読んだら損する小説①『公園』【有料】 #13
「公園」
緩やかに流れる川をじっと見つめていた。
常に流動的だが見た目は何一つ変化のない目の前の景色に心を奪われていた。
冷たいこの空気と流れる川の水はどれほどの温度差があるのか、
岩と岩の間から不思議な生物が急に顔を出すのではないか、
ふとそんな取り留めもない事を考えていた。
この温泉街に来たのは二度目だった。
最初にこの山奥の温泉街に来たのは、小学三年生の夏だった。父と母、妹の四人でお盆休みを利用した家族旅行だった。
史郎、
一度なぜこの名前を僕に付けたのか父親に聞いた事があった。答えは「歴史が好きだから」という一言だった。
贅沢は出来ない家庭ではあったが、毎年お盆休みは親戚から少し大きめの車を借り、車で二泊三日の家族旅行に出かけるのが恒例行事となっていた。
その旅行でこの温泉街に来た時もそうだった、二歳年下の妹と川辺に降り僕は一人でじっと流れる川を見つめていた。
岩と岩の間からきっと見たこともない様な、大きな幼虫のような、それに牙が生えた不思議な生き物が出てくるかもしれない。
その瞬間を見逃してはならないと思い息を凝らしながらとにかく集中した。この新発見を邪魔する水面に反射する光が腹立だしく思えた。
母親の怒号が聞こえた、
正確には肩を掴まれた後にその声に気付いたと言った方が正しいだろう。
振り向くと妹は右足の膝から血を流し、天を仰ぐように声を出して泣いていた。
「ちゃんと気をつけて見ておいてと言ったじゃない、お兄ちゃんでしょ」
母親の言っている事を理解するのに少しの時間を要した。
そうか、妹が河原でこけて怪我をして泣いていた、それに気付いた母親がかけつけて今僕に注意しているのだ。
僕は川をじっと見ることに集中し過ぎていて、妹が転けた事も、泣き叫んでいた事も、母親が来た事も全く気付かなかったのだ。
今もそうだった。
この冷え込んだ真冬の外気の中でかれこれ一時間はこの川を眺め続けている。
それも時計を見て気付いたことだった。
すっかり日は暮れ、膝にぐっと力を入れ立ち上がり、冷え切った外気を吸い込んだ時、自分が浴衣に羽織一枚の格好で出てきていることに気づいた。
有給を使い会社に一週間の休みを出し、この温泉街に来た。
三十歳になり、「自分のメンタル」なんて考えても来なかった分、流石に情けなかった。
傷心旅行。
なぜこの温泉街を選んだのか、自分でもよく分からなかった。
❇︎
啓奈と出会ったのは約一年前、彼女の二十三歳の誕生日の夜だった。
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