I/Oプラザその①

ところで以前、友人が「I/Oプラザという店を開店した」という事を書いたので、その店の事を書こうと思う。平成3年(1991)3月16日、アイオープラザ本店が開店したのだった。

コスモビットという店のアドバイスのもと、パソコンソフトを主に扱うお店が誕生したのだった。
その頃個人でパソコンを持っている人口ってどれくらいだっただろう。
多分20人に一人いるかいないかぐらいじゃないのか?
確かにそれなりの需要はあるかもしれないが、本当にやっていけるのだろうか?
初めの2年くらいは大変だったと思う。何度「支払いが出来ないから金を貸してくれ」と言われ、月中くらいには半分ほど返してくれるのだが、また月末になると貸すという繰り返しで結局20万くらい貸したままになっている。

その頃はパソコンソフトだけではなく、ファミコンのカセットなども委託であつかっていたし、本当にガラクタ屋みたいだった。

だが、2年もやっているとそれなりに固定客も増えてきた。
というよりいつお店にいっても、必ず何人かがたむろしていて、一種のサロンのような感じになっていた。
ヒマな営業さんや自営業の人たちなど結構多彩な人が集まるようになって来ていて、中にはバイト代ももらえないのに店番やるヤツとか、何時でも何人かがたむろする感じだったのだ。
ソフトの買取もやっていたので、新作を買って飽きたら即売るという客も増えて来ていた。いわゆるオタク達が集まる場所になっていたのだ。

パソコンも中古が出るようになり、それなりに安くなってきていたのと店ではソフトだけではなく、ハードの販売と買取も始めたので、初心者でも買ったその日から使えるようになっていったのもいい傾向だった。

そしてそのオタク達の中から自分達で満足のできるエロゲーを作ろうといった話が持ち上がって来た。
1993年(平成5年)頃、実際に店の二階に部屋を借り、拠点を作り始める。名前は「フラットインターナショナル」それが多分札幌でエロゲーメーカーが立ち上がった始まりだと思う。実際には色んなところで同じような動きが始まったのだろう。一本のソフトを作ろうとすると、同じ会社の中でも意見が分かれる。
取り敢えず製品になるまでこぎつけ、有る程度プロセスが分かると去っていってそこでまた、メーカーを立ち上げる。
そんなコトが繰り返されたのではないだろうか?

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