Ride(ライド)インタビュー(『CDジャーナル 2023年夏号』未掲載分)
英国はオックスフォード出身のRideが今年4月、およそ3年半ぶりに来日を果たし、代表作である『Nowhere』(1990年)と、『Going Blank Again』(1992年)の再現ツアーを日替わりで開催(大阪は『Nowhere』のみ)。さらにオールタイムベスト的な選曲の追加公演まで開催されるなど、彼らの日本での根強い人気を証明してみせた。
このインタビューは、『CDジャーナル 2023年夏号』(音楽出版社)に掲載し切れなかった部分を各位に了承を得た上でお届けする。ソングライティングの要であるアンディ・ベル(Gt、Vo)と、ローレンス・コルバート(Dr)に、初期の彼らがどのようにしてあのシューゲイズサウンドを生み出したのか、じっくりと話を聞いた。
Photo by Kazumichi Kokei
Translated by Natsumi Ueda
──以前アンディは、イギリスの音楽サイト「MusicRadar」が企画した「人生を変えたアルバム」で、The Rain Paradeの『Explosions in the Glass Palace』(1984年)を挙げていましたよね(*)。久しぶりに聴いてみたのですが、このアルバムがライドに与えた影響の大きさを再確認しました。
(*)『Ride's Andy Bell: the 10 records that changed my life』参照(外部リンクを開く)
アンディ・ベル:The Rain Paradeはテレビの音楽番組に出演していたのを観て知ったんだ。確か「No Easy Way Down」を演奏していたんだけど、まるでケヴィン・シールズ(My Bloody Valentine)のグライドギターみたいなトレモロサウンドを奏でていて。リリースは1984年だから、ヴァレンタインズよりも先んじていたわけだよね。あの曲は大のお気に入りだな。
ローレンス・コルバート:僕は当時R.E.M.をよく聴いていた。『Lifes Rich Pageant』(1986年)に収録されている「Superman」とか、学生時代の僕とマーク(ガードナー)は夢中だったな。もちろんThe Rain Paradeも。1980年代の半ばに、アメリカでニューサイケデリアの時代があったんだ。
──それまではThe Beatlesをはじめとした1960年代ロックが下火になっていて、どちらかというと古臭い時代遅れの音楽とされていたと思うのですが、いまロズ(ローレンス)がいったニューサイケデリア、いわゆる「ペイズリー・アンダーグラウンド」と呼ばれたLAのシーンから、The Rain ParadeやThe Dream Syndicate、The Three O'Clock、The Banglesのようなバンドが登場し、彼らのサウンドがイギリスにも飛び火していったのではないかと。The Stone RosesやRide、My Bloody Valentineなどが登場した背景には、1960年代のサイケデリアに影響を受けた「ペイズリー・アンダーグラウンド」からの影響もあったと思っているのですが、いかがですか?
アンディ:そうかもしれない。僕らはThe Beatlesが解散したあたりに生まれた世代なのだけど、彼らは文化的にとても大きな影を残していき、その後に登場したアーティストたちはみんな、彼らの影を避けようと必死になって新しい音楽を模索したと思う。1990年代の半ば、彼らは「再結成」を果たしてそのタイミングで『The Beatles Anthology』プロジェクトを立ち上げた(1995年ごろ)。その頃になると、1960年代の音楽はもう少しフラットに聴かれるようになっていたよね。
──ちょうどOasisとBlurの「ブリットポップ戦争」が勃発した頃ですよね。その下地みたいなものは、1980年代の終わりくらいには出来上がっていたのではないかと。ロズは『Nuggets: Original Artyfacts from the First Psychedelic Era』も愛聴していたと伺ったのですが、それもR.E.M.やThe Rain Paradeを聴いていた頃?
ローレンス:うん、ボックスセットを持っていたよ(笑)。『Nuggets』にはかなりハマったな。そこに収録されていたアーティストも豪華だったしね。彼らのガレージバンド精神というか……パンキッシュかつメロディックで、サイケデリックなサウンドはもちろん曲名のネーミングセンスも含め、とにかく夢中だった。
ローレンス:彼らは押し並べて短命だったところにも魅力を感じるな。ヤゴから羽化したその日に死んでしまうトンボの一生みたいじゃない?(笑) そんな凝縮された寿命に宿る、圧倒的なパワーに惹かれたし、プレイ面でもかなり刺激を受けたよ。
──「シューゲイザー」という言葉が生まれる前、あなたたちやMy Bloody Valentine(以下、MBV)、The Jesus and Mary Chainらが本質的にやろうとしたことは、60年代の音楽とパンクを掛け合わせようとする試みだったのかと想像するのですが、その辺りはいかがでしょう。
アンディ:MBVはまさにそうだね。彼らは1960年代のロックとガレージパンクをうまく掛け合わせていた。ただMary Chainは別次元だよ。彼らが登場する以前、あんなエクストリームかつエクスペリメンタルな音楽は聴いたことがなかった。The CrystalやThe Ronettesみたいなガールグループの要素とノイズをかけ合わせたような……シューゲイザーの始まりについていうなら、The Velvet Undergroundの「Sister Ray」がそうかもしれないけど、とにかくMary Chainはかなり特異な存在だった。BBCラジオ1でジョン・ピールの代わりにミューリエル・グレイがパーソナリティを務めていた頃、Mary Chainが出演したのだけど…。
ローレンス:ああ、今でも覚えてるよ。
アンディ:あの時の演奏は本当にクレイジーだったな。ショックで呆然と立ち止まったのを覚えている。恐ろしいくらい暴力的なサウンドなのに、スリーコードで作られたメロディはとても親しみやすい。実はつい最近、グラスゴーで彼らと同じ会場だったからライブを観たんだけど、僕らMary Chainをどれだけ好きだったか、忘れかけていた気持ちを思い出すいい体験だったよ。どの曲も素晴らしくて中毒性を持っているんだよね。彼らがやりたかったことを定義しようとするのは雲を掴むような行為ともいえる。シューゲイズのロードマップを作って考察しようとすればするほど、その面白さは逃げていってしまうからね。
──MBVについてはどんな見解を持っていますか?
アンディ:Mary Chainンがコンセプチャルな音楽性なのに対して、MBVの音楽性には彼らのアティチュードそのものが反映されていると思う。ステージ上でもありのままの姿というか、ラインナップもスタイルも、その時々のメンバーに適応しながら変化していた。メンバーの入れ替わりが多かった分、きっと短期間のうちに成長を迫られたのだろうね。そういう意味では特異なバンドだ。初期のMBVサウンドだったLazy時代から、Creation Recordsに移籍し『You Made Me Realise』『Feed Me With Your Kss』という2枚のEPで圧倒的な飛躍を遂げるまで、たった数ヶ月ではまったく新しいバンドになったんだ。
アンディ:そうしたスタイルの変化はすべて彼ら自身から生まれたものというか、さまざまな状況を混ぜ合わせることで新しい音楽を作っていたんだと思う。きっと心理的な面では、MBVのあのウォール・オブ・サウンドはボーカルの不在を隠すためにギターを目立たせ、オーディエンスの気を逸らす自己防衛のようなものだったんじゃないかな。これは僕の推測だけど(笑)。
──なるほど。もともとMBVにはデイヴ・コンウェイというメインボーカルがいて、彼が脱退したことで「やむを得ず」ケヴィンとビリンダが歌うことになったという経緯がありますからね。とても興味深いです。で、そんな状況下でライドは何をやろうとしていたのでしょうか。ファーストアルバム『Nowhere』(1990年)は、「シューゲイザーの金字塔」といわれるMBV『Loveless』(1991年)の1年前にリリースされていますよね?
アンディ:MBVは『Isn't Anything』をすでにリリースしていて、彼らやMary Chain、Spacemen 3、Loopなどに僕らは夢中だった。彼らのライブに足繁く通い、当然たくさんの影響を受けた。それとThe Stoogesも存在として大きい。ビートルズは憧れの存在だね。彼らはポップミュージックのルールブックを僕たちに残していった。それを元に、音楽のニュアンスをどう作っていくか。それは僕らが何を聴いてきたかに左右される。
ローレンス:ああ。自分の内にあるものを表現としてアウトプットする際、ヒップホップも参照したよ。攻撃的ともいえるパワフルなエネルギーを、僕らのサウンドにも込めたいと思ったんだ。
──確かに「Dreams Burn Down」からは、ヒップホップの影響を強く感じます。
ローレンス:ああ、まさしく。
アンディ:あの時は、通常のスタジオが使えなくてホールでリハをやったんだ。ギターと声のシンプルな4トラックのアンビエント調のデモがあったんだけど、ペースを落とせって言ったのは自分のサウンドに合わせたかったからなんだ(笑)。
──昨日、『Nowhere』の再現ライブを観て、ロズのドラミングはアンサンブルの中でものすごく重要というか、奇妙とさえ感じるくらい前に出ているし、そこが他のバンドとは一線を画している要素の一つではないかと。あなたの変態的ともいえるドラミングはどのようなところから着想を得て作られていったのでしょうか?
ローレンス:あれは若気の至りだね(笑)。僕らは誰も、ちゃんとしたレッスンを受けていないから、正直なところ計算をするスキルすらなかった。「こういう音楽がやりたい」と頭に浮かんだイメージを、ただ形にしようとしてたんだ。正確には表現できなかったけど、その気持ちが原動力になっていた。それがドラムのプレイスタイルに影響しているのかもしれないね。スキルのあるミュージシャンっていうわけではなかったけど、アイディアは頭にはっきりとあったんだ。
──「Kaleidoscope」を聴くと、ほんとうに狂っているとしか思えなくて(笑)。
ローレンス:そうだね。プロセスはどうだったかあんまり覚えてないんだけど……。
アンディ:僕も覚えてないな。
ローレンス:レコーディングでは数回テイクを重ねたくらいだった気がするけど、あの頃のエネルギーが凝縮されているよね。
アンディ:予測できない自由さっていうのは初期の僕たちの美学だった。当時の多くのバンドもそれを追求していたと思う。例えばMBVのサウンドは、まるで時間が伸び縮みしてるかのようで、そこに惹かれていたよ。
──当時、ケヴィン・シールズやボビー・ギレスピー(Primal Scream)といった同世代のアーティストとの交流を通して刺激を受けたといったことはあるのでしょうか?
ローレンス:それほど交流はなかったね。
アンディ:ボビーとは何回か会ったけど、カジュアルな会話をしたくらいかな。とても魅力ある存在だったよ。ケヴィンは会ったことがないね。友達は彼と仲が良いけど、僕自身はそんなに交流はなかったんだ。
ローレンス:当時多くのアーティストは保身的だった気がするよ。影響を与えるアーティストに会ったとしても気安く話したりしない。うっかりアイディアを言ってしまうとまずいからね。若いヒップスターが売れ始めた頃って守りに入るんだ。「とてもいいサウンドができた!どう思う?」なんて話す奴なんていなかったし、そんなことしたら「おい、大丈夫か?」って思われる。そんなムードがあったよ。
──最後に、『Nowhere』と『Going Blank Again』を再現ライブというかたちで今回やってみて、何か気づいたことなどを聞かせてください。
アンディ:同じ曲順で演奏したから、アルバム制作の過程を思い出せたのは、とても良い経験だった。当時どういうストーリーを作るか、かなり意識的にやっていたからね。
ローレンス:『Going Blank Again』で思い出したのは、スタジオのセッションや実際のレコーディングプロセスのこと。まるで追体験をしているかのような気分になったよ。あれjは、僕たちの思うままに制作した素晴らしいスタジオアルバムなんだ。ファーストアルバムが僕たちの背骨となり、セカンドアルバムにはワールドツアーでの経験も含め、それまでに吸収したことをすべて詰め込んだ。型にはまることなく自由に制作した時間や、スタジオでの楽しい思い出……その一連の記憶をもう一度味わうことができて幸せだよ。
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