑えよって思う。声を出して笑わないのが映画通みたいに思っているのかな?

まぁ、さすがにボクシングのシーンでは笑い声で溢れていたけれどね。

このシーンほど笑えるシーンのある映画はないって言いたくなるほどだ。

そして、ラストシーンはやっぱり泣いてしまった。これほど泣けるラストシーンの映画も他にないよねって言いたい。

ラストで主人公が、“見えるようになった?”とヒロインに聞くが、こちらは目がウルウルして、きちんと見えないんだけれどね。

やっぱり、生涯ベストムービーの座は揺るぎないと思った。

まぁ、現在のポリコレ視点だと、色々と微妙な描写はあるとは思うが、それは仕方のないことだしね。

そして、ふと思った。

本作における実際はみすぼらしい放浪紳士の主人公が目の見えないヒロインのために背伸びして金持ちのように見せようと奮闘する姿って、地下アイドルとかAV女優のファンや、キャバや風俗の客が推しやお気に入りの嬢と会うたびに、貢ぎ物を持って参上する姿に似ているよね。
実際はオタクや客より、推しのアイドルやAV女優、キャバ嬢、風俗嬢の方が金を持っているのにね。

というわけで、地下アイドルとかAV女優、キャバ嬢、風俗嬢などにガチ恋している人は本作を涙なしでは見られないのではないかと思う。

そうそう!

主人公は、しょっちゅう記憶をなくす、酔っ払っている時だけ、心の友になる大富豪のせいで、金を盗んだことにされ、ムショ生活を送ることになるけれど、酔っ払っている時とはいえ、きちんと、大富豪から金をもらっているんだよね。だから、実際は無実の罪で逮捕されたようなものだったりもする。その辺が主人公に感情移入でき、ラストで泣いてしまう理由でもあるんだろうね。

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