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隔離のお話。

2020年2月28日から3月13日の間の隔離の記録です。

隔離の情報などは当時(2020年2月)のものですので現在と異なる点があることをご了承くださいませませ。

写真:台湾に戻る前に旅のお供にと祖父母がくれたお菓子。

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冬休みが終わり台湾に戻る 

私、2019年から台湾に進学しておりまして、1月に一時帰国し翌月2月28日にまた台湾へ戻り、その日から隔離、その15日後釈放されました。

1月、祖父母と新型コロナの影響により休校になり仕方なくお仕事で来られない母の代わりにやってきた弟達に見送られ、新千歳空港から関西空港へ飛びガラガラのフードコートでなんとなくお昼にたこ焼きを食べ、持たされたお菓子をモゴモゴ食べながら1時間遅れの飛行機を待ちやっと台湾に着いたのは20時すぎ。

飛行機から降りて入国審査場まで向かう途中で何やら書類を書かいている人と長蛇の列が。

書類はベトナム語、英語、広東語、日本語などなどで書かれていてそこには新型肺炎に関する質問(咳・発熱はあるか、感染者との接触はあったかetc.)と署名欄があり、それを書いたあと列に並んでパスポートとその書類を見せOKをもらってから入国審査へと進めました。

ちなみに台湾国籍の方々はQRコードをスキャンして記入、送信してすぐ通過してました。(すごいね台湾。

夜の便だったこともあってか利用者も少なく、入国審査場はすっからかんでした。

さらに私の場合オンライン入国カード申請していたので居留証とパスポートを見せてすぐ終わりました。


それから荷物を受け取り、空港を出たら夜なのに暑い。

それも実は、少しでも多くものを持っていきたいという邪な気持ちでTシャツ5枚にジャンパーを着ていたからもあります笑

道理で千歳にいた時寒くなかったわけだ。

実際当時の高雄の気温は20度ほど、普通に半袖を着ていたら丁度いいくらいのはずなのです。

空港から歩き側の地下鉄に潜り、ホームでやっと荷物を置き、流石にこのままだと暑いので重ね着した服を脱ごうと手をかけましたが、ちょうど男性陣がちらほらやってきて「あ、これはやめとこう。」と諦めジャンパーだけ脱ぎカバンに放り込みました。

飛行機から降りて時間も経っており喉も乾いていましたが残念ながら台湾では地下鉄内とホームでは飲食禁止。そんなわけでこれも諦めました。

普通なら駅に着く前に飲めばよかったんですが予定より1時間遅れた到着で学校までの行くバスに間に合うのかという焦りと疲れで頭が冷静に働かずとりあえず学校を目指そうという一心でのみいました。

あらかじめ隔離されるのは知っていた(と言っても台湾に戻る5日前ぐらい)ので隔離先の寮へ向かう途中すぐ隔離されてもいいように日用品を買いに乗り換え駅から徒歩10分、途中スーツケースの取手が壊れ荷物を引きずり、やっとも思いでバスタオル・歯ブラシ・歯磨き粉・洗剤と何故かリンゴジュース(あとものはあらかじめ日本から持ってきた)を買いバスに乗りました。


今思えばマスクして真っ赤な顔して荷物引きずってるのによく通報されなかったな、と。(でもスーツケースもって入店はなかなか目立ってました)
しかしこの努力も後々水の泡となるんですよね〜。

バスで大学までは40分ぐらい。バスの中も飲食禁止なのでまだ水を飲めていません。

ですが幸い乗ってる人も少なく荷物もバスの下に乗せれたのでやっとここで何枚かTシャツを脱ぎました笑

そんなこんなでついたのは23時ぐらい。バスから荷物を下ろし寮まで行くといつもの寮父さんが来たかといった感じにこちらをジロリ。マスクをしてないので随分ゆるいなと思いながら私は「隔離される日本人です。」と超ド直球に言い学生証を見せ入寮(監禁)の手続きをし、寮父さんの指示を待ちました。

デスク先で何やらゴソゴソしてたのでチラッと覗くと今更マスクをつけ「じゃあ部屋に案内する」と立ち上がり、内心、え?このタイミングでするの?今私と普通に話してたけど。つか、空気感染じゃないのにな…まあ部屋着いたら寝よと考えながらついて行きました。


途中一階のロビーの自販で飲み物買っていいか聞くと隔離フロアにもあると言うので逃げ場はないな…と諦めてエレベーターに乗り隔離フロアに着くと本来三つあるエレベーターの残り二つと階段が板張りになっていました。

疲れてるんだなと見てみぬふりをするとすぐ部屋につき寮父さんがノックをしたので誰もいない部屋に何故ノックするんだと思ったら女の子がひょっこり。

どうやら一人部屋じゃなく一部屋に二人で監禁されるようでした。

そのあと寮父さんから布団とかないから荷物置いたあと元いた部屋から必要なものを一度だけ取りに行っていいと説明され膝からがっくりと崩れそうになりました。

結局、わざわざ日用品を用意する必要がなかったんです。

買いにかなきゃ一本早いバスに乗れたのに…、元々買い置きしてたからもう買う必要なかったのに…、日本製のもの買ったから高かったのに…。

このままふて寝したいところでしたが物を取りに行かなければまずいので最後の体力使って部屋まで布団と日用品、食料を取りに閉鎖されて誰もいないフロアへ。(そのあとスリッパを忘れててもう一度しれっと取りに行った。)

寝る準備をしながらルームメイトと自己紹介、どこからきたのかを聞きくとその子はインドネシア人でシンガポールで乗り換えたから隔離の対象になってしまったらしく最初全く知らずに先に医療キャンパスで入寮手続きをした後こっちにきたとの事。

それっていいのか?というツッコミはせずにシャワーを浴びた後、ルームメイトが「荷物それで全部なの?」と聞くので「最低限持ってきただけだよ」と答えると「そうなんだ〜私は全部持ってきた」と言うので私の聞き間違いで元の部屋にあったもの全部こっちに移さないといけなかったのか焦りルームメイトに聞くとわからない、と。

というのも私が入学時から住んでいたこの寮、これからの感染拡大予防と隔離専用のスペース確保のため閉鎖することになり隔離後に別の寮へ移動することが決まってたんです。

そこで同じく隔離されてる日本人の先輩にLINEで聞き返事が来るまでもう一度部屋に行き持てるだけ持ち隔離部屋との間を往復してました。もう一度行こうしたら先輩から必要なものだけ取ったと返事が来ていました。不確かな情報に踊らされた事にイラッとしましたが疲労も溜まっていたのでさっさと寝ました。

赤裸々に語るを超えてもう皮まで剥がれて筋肉まで見えるみたいな話。

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当時は隔離も突然に決められたものでかなりバタバタしていて情報もはっきりわからないまま帰台でした。当時公共交通機関を利用しているのですがこれは大学独自で決めた隔離だったので当時は大学によっては隔離がなかったりマスク着用の上不要不急の外出を控えるという対応のところもありました。なので私の場合自力で大学まで行き寮で14日間すごす、といった感じでした。とはいえ送迎がなく、これで感染者が出ていたら隔離の意味がなさそうですが。。。

またこれから隔離14日間の記録を時間があれば少しずつ投稿していきたいと思います。

隔離の記録まとめ→https://note.com/takao_ryugaku/m/m171440b5bcf2


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