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「ナショナル・フットボール・フィロソフィーとしてのJapan's Way」を批判する(2)

前回の批判はウォーミングアップ…のつもりが心が折れてしまった(笑)
今回は,プロローグの「なぜJapan's Wayなのか?」と「フットボール・カルチャーの創造」を概観し,批判する.モデルの批判になるので,ここは重要だと思う.ここでは,前提となる情報を知っている方と知らない方で,私の批判の捉え方が変わってしまう.そうならないように,できるだけ丁寧に批判したい.
と思っていたが,今回もそこまでたどり着かなかった.次回は,確実にモデルに触れるが,モデル批判を期待していた方の期待には応えられない(記事を書いた後に追記).

ウォーミングアップの続き

前回は,3ページ目(以下,ページはPと示す)の図の通りにJapan's Wayを定義した.ただ,P3には,4つの目的が示されており,読み手を混乱させる.4つの目的は以下の通りである.

理念
サッカーを通じて豊かなスポーツ文化を創造し,人々の心身の健全な発達と社会に貢献する.

ビジョン
サッカーの普及に努め,スポーツをより身近にすることで,人々が幸せになれる環境を作り上げる. サッカーの強化に努め,日本代表が世界で活躍することで,人々に勇気と希望と感動を与える.
常にフェアプレーの精神を持ち,国内の, さらには世界の人々と友好を深め,国際社会に貢献する.

約束2050
2050年までに,すべての人々と喜びを分かちあうために,ふたつの目標を達成する.
1.サッカーを愛する仲間=サッカーファミリーが1000万人になる.
2.FIFAワールドカップを日本で開催し,日本代表チームはその大会で優勝チームとなる.

約束2015
2015年には,世界でトップ 10の組織となり,ふたつの目標を達成する.
1.サッカーを愛する仲間=サッカーファミリーが500万人になる.
2.日本代表チームは,世界でトップ10のチームとなる.

ナショナル・フットボール・フィロソフィーとしてのJapan's Way, P3「JFA2005年宣言」

ここで記載されている理念も,嘉納治五郎の言葉を借りれば,「遠大なる目的」にあたる.なので,整理すると,
遠大なる目的= 理念
大なる目的 = ビジョン
中なる目的 = 約束2050
小なる目的 = 約束2015
となる.「小なる」というのは小さいという意味ではなく,2005年時点から考えると中長期目標にあたる.
で,「どこが混乱するんだよ」と思っている方もいると思う.私も,このJFA2005年宣言は何も問題ないと思っている.私は,孔子の「道」や柔道の「道」で「道」を解釈しているため,最初にこの資料のJapan's Wayをみた時,JFA2005年宣言にある理念に向かう「道」がJapan's Wayだろうと思っていた.しかし,JFA2005年宣言の下の図の説明では,ありたき姿がワールドカップを掲げる姿だった.日本サッカーのありたき姿は「サッカーを通じて豊かなスポーツ文化を創造し,人々の心身の健全な発達と社会に貢献する」人を育成することであってほしかった.そんなことを思っていたので,前回も記載した通り,混乱してしまったわけである.
で,ありたき姿が「理念」であった場合,それを達成するためにワールドカップの優勝が必要なのか?という批判ができる.これは,日本柔道が突きつけられている問題と同意である.それをサッカーではどのようにJapan's Wayとして整理しているのかを期待していたが…

日本柔道が突きつけられている問題は,ここにある理念の「サッカー」を「柔道」に,「ワールドカップ」を「オリンピック」に置き換えれば,わかりやすい.
柔道を通じて豊かなスポーツ文化を創造し,人々の心身の健全な発達と社会に貢献する.これには,オリンピックの優勝が必要である.
と言っていることになる.
実際にオリンピックで優勝しても,スポーツ文化を創造できるわけでもなく,人々の心身の健全な発達にも社会にも貢献するということにはならない.パフォーマンススポーツにおける国際競技力の軸とスポーツ文化の創造の軸,人々の心身の健全な発達の軸,社会貢献の軸は一致しない.一部は関わっていても,関係者の「そうあってほしい」という期待の方が大きい.パフォーマンススポーツにおける国際競技力を追求すれば,スポーツ損傷も増えるし,慢性的な障害を抱えることもある.横着で我儘な人を育成し,社会に迷惑をかけることだってある.そんな経験を柔道はしてきたから,幾度となく批判され続けている.

こんな批判で,根本から船をひっくり返すことも可能である.
私のような捉え方をする人もいるので,(前回も述べたが)最初に目的を明確にし,Japan's Wayは何か.そして,なぜJapan's Wayなのかを読み手に理解できるように語った方が良かった.
で,理想をいえば,先ほどの批判で船がひっくり返されないように,理念・ビジョンと約束2050に矛盾がないようにしなければならない.そうすることで,Japan's Wayは理念に向かう一本の道になるからである(柔道ではどんな話がされているかがわかるのでこちらも読んでみて).

ということで,前置きがかなり長くなったが,なぜ石井がこの話にこだわっているのか?それは,P3とP8の説明で論理が破綻しているからである.
先述したが,P3では4つの目的を記載しているが,
ありたき姿  = ワールドカップのトロフィーを掲げている姿
Japan's Way = そこに至る道筋
と記載されている.これが正解であれば,私がわかりやすくまとめたものでOKである.もう一度書いておこう.

2050年までにワールドカップで優勝すること(つまりパフォーマンススポーツで世界一になること)を目的とし,それを達成するための日本オリジナルの革新的パスウェイがJapan’s Wayであり,これを指針として提示したい.この他に,タレントプールの拡大の方策も提案する.

勝手にまとめる石井孝法

ところがどっこいである.P8には,

『日本がワールドカップのトロフィーを掲げる』
そのためにも,世界一サッカーで幸せな国になることを目指します.
Japan's Wayとはその道筋

ナショナル・フットボール・フィロソフィーとしてのJapan's Way, P8

となっている.ここでは,「世界一サッカーで幸せな国になる」ための道筋がJapan's Wayである.ここでの論理は,世界一サッカーで幸せな国になれば,ワールドカップを掲げることができるというものである.ワールドカップをどこからか借りれば掲げることはできるので嘘ではないが,ワールドカップで優勝することはできないと思う.日本のコンサルがやるような,トレンドの言葉を根拠なく盛り込むということをやめないと「弱者の論理」がはっきりとみえてしまう.
混乱を招く言葉たちを整理して,論理を見直してみたい.

ビジョンに記載している通り「人々が幸せになれる環境を作り上げる」.
その先に人々の幸せがある.ビジョンのず〜〜〜〜〜〜っと先にある(少々の幸せではなく)「世界一サッカーで幸せな国になる(前提)」ことを目指す.そこを目指す道筋がJapan's Wayであり,それが達成できればワールドカップのトロフィーを掲げることができる(結論)
そう!どこかの国にトロフィーを借りることなくである!

泣きたくなってきた石井孝法(;´∀`)

ということだ.まったく前提と結論が結びつかない.先ほども述べたが,幸せの軸と競技力の軸は一致しないし,前提と結論を入れ換えても,柔道が突きつけられている問題にぶつかることになる.ワールドカップを掲げた国が幸せということでもないし,サッカーで幸せな国がワールドカップを掲げられるという保証なんて何もない.
正直にいうと,この資料は,川淵三郎さんが発表したJFA2005年宣言を台無しにした.
JFA2005年宣言は,理念,ビジョンという道から外れることなく,中長期目標にあたる約束2015,約束2050を達成していこうというものだったはずである.この資料は,それをぐっちゃぐちゃにしてしまった.
この資料だけの批判なので,気張らないようにしたいが,JFAの目標2030に,「世界一サッカーで幸せな国になる」がどこにもない.結局,どんな計画なのかがよくわからない.サッカーファミリーが1000万人(普及の目標達成)で「世界一サッカーで幸せな国になる」のだろうか?「世界一サッカーで幸せな国になる」はいつまでに達成したらよいのだろうか?私にはまったくわからない.

こんなことをしていると,まったく前に進めないので,前提が固まっていないが,批判を進めなければならない.これが嫌だったので読み手と足並みを揃えるために,しつこく書いてきたのだが…

モデルの批判に入りたいが入れない(;'∀')

この資料は,本当に言葉を大切にしていない.モデルに入る前に整理しなければならないことが多すぎて,また心が折れそうである.
ナショナル・アイデンティティにある

ワールドカップに手の届く国々に共通して言えることは,その国独自のスタイル,コピー&ペーストに頼らない独自のサッカー,および発展のプランを有しており,それに誇りを持っているという点です.

ナショナル・フットボール・フィロソフィーとしてのJapan's Way, P4

ここでは,「その国独自」,「コピー&ペーストに頼らない」と強調し,「独自のサッカー,および発展プランを有しており」と言っているのに,

当時の西ドイツはZweiter Weg(第2の道)という言葉で,Sports for All(国民全体の幸福感)の考え方と示し(1959),(中略)その広がりと厚みが競技力へ寄与し,応援出来る代表チームの存在が,幸福感:ウェルビーイングへとつながっています.

ナショナル・フットボール・フィロソフィーとしてのJapan's Way, P7

とまとめて,次の「フットボール・カルチャーの創造」の頭で,「競技力向上とウェルビーイングの相乗効果」と西ドイツのコピー&ペーストをしている.もう強がらないでいいから,ちゃんとやりましょうと言いたくなる.
そもそも,「コピー&ペーストに頼らない」というのは間違いである.優勝経験のあるような国は人類の叡智(哲学や科学の積み重ね)を徹底的にコピペして基礎を作り,自分のものにしている.まさに「凡人は模倣し,天才は盗む(ピカソ)」である.その人類の叡智(特に科学)は共通項である.結局は,共通項が多いモデルにも関わらず(エビデンスを示しながら次回説明する),なぜ日本は「独自」を強調したのだろうか.結局は,日本独自なものが必要という結論にしないと,JFAの約束2015を破った言い訳ができないのだろうか?
何度も同じこと書いて申し訳ないが,この資料はJFAの約束2015を守れなかったこと(目標達成できなかったこと)に触れていないことが一番の問題である.なぜ,目標を達成できなかったのかをしっかりと検証し,認識した問題は何か?その原因を探り,原因にアプローチできるように課題を設定する(徹底的なプロファイルから).それがクリアできるようなシステムをデザインし,それを実行していけば,約束2015を達成できる,といったストーリー(道筋=Japan's Wayの一部)を示してほしかった.そこまでが抑えられてJFAの目標2030の話ができる(Japan's Wayの繋がり).2005に設定した約束2015を2022年になっても(17年かけても)達成できていないのに,あと8年で目標2030(ベスト4)を達成することなんてできるのだろうか?JOCも東京五輪の目標を達成できなかったことについてまったく触れないが,そういう組織は成長しない.まさに,日本の失われた30年の原因は,受け入れがたい事実に向き合わないことだと思う.書いているうちに,ロンドン五輪後の柔道の検証会の話を思い出して腹が立ってきた(; ・`д・´)感情論にならないように,気を付けないと.
かなり長くなってしまったので,また次回へ.すみません.

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