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劇場版『RE:cycle of the PENGUINDRUM[後編]僕は君を愛してる』

2011年に放送されたテレビアニメ「輪るピングドラム」の総集編映画「RE:cycle of the PENGUINDRUM」は4月に公開されたに「[前編] 君の列車は生存戦略」と本作「[後編] 僕は君を愛してる」の2部作構成となっている。

前編を見た時の感想を一言で言うと、テレビシリーズを全く見ていない者には不向きの典型的なダメな総集編映画”であるといった感じだろうか。

なので、前編鑑賞時点では、きちんとした評価はできないと思った。 

「ロード・オブ・ザ・リング」3部作は3本全てがアカデミー作品賞にノミネートされたけれど、受賞したのは3作目(=完結編)の「王の帰還」のみだったように、2部作とか3部作として作られた作品は、完結しないと冷静な評価はできないと思うしね。
「スター・ウォーズ」旧3部作の「帝国の逆襲」や新3部作(1999年からスタートしたシリーズ)のように、それぞれのエピソードの終わり方が中途半端であったとしても、1本作り終えてから、その後に次の作品の制作に入るというスパンで作られている作品ならそれぞれを独立した作品として見ることができる。
でも、「ロード・オブ・ザ・リング」のように、複数のエピソードを並行して制作した作品はどうしても、全話まとめての評価になってしまう。それは、テレビドラマやテレビアニメに対する評価が単体のエピソードではなく、シーズン全体で評価されるのと同じことだと思う。

それから、テレビ版の放送が2011年だから仕方ないんだけれど、扱われているテーマがちょっと古いなというのも感じた。
まぁ、10周年を記念して劇場版を作ったはずなのに、放送から10年の2021年ではなく、翌年の2022年公開になってしまったのはどうなんだろうという気もしたが…。

でも、前編公開時では古くさいと思われていたテーマが後編公開時にはタイムリーなものになってしまった。

本作の主人公兄妹の両親はテロ行為を働いた新興宗教信者だ。実名は出されていないが、作中で事件が起きた時期を見れば地下鉄サリン事件などを起こしたオウム真理教をモデルにしていることは明白だ。そうしたテーマは正直なところ、2022年4月の時点では風化しつつあったと言わざるを得なかったと思う。

しかし、7月になって、新興宗教を巡る問題というのが改めて注目されることになってしまった。

それは、安倍晋三“暗殺”事件が起きてしまったからだ。

犯行の理由を大雑把に言えば、安倍および自民党と統一教会の関係に腹が立ったということになるようだ。

まぁ、安倍および自民党と統一教会の関係は以前から言われていたのに、何故、今更、犯行に至ったのかは全く理解できないが。

この殺害犯はかつてはネトウヨ思想だったが、安倍と統一教会の関係を知り、反安倍になったと言われているが、つい最近まで知らなかったということに呆れてしまう。

ネトウヨって韓国が大嫌いなのに、安倍および自民が韓国系の統一教会と深い関係にあることを黙認していることが不思議で仕方ないんだけれど、もしかすると、世のネトウヨのほとんどはこの殺害犯同様、自民と統一教会の関係を知らないのか?マスゴミやパヨクが自民批判するためにはっているネガティブ・キャンペーンだと思っているのだろうか?やっぱり、ネトウヨって無知の塊だよね。

そもそも、自民が韓国系の統一教会のみならず、思想的には共産党よりも左と言ってもいいような創価学会が支持母体の公明党と連立政権を組んでいることをネトウヨが黙認しているのも謎なんだけれどね。
神道系の胡散臭い団体とのつながりはいかにもネトウヨ思想だから分かるけれど、統一教会や創価学会との関係を黙認しているのは意味不明だ。自民のやることは自分の気に入らないことでも批判できない病にでもかかっているのだろうか。

ところで、マスコミや政府は、今回の安倍殺害事件について、“安倍元総理銃撃事件”とぼやかして言ったりしているし、中には“安倍元総理が銃撃されて亡くなった事件”などといったまどろっこしい言い方をしているケースもある。

でも、今回の事件ってどう見ても暗殺だよね。

Wikipediaによると、暗殺とは、「おもに政治的・思想的動機に基づき要人を非合法に殺害することであり、テロリズム行為の一形態に分類される」とのことだ。

直接的な理由は自分の母親が統一教会に搾取されたこととは言え、間接的には元総理大臣と新興宗教団体との関係が背景にあるわけで、それは誰が見ても政治的・思想的な動機による要人の殺害、つまり、暗殺だよね。

どう考えても、自民と統一教会をはじめとする宗教団体との関係を曖昧にするために“暗殺”という言葉を使わないようにしているとしか思えない。

まぁ、宗教問題を追及すれば、公明が連立与党でいることもおかしいわけだし、野党にも統一教会などの宗教団体と関係を持っている政治家は多い。さらに、れいわやNHK党、参政党など限りなく新興宗教に近い形で支持者を洗脳し、金を集めているように見える政党も多い。
唯一、堂々と今回の事件で政党と宗教団体とのつながりをはっきりと批判している共産だって、共産党員になるには実収入の1%を寄付しろなんていう新興宗教レベルのようなことをしている。
だから、日本の政治家にはまともに今回の事件の背景にある諸問題は解決できないんだろうね。

ところで、安倍晋三の国葬を開くことが決まったが、この件に関しては野党や野党支持者が反対をしているようだ。

今の日本というか先進国の多くでは、0か100かという考えが蔓延している。
日本の話でいえば、与党支持者なら与党のやることは100%肯定しなくてはいけないし、与党のやることを1%でも否定すれば、反日・在日と言われてしまう。
野党支持者の間でも同様の考えがある。基本的には与党の政策に批判的なスタンスの者でも、改憲や原発再稼働に肯定的だとネトウヨ扱いされてしまう。
だから、実際は国民の圧倒的多数であるはずの無党派層・浮遊層の意見は埋没してしまう。

自分は自民の政策のほとんどは支持できないし、安倍は大嫌いだったし、アベノミクスはウソっぱちだ(正確に言うと、第2次安倍政権発足直後は効果はあったが、2014年の消費増税で全て吹っ飛んでしまったという感じかな)と思うし、安倍政権時代の失敗を認めたくないから、それをごまかすためにいまだに円安を黙認していて、それが今の経済的困窮につながっていると思っている。

でも、そんな自分でも、安倍の国葬は開くべきだと思っている。それは、安倍が“暗殺”されたからだ。

安倍政権のやり方は好きではなかったし、安倍政権を巡るスキャンダルは2000年代までなら支持率が低下し、総理大臣や閣僚は辞任せざるを得なかったと思うし、逮捕されてもおかしくないケースも多々あった。
でも、選挙で選ばれた政権であることは間違いないわけだし(直接、一般国民が総理大臣を選べないとはいえ)、政権批判=反日・在日という洗脳のせいで政権批判しない人が増えたとはいえ、支持を強制されたわけでもない。
しかも、安倍は殺害された時点では現役の政治家だったし、総理大臣を退いてからもまだ、丸2年も経っていない。

先進国・法治国家であるならば、その者の思想にかかわらず、“暗殺”によって政治家、しかも、総理大臣経験者が命を落としたのであれば、国葬を開くのは当然だと思う。

ただ、国葬を開くのに休日にしないというのは意味不明だ。飲食店や映画館などを休業にする必要はないし、国葬の時間帯に遊びたい人間は遊んでいいと思う。でも、一般のオフィスや学校は喪に服さなくても休みにすべきでしょ。
通勤通学のラッシュをなくすことは警備面でのメリットもあるのでは?国民が普通に仕事をしたり、学校に行ったりしているのに国葬って何を考えているんだ?税金の無駄遣いとしか思えない。

それから、ロシアのプーチン大統領の参列を拒否するというのも意味不明だ。冠婚葬祭という場だからこそ、しかも、日本という欧米から距離を置いた国だからこそ、国連やNATOなどの枠組みから外れて、ロシアと欧米の首脳や閣僚級が立ち話レベルかもしれないが、会談することができるのに、その場を自ら放棄するというのはありえない。それとも、安倍の“暗殺”を日本の警察が防げなかったので、日本でプーチン暗殺が起こると困るとでも思っているのか?
そもそも、日本の警察は自民の政治家が演説する際に、パヨクによる政権批判を口封じすることばかりに躍起になっていて、肝心のセキュリティー対策が疎かになっていたから、こういう事件が起きたんだよね。

そんなわけで、テロ行為を働いた新興宗教信者の子どもたちに罪はあるのか否かというテーマを描いた本作は非常にタイムリーなものになってしまった。

安倍“暗殺”事件の場合は、犯行を働いたのが統一教会信者である母親ではなく、統一教会にのめり込んでいくのが許せなかった子どもの方ではあるけれど、まぁ、新興宗教ネタの映画を今見れば、誰もが今回の事件を想起してしまうと思う。

新興宗教(というかカルト教団)に入信しているかいないかはさておき、テロを含む犯罪者の家族、特に子どもたちが責任を負うべきか否かというのはよく議論されるテーマだと思う。

個人的には責任を負うべきだと思っている。

子どもが成人して独立していて、冠婚葬祭以外で顔を合わす機会もほとんどない。しかも、親が犯罪行為に手を染めたのが子どもが成人して以降という場合は全く子どもが責任を感じる必要はないと思う。

でも、親が犯罪行為を働いたのが子どもの成人前であれば、子どもに責任はあると思う。それは、親が犯罪行為で手にした金品で子どもも生活していたからだ。

なので、テロ行為を働いたカルト教団信者の子どもたちに同情したくなるような描写がオンパレードの本作は好きにはなれない。

本作には大人の登場人物は数えるほどしか出てこないし、大人・子ども問わずモブキャラは顔のない記号として描かれているから、尚更、テロリストの子どもたちに感情移入しやすくなっている。実在の宗教団体の名前は出てこないとはいえ、洗脳しようとしていると批判されても仕方ないレベルだと思う。

実名絡みでは、サンシャインが協力しているのには劇中では紛い物みたいな名前で出てくるのは謎だな…。

それから、時系列的にも辻褄的にも合っていないんじゃないかと思う点も多々あり、正直言って冷静に見ることはできなかった。

まぁ、チャレンジングなテーマを扱っていたとは思うけれどね。地下鉄サリン事件の年に生まれた子どもがテレビ版が放送された2011年には高校生になるということで、こういうテーマの作品を作ろうと思ったという企画意図は理解できるからね。

それに、2011年は東日本大震災が発生した年で世の中が沈んだ雰囲気になっていたから、こういうスピリチュアル的な考察系アニメにハマりやすい雰囲気というのもあったとは思うしね。何しろ、この年には「まどマギ」や「あの花」もあったからね。

ただ、「まどマギ」や「あの花」のようにすぐに劇場版が作られなかったことからも分かるように、本作の出来が決して絶賛できるものではなかったし、そこまで人気作品にもなれなかったということなんだよね。

結局、この劇場版プロジェクトって木村昴人気のおかげで成立している面も大きいと思う。「ヒプノシスマイク」などで人気者となった木村昴が初めて「ドラえもん」のジャイアン役以外を担当したのが「ピングドラム」のテレビ版だったわけで、単なるジャイアン役を引き継いだだけではない、1人の声優としての木村昴が本格的に誕生した瞬間を振り返ってみようという狙いもあったと思うしね。まぁ、今見ると(聞くと)、11年前の演技は決してうまくはないよね。

《追記》
そういえば、前編の時も今回の後編の時も、戦隊シリーズの劇場上映作品とハシゴしている…。
まぁ、鑑賞順は前回はピングドラム→戦隊だったのが、今回は戦隊→ピングドラムと逆になっているけれどね。

というか、今回は戦隊とピングドラムをハシゴしたというより、リバイスとピングドラムをハシゴしたと言った方がいいのかな。つまり、木村昴ハシゴってことか…。

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