高校時代⑤
高校2年生となり、ギターが上手い後輩が入ってきて、学校祭に向けてバンドを組もうとなった。ギターは自分とi君、ドラムにk君、ベースにy君の四人体制で練習した。
ドラムとベースは初心者だったので、初めは合わすのに苦労した。それでも二か月くらい練習すれば、まぁそれなりに聞けるようになったので、学校祭の校庭で披露した。それからはi君とデュオを中心に2か月に一度位のペースで、教室を会場代わりにしてコンサートを披露していた。この頃からコピーだけではなく、自分たちでオリジナルを弾くようになっていったのだった。
そして高校も3年生となる。当然、進学か就職なのだが、元々農業高校だったこともあり、大学に進学した生徒は一人いたかいないかぐらいの学校だったのだ。自分は家庭の事もあり、兄も札幌の大学にいっていたので、当然札幌の大学に行きたいと強く願ったが、何せ実績がない。ただ救いだったのが、その時の通信簿の平均値が4.2だった。まぁ愛別高校なのでこの数字がどうとはいえないが、多分3年生の中でも5本の指には入っていた。そこで、生活指導の先生が学校推薦してみようと言い出したのだ。何せ実績はないのだが、数字的には十分推薦できる数字だといってくれたので、そうしようときめたのだ、目標は札幌大学、全然私立の学校なのだが、道外の人にいうと、そうは思わないらしい、北海道では、北海道大学、北海道教育大学、小樽商科大学、室蘭工業大学などが国立の大学であり、私立大学では[チームナックス]の北海学園大学が有名だと思う、ちなみにフォークグループの[ふきのとう]も北海出身である。
その頃札幌大学は、野球やサッカーではそれなりに全国体会に出てたりしていたが、偏差値は低い学校だったのだ。不思議だったのはただ推薦だけで作文も何もない。当然試験もない、全然受けた気分になれなかったのだ。6月ごろ方針が決まり、1月くらいには結果が出たと思う。その年は3人が大学に進学した。愛別高校設立以来最高の成績だったらしい。そりゃそうだ。普通科になってから5年しかたってないのだから。そして自分は札幌に住む事になる。
本当に愛別は5年もいたのに仮住まいといった感じだった。中学2年半と高校時代住んでいたのだが、今でも付き合いがある友人は1人だけだし、のちに実家も移ってしまったので、本当に接点がなくなってしまった。ところでi君は卒業後、愛別町役場に就職し、定年まで働いたみたいだ。最後は副町長まで上り詰めたのだから大したもんだ、今はサックスを教えているらしい。だが自分は愛別でトランペットからギターに変えた事は、あとから人生において大きく左右される事となったのは間違いない。