田村淳さん
ロンドンブーツ1号2号の「田村淳さん」を知ってからどのくらいの月日が経っただろうか。
1998年か1999年頃、
当時の俺は専門学校に通っていました。
当時からテレビ好きで、
斬新な番組、
電波少年
笑っていいとも
今まさに放送されている、
「ベルセルク」も当時は日テレの深夜に放送されてまして、原作を読むきっかけになりました。
その中、ロンブー淳さんの番組、
「ロンブー龍(ドラゴン)」の放送を毎週日曜日の17時頃リアルタイムで見てました。
世の中には面白い人がいるもんだ!と、ロンブー淳さんを認知してから淳さん出演番組はできるだけみるようにしてました。
あれから24年近くが経ち、
まさか「田村淳の大人の小学校」というオンラインサロンに入るとは思わなかった。
淳さんのことが好きというか、
・考え方
・生き方
・自分の意見はどんな人にでもはっきり言う
・面白いことを考えたら行動に移す
・自分自ら先頭に立ち動く
・ブレない軸
・異性にモテるところ
・相手からの押し付けはとことんNoを言う
長い間、淳さんのことを見てると、
わかることも多々あるけど、
まだまだ知らない部分もある気がする。
田村淳の大人の小学校に入って立ち上げた、
「田村淳部!」
俺なりにあれこれ動き、
そしてできた「田村淳部!」だったけど、
大人の事情で「田村淳部!」はなくなってしまう。
哀しいけど、次のフェーズに行く為には仕方がない。
少し前、とあるイベント後に田村淳の大人の小学校メンバーと飲む機会があり、
「田村淳部!」の部長として認知してもらえていることがありがたくて嬉しい反面、
「淳さん(たむ小では淳さんのことを「校長」と呼ぶ)のファンなんでしょ❗️」と、言われたことがありました。
俺の中で「淳さん」のファンという括りには該当しないと思っている。
もうファンという大きな枠の中からはでている。
というか「その枠を【通過した】」と言った方が的を得ている。
ファンという言葉では収まらない気がするほど、
淳さんの軸が好きなのだ。
なんでこんなに淳さんのことが好きかというと、
俺も淳さんと「同じ部分」を持ち合わせているから、淳さんにとても共感するからだ。
俺も10代の頃から自分の意見ははっきり言う方でした。
たとえ相手が目上の人であっても。
日本独特の、学校では先生の言うことをよく聞き、
勉学に励み、問題を起こさず学校生活を過ごす。
みたいな風習、
「ん???」と、なるのだ。
なんだかね、窮屈というか、
「自分」を出せないのがストレスだった時も高校生の時にはあった。
同級生とうまくいかない時は、授業をバックれて、
自転車通学の利点を活かして、
そそくさと自主早退をしては、
地元のゲーセンや秋葉原のゲーセンに行ったりしてました。
そんな高校生活でも、
それなりに勉強は得意科目もあり、
普通に卒業。
あの時、自主早退する為に自転車に乗ろうとした時に呼び止められそうになり、担任の先生との追いかけっこでなんとか自転車で漕ぎまくり、担任の先生をまくことができたけど、
卒業式の後、きちんと詫びを言い忘れたのが心残りです。
ちょっと話が脱線してしまいました。
淳さんの話に戻ると、
淳さんの番組を見てると、
楽しそうに仕事(番組)を行っている印象が残っているのだ。
20歳からこの業界に入ってかれこれ歳は倍以上になってしまいました。
長くいると業界の人たちとの繋がりもでき、
なんだかんだで楽しい人生を送らせてもらってます。
「迷ったらGoー❗️」
「Yes and」
「ないものを創る」
田村淳の大人の小学校に入る前から、
俺の軸には備わっている。
淳さんの考え、
俺も前から取り入れていることじゃん‼️
だからこそ淳さんに共感するのだ。
強いて言えば、俺は淳さんに好かれているのだろうか。
男に好かれて淳さんは喜ぶだろうか。
大人の小学校でもあまり名前で呼ばれたことがないのがちょっと悔しい。
嫌われている気もするけど、
俺の軸には淳さんの考えや思考が含まれているから、
好かれている
嫌われている
を気にし出したらキリがない。
次に淳さんと話せるのはいつだろう。