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第三 立志 択道 竭力

この章は,嘉納の言葉の中でも有名なものである.講道館のサイトでも文章を一部確認できる.
第三は,第二の「生れ甲斐のある人」になるために心を尽くすことは何かを説明している.

第三の嘉納の主張まとめ

  • 立志・択道・竭力の三者が備ってはじめて,人生の目的を達成できる.

  • 立志とは,「志を立てる」ことである(そのまま読んでよい).人生の各方面に各種の目的を立て,修養を積み,これらの部分的な目的を統合し,最高の目的を見出すことである.それぞれの目的が矛盾してはならない.

  • 択道とは,「最良の手段を選ぶ」ことである.目的を達成するための手段方法はいろいろあるが,必ず正道に依るもので,自身の能力と境遇において着実に実行できる手段を取りなさい,ということである.

  • 竭力とは,「力を尽くす」ことである.相当の力と時間が必要なことを十分に覚悟して,せっかちにならず着実に一歩ずつ進めて,最初から最後まで全力を尽くしなさい,ということである.

  • 簡単にまとめると,目的を立てて,正しく・着実な手段を取り,一切の行動をこれに統一し,その実現に努力し,生れ甲斐のある人になりましょう,ということ.

この章は比較的読みやすく,イメージしやすい.この章の最初に立てられる問いは以下である.そして,嘉納は端的に答えている.

人生の進歩とは何をいうのであるか.
歩一歩に目的に近づくのをいうのである.
成功とは何をいうのであるか.
目的に到達し得たことをいうのである.目的があってこそ,人生一切の事は皆光あり力あるのである.

嘉納治五郎,嘉納治五郎体系第7巻「青年修養訓」

この後に,目的がない人の生活はいかなるものだろうか,という問いを立て,

感情の風に吹かれ,社会の波に揺られて,自己の意志の力からはなんらのなすところもなく[中略]吾人は一事には一事の目的を有し,一生には一生の目的を有し,もって人としての意義ある生活をなすことを勉めぬばならぬ.

嘉納治五郎,嘉納治五郎体系第7巻「青年修養訓」

と,内側からはその時々の感情の力に支配され,外側からは環境の力に動かされるので,目的が人生にとって重要だよ,と述べている.
ただし,目的は人生の初めから立てられるものではないと続く.簡単にまとめると,

  • 保護者や指導者から教養される(教え育てられる)ことによって,自覚が生じる.教養されなければ,衝動や本能に作用され,誤ることが多い.

  • なので,智識も経験も足りないのに,目的を定めなさいというのは,無理な要求である.(やっぱり守破離の守が大事なんだろうね)

  • 修養を積んだ結果,人生の各種方面に各種の目的を立てられるようになる.

  • 次第に部分的な目的を統合して,最高の目的を見出す(ただし,人生の目的は哲学的な議論が必要になる).

しっかり修養を積んで,考えて,目的を立てましょうということである.で,目的を立てられたなら,失敗に終わらないように,最良の手段を選択しなければならないと続く.ここで,大事なこととして嘉納は以下を引用する.

事大小となく正道を蹈(ふ)み,至誠を推し,一事の詐謀を用うべからず。人多くは事の差支うるときに臨み,策略を用いていったんその差支を通せば,跡は時宜次第工夫の出来るように思えども,策略の煩いきっと生じ,事必ず敗るるものぞ.正道をもってこれを行えば,目前には迂遠なるようなれども,先に行けば,成功は早きものなり.

西郷南洲,嘉納治五郎体系第7巻「青年修養訓」の中の引用

嘉納はこれを目的と手段の関係についてすこぶる適切な教訓と述べており,以下のように説明している.

一方面から見ると,不正なる手段でも善良なる結果を生じ得るように見えるか知らぬが,不正な手段は他の方面に必ず悪結果を生じ,しまいに目的そのものをも破壊してしまうようになるのである.

嘉納治五郎,嘉納治五郎体系第7巻「青年修養訓」

として,「目的は手段を択ばず」というのは誤った考えであると断言している.そして,

その人の能力と境遇とにおいて実行し得べき着実のものでなければならぬ.

嘉納治五郎,嘉納治五郎体系第7巻「青年修養訓」

とし,手段を選ぶには思慮と経験が必要だけれども,遠回りにみえても,着実な手段を取った方がよいと述べている.
で,立志と択道が定まったならば,力を尽くして実行しなさい(竭力しなさい)ということである.

百の空しい願望百の空しい計画は,一の実行に及ばない.

嘉納治五郎,嘉納治五郎体系第7巻「青年修養訓」

現代の日本は,会議や事務作業ばかりが多く,生産性が低いので,胸に刺さる言葉である.そして,青年が陥りやすい問題点を挙げる.

青年は鋭気に満ちているけれども,とかくに一時に功を収めようとあせりやすいが,躁急はそもそも功を収むるゆえんでない.あせって功を得ないと,倦厭(けんえん)する,倦厭すれば沮喪(そそう)する,沮喪すればしまいに自棄するようになりやすい.進むに鋭きものは,退くこともまた速やかで[…云々]
倦厭:あきて嫌になる
沮喪:気力がくじけてすっかり元気を無くす
自棄:物事が自分の思いどおりに運ばなくて,どうにでもなれと思慮のない乱暴な振る舞いをする

嘉納治五郎,嘉納治五郎体系第7巻「青年修養訓」

当初は意気込み盛んであるのに,成功を見ないで終わることが少なくないし,あせって結果を出そうとする人は諦めることも早いよと述べている.
なので,相当の結果を得るには必ず相当の力が必要であるし,長い期間の努力が必要になるので,それを覚悟しなさいとしている.そして,「建設」するという考え方が重要であることも述べている.「破壊」が必要な場合でも,必ず「建設」のための「破壊」であることを忘れずに,「破壊」が目的化しないようにしなければならないということである.
ということで,この章は比較的読みやすかった.最後にもう一度まとめると

  • 立志・択道・竭力の三者が備ってはじめて,人生の目的を達成できる.

  • 立志とは,「志を立てる」ことである(そのまま読んでよい).人生の各方面に各種の目的を立て,修養を積み,これらの部分的な目的を統合し,最高の目的を見出すことである.それぞれの目的が矛盾してはならない.

  • 択道とは,「最良の手段を選ぶ」ことである.目的を達成するための手段方法はいろいろあるが,必ず正道に依るもので,自身の能力と境遇において着実に実行できる手段を取りなさい,ということである.

  • 竭力とは,「力を尽くす」ことである.相当の力と時間が必要なことを十分に覚悟して,せっかちにならず着実に一歩ずつ進めて,最初から最後まで全力を尽くしなさい,ということである.

  • 簡単にまとめると,目的を立てて,正しく・着実な手段を取り,一切の行動をこれに統一し,その実現に努力し,生れ甲斐のある人になりましょう,ということ.

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