クワイエット・プレイス:DAY 1
3年に1本ペースで発表されている「クワイエット・プレイス」シリーズの3作目。今回はサブタイトルからも分かるようにエピソード0的な内容の作品だ。
1作目は地方、2作目はリゾート地(謎の生物に支配されて以降の世界だから元リゾート地かな)が舞台だが、今回はニューヨークが舞台だ。この調子だと今度は宇宙とか行ってしまいそうだ…。ジェイソンみたいだね。
本作はまさかの感動作だし、映画としての出来はシリーズ中で一番良かった。
主演がルピタ・ニョンゴにかわっているので、最初に本作のビジュアル(場面写真)を見た時は黒人や女性、同性愛者、障害者などの差別撤廃を声高に叫ぶポリコレ至上主義の作品なのではと危惧したりもした。勿論、ポリコレ全開でもジョーダン・ピール監督作品のように面白いものもあるけれど、大抵はガッカリするものが多い。特にホラーとかSFにカテゴライズされる作品でやられると、内容よりも主張の方が優先されてしまい、つまらないものになることが多い。最近のヒーローものやディズニー映画になってからの「スター・ウォーズ」がイマイチなのはまさにこれのせいだ。
でも、本作にはそんなものはなかった。ゼロとは言わないが。
なので、ポリコレのせいで映画がつまらなくなるという危惧は本作には不要だ。
ただ、ホラーやSFの要素はかなり薄い。本作を見たいと思う人のほとんどは過去2作を見た人だと思う(ルピタ・ニョンゴのファンなどを除けば)。
なのに、提供されるのはミニシアター系作品でよく見かける闘病する主人公の生き様を描いた感動ドラマなのだから(予算はミニシアター級ではないが)、いくら出来が良くても満足できない人が多いのではないかと思う。
それにしても、謎の怪物の設定が回を重ねるごとにどんどん、ザルになっていくね。
1作目で滝の裏側に入って会話すれば、音に反応して攻撃してくるという怪物たちに聞き取られずに済むという設定が明かされるが、本作では公園の噴水の中に入ったり、雷雨の際に雷鳴が轟いた瞬間に話したりすれば相手に気付かれないということが分かった。そんな緩いルールでいいの?
また、2作目では怪物たちは泳げないということが判明したが、泳げないのにもかかわらず、湿っているし、いつ滑って落ちるか分からない下水道のトンネルを移動しているのはよく分からなかった。それに、大雨が降っても体が弱まっている様子もないようだ。水を大量に浴びるのはOKで単に泳げないってだけなのか?まぁ、大量の水に弱いという設定にしたら、簡単に怪物を倒せてしまうから、こういう中途半端な設定にしているのだろうが。
本作はプリクエル、スピンオフ的な内容ではあるが、過去作に出てきたキャラクターも登場したので、一応、世界観は保たれているのだとは思う。
この調子でいけば、いくらでもスピンオフは作れそうだ。
でも、一番見たいのは2作目の続きだと思うんだけれどね。