第四 精力の善養利用
この章は,精力の「善養」についてである.
柔道家の多くは,「精力善用」は聞いたことがあると思う.「精力善用」を一言で説明すると"柔道の定義"である.嘉納治五郎の遺訓の冒頭部分
「柔道は心身の力を最も有効に使用する道である」
の標語化されたものをいう.
さっそく,精力の善養利用をまとめてみる.
第四の嘉納の主張まとめ
生きている時間が同じでも成し遂げられるものに大きな差が生じるのは,生きている間に持っている精力(心身の活動力)の発揮運用に莫大な差があるからである.
精力の優劣や大きさは,素質もあるが,修養によるところが大きく,素質があったとしても,修養しなければ偉大な精力には至らない.
はじめから精力の修養を自ら行うことは困難であるから,父母や先生や上長の教育指導によって行われる.修養が進んでくると,自身の工夫を加えるようになり,最終的には他を頼らずに自ら努力するようになる.
養うことと発揮運用することのバランスがとても大切である.
養うことも発揮運用することも,結局は「立志・択道・竭力」の三つが良く実施されなければならない.
この章は伝えたいことが非常にシンプルである.精力をよく養い,よく利用することである.ただ,非常に重要な部分を引用するが,(この記事全体からみて)量が多いので問題があれば,指摘してほしい.
ここにすべてまとめられていると思うが,嘉納がおもしろい表現をしている部分があるのでみていく.
嘉納は言葉を変えて,修養と発揮運用のバランスについて,何度も記載している.その中で,このように表現する.
学生時代は,善養が主で,実地の任務に就くようになれば,利用が主になるが,善養と利用のサイクルを止めずに,バランスを取りながら正方形を大きくしていくことが大事ということである.
そして,善養することにおいても,結局,立志・択道・竭力が重要と述べており,その例として
としている.理想を追求する嘉納に妥協はない(笑)
さらに,嘉納はオールアウトした私に「もう2レップ」と追い込みをかけてくる.
こっちが疲労すれば,あっちをやれ!あっちが疲労したなら,そっちをやれ!そっちが疲労したなら,こっちは回復してるだろ!こっちをやれ!と鬼軍曹的に追いこんでくるが,これは重要な考え方だと思う.
嘉納は鍛錬と休息のバランスも大事だと述べているので,ここでは,疲労しているのに,ダラダラと同じことをやらずに元気にできるところをやりなさいと伝えているのだろう.工夫してやることで,一日の中でも大きな効果をあげることが出来ると述べている.
私も考える仕事が多いときに疲れ切って何も考えられなくなる時がある.そういう時は,単純作業に切り替えたり,インプットする時間に切り替えたりするが,そういうことを上手にやりなさいということだと思う.
今の学生にこのような話をしたら,すぐに「無理っす」って返ってきそうだが,これが「青年修養訓」である.まずは,「壮年修養訓」として私たちがよく修養し,よく利用しなければ,青年たちに伝えていくことは難しい.恐れずに言えば,「中年」にも「高年」にも終わりはない.私たちや青年に本物の精力の善養利用を見せつけてほしい.