I/Oプラザその②

そのうち1995年、マイクロソフトからWindows95が発売され、インターネットが普及し始めると自作機ブームが始まり、その波に乗って行く事になる。

エロゲーはもともとNECのPC-9801で動くように作られていたのが大半なので、いわゆるWindows機が普及するのは痛し痒しだったが、なにせ爆発的にパソコンが売れるようになったのだ。

今では考えられないがこの頃はメーカーごとに仕様が違い、NECやSHARP、富士通などすべてOSも違い、ソフトの互換性もなかった時代である。

この店では置いてあるソフトのほとんどがNECのPC-9801仕様のゲームが中心であり、現在のようにWindows機が中心になるのは数年かかった気がする。

このころ店を個人商店から会社経営にしようとのコトで有限会社テラ・グランを作り、創業者が社長になり、創業時から共に店舗運営していた人物がH専務に、そして私が常務(非常勤)という布陣になった。

いつのまにか返して貰えるはずの借金が株券に化けるという事に、声もでなかったが「いいじゃない常務なんだからさぁ」という言葉に誤魔化されてしまった。

しかしこの頃からいわゆる大手家電量販店が札幌に進出してきた。それまで札幌ではYESそうご電器ぐらいしか量販店はなかった。それもパソコンの事が店でもよく分からず、店の社外スタッフが半分常駐して、対応にあたるといった具合だったのである。

ヨドバシカメラ、ビックカメラ、コジマ、そしてヤマダ電機などが集中的に出店していったのだ。
確かに専門店ではツクモ電気などがあったが、ほとんど中央区に集中していて離れていた北区などにはそのような店はなかったのだ。

そのせいで店は順調に売上を伸ばしてきていた。
2年後には南区平岸に、3年後には厚別区厚別に店舗を構えるまでに伸ばしていった。

しかし無理をして拡大したため、資金繰りが次第にきつくなっていった。
売上を伸ばすために店舗を増やしたのが仇になってきたのだ。
まぁ金を借りるために、無理やり店舗を増やしてきたという経緯もあったのだが。

この頃専務の兄がアイオーの看板を貸して貰いたいとの申し出があり、結局、東苗穂に4店舗目が出来上がった。この兄はサン家電という長崎屋系列の電器屋に就職していたのだが、そこが閉店するため独立してやってみたいとの事だった。

しかしこの4店目を作った事により、会社の内部がおかしくなっていった。
この店は兄が一人で切り盛りしていたため、お客さんのところに訪問するときは店を閉めていたのだが、いつの間にか弟の専務が東苗穂店に常駐するようになっていった。

そのため他の店舗スタッフからおかしいとの不満の声があがるようになってきた。平岸店には他のスタッフが常駐しているので、自分が東苗穂にいって何が悪い?
とのコトだが、あまりに東苗穂の売上が低すぎる。その店舗にスタッフが二人いるのは効率が悪すぎるのだ。

社長も段々とその声を無視することができなくなっていたため、何回か話をしたのだが、最後までその溝が埋まることはなく、東苗穂店は系列を外れ、専務は解雇された。
当然、専務が切り盛りしていた平岸店も閉店となり、一気に凋落していくのである。

二店舗が閉店したため一気に売上げが三分の二ほどに下がる。当然、銀行は新規融資してくれないし、返済の催促がどんどん高まるのだ。
どんどん資金繰りが苦しくなって、もしかして倒産するのではないかと思えた時、援助の手が差し伸べられた。

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