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第六 成功の要道

リオ五輪後に日本柔道の裏方にも光があたり,私は2017年から100を超える講演・講習の機会を得た.その講演の中で「私の考える世界をリードするために必要なこと」として,「批判的思考」×「対話」×「ホーリズム」×「敬意と信用」をあげて,なぜ必要なのかを説明している.これらは,どれか一つでも欠けると,うまくいかなくなってしまう.これらを機能させることで,世界をリードするためのマッピング(国際情勢の把握)と戦略のデザインができる.この章では,上記した「敬意と信用」の必要性が記載されている.壮年の私は,たくさんの失敗と少しの成功から経験的に学んだが,青年の時に出会えていたら,あんなにたくさん失敗しなかったのかなと思う.たくさん失敗(経験)したからこそ,この章の内容は強く共鳴する.
では,さっそくまとめてみたい.

第五の嘉納の主張まとめ

  • 事を成すには,力を最もよく用いる方法(秩序規律)を定めなければならない.

  • 成功したとしても,「労多くして功少なし」は精力利用の原則に反する.

  • 規律を定めて,勉励するとしても,一つの事業を成功するまでに相当の時間を要する.

  • 一つの事業の成功を志すなら,個人の成功では足らず,社会的に成功することを心懸けなければならない.

  • 1~2年と勉励(一心に努力すること)するものも多くない.ましてや,三十年四十年と継続できるものは稀である.しかし,大きな成功は,秩序ある勤勉の永続によるところが大きい.

  • 社会的な成功・大きな成功のための心懸けとして第一に必要なものは「人の信用」を得ることである.

  • 信用は何によって得られるかというと,第一は「実力があること」,第二は「忠実であること」,第三は「勤勉でその事を成し得ると認められること」である.この三者は信用の基礎というべきものである.

で,嘉納自身がまとめているので,それも引用する.

吾人は秩序ある勤勉を永続し信用を厚うし道義を守るをもって,成功の要道とするのである.

嘉納治五郎,嘉納治五郎体系第7巻「青年修養訓」

今も続く「あやふやな猥褻な日本国」から脱却するためにも,青年には学んでほしい大切な内容だと思う.
嘉納は,「実に成功の要道として有益確実なる訓戒である」とスコットの言葉を紹介する.(このスコットはロバート・スコットのことだろうか…?)

何事にもなすべき事は即時にこれをなせ.業務の後に休息の時間を取れ.決して業務の前に休息するな.軍隊の行進する時に先陣の進度が不確実で間断あるがために,後陣に混乱を来たすことが少なくない.業務を執るのも,またこれと同様である.用件の手に入るに従って,即時に確実に順次に処理しておかないと,他の事が次第に後から推積し,一時に許多の用件が囲繞逼迫(イニョウヒッパク)してきて,いかなる人の頭脳でも,その混乱に堪えることが出来ないようになるものである.
*囲繞:周りを取り囲むこと
*逼迫:追い詰められてゆとりがないこと

嘉納治五郎,嘉納治五郎体系第7巻「青年修養訓」

これに続き,学生の生活においても,年間の計画,学期間の計画を立て,一日の課程を定めて,その日のことは必ずその日のうちに終えるという習慣を作り,孜々(シシ)として勤勉できれば,進歩できると述べている.
この逆についても記載しているが,そのまま生徒や学生たちに伝えたい(笑)
才能がある生徒でも,日々の課程を怠って,先生から怒られないことをよしとして漠然と過ごしていたら,負担が学期末に山のごとく堆積し,試験も大きな負荷を感じるよね,と.
(みんな夏休みの宿題は計画を立てて,その日やると決めたことはその日にやりましょう!私も残りの3日くらいでやったけど汗)
で,これに続く内容が大切なので引用する.

あるいは煩悶(ハンモン)し,あるいは焦躁(ショウソウ)し,はては卑劣なる手段を講じて僥倖(ギョウコウ)しようとするけれども,それすら意のごとくならないで,醜い劣敗(レッパイ)に終るようになるのである.
*煩悶:悩み苦しむ
*焦躁:焦って苛立つ
*僥倖:幸運を願う
*劣敗:劣っているものが負けること

嘉納治五郎,嘉納治五郎体系第7巻「青年修養訓」

うむ(。-`ω-)
これで失敗した人を腐るほど見た.自分も失敗した.卑劣な手段を講じてよいことはない.今は,最善を尽くして,潔く負けた方がよいと思うようになった(最善や工夫が独りよがりになっていないかを省察すればよい).青年には,早く気付いてほしい内容である.
そして,これに続き,本居宣長上杉治憲の例を挙げて,孜々として勤勉したとしても,成功には相当の時間を要することを説明する.
本居宣長は古事記伝の著述に従事してから,その全部を脱稿するまでに,三十四年の歳月をかけており,上杉治憲は滅びようとしていた米沢藩を復興して財政を整理するのに四十年の勤倹力行(キンケンリッコウ)苦心惨憺(クシンサンタン)の結果である,という.
*勤倹力行:よく働き,つつましい生活をし,何事にも精一杯努力すること
*苦心惨憺:心をくだいて非常な苦労を重ね、工夫をこらすこと
(グラッドストーンの話が出てくるけど省略.嘉納は何度もグラッドストーンを例として出すよね).

この後に,成功の要道としての注意点が挙げられる.これは,個人の成功と社会の成功は評価軸が異なることを述べている.個人の成功は自己の目的を達成すればよいが,社会からいうと社会が成功と認めるだけの標準に達しなければ社会的に成功したものということができないとしている.何が言いたいかというと自身の目的を達成して「俺は成功したぞ!」と言ったところで,社会が認められなければ(受け入れられなければ),社会国家に貢献したとは言えないので,社会的に成功すること(貢献すること)を心懸けましょうということである.で,ここからが非常に重要で,最初に書いた「信用」の話が出てくる.

この心懸けとして第一に必要なのは,人の信用を得ることである.[中略]
しからば信用は何によって得られるかというと,第一は実力ある事である,第二は忠実なることである,第三は勤勉もってその事を成し得ると認めらるることである.この三者は信用の基礎というべきものである.羊頭を懸けて狗肉を売るというように,虚偽の手段をもって人を瞞着(マンチャク)したり,あるいは他人の信用を利用して,おのれを広告したりしても,鍍金(メッキ)を久しからずして剥げる,実質の力がないのでは永く信用を保たれぬ.ことに他人の名誉を傷つけ信用を害して,おのれの信用を増さんとするがごときは,最も卑劣なる罪悪であって,「爾(ナンジ)に出ずものは爾に反(カエ)る」,いつしかこれがおのれの信用を失う最大原因となるのである.[中略]実力あれば信用はおのずから来るので,自己の価値あるものにして社会に提供すれば,人はこれを認めずにはいないのである

*瞞着:ごまかすこと
*羊頭を懸けて狗肉を売る:外見と内容が違うこと,見せかけが立派でも実質がそれに伴わないことのたとえ
*爾に出ずものは爾に反る:善悪や仁(じん)や不義など,すべて自分でやった行為は,いずれも自分にはね返ってくること

嘉納治五郎,嘉納治五郎体系第7巻「青年修養訓」

ここが,石井的には一番大事なところだと思っている.「あやふやな猥褻な日本国」と高度情報社会(SNS)の掛け合わせで,あまりにもひどいマーケティング技術や炎上商法で人の信用を得る(インフルエンサーなどで有名だから信用できる)ということが蔓延しているように思う(普通に考えれば信用を失うと思うんだが).ガーシー が参議院議員になることからも「あやふやな猥褻な日本国」を国民が構成していることがよくわかる.彼に年間3400万円が支払われ,これが6年間続く.これだけでも2億を超えるが,これをドブに捨てると考えると,日本沈没だなと諦めたくなる.話が逸れそうなので,戻すが,この引用は何度も読み返して理解してほしいと思う.これに当てはまる人はかなり多い.そうでなくでも,以下のような事例はよくある.
博士号を取得したものが,ある教授の紹介で,ナショナルチームのスタッフになった.この人は,実力で選ばれたわけではなく,教授の信用で仕事を得たわけであるが,そのポジションに就いたことで自分にはそのポジションに値する力があると勘違いしてしまう.過信してしまい(ダニングクルーガー効果),周りの指摘に対しても「俺は博士号を持っている」とか「自分の実力でこのポジションに就いた」と思い上がり,周りの声が聞けなくなってしまう.最終的にはメッキが剥がれて,信用を得られず外されることになるのだが…
ここを勘違いしないことが青年にとっては重要になると思う.嘉納がいうように,実力があれば信用はおのずと来るので,精力善養活用を心懸けた方がよい.この部分に関しては,私が40歳になった時にSNSにあげた文章からもわかると思う(最初にも言ったが経験したからこそ共鳴する).

粗野な私ではありますがたくさんの方から誕生日メッセージをいただきました.本当にありがとうございます.
私の大好きだった「志村けん」さんが亡くなり悲しみにくれてしまいましたが残してくれた言葉を用いながら振り返りの記録を残したいと思います.[中略]
四十になりました.
「今」の連続で,昨日の「今」も今日の「今」も変わらないと思ってましたが何とも言えない感覚です.
人生の折り返しなのか,それとも四十まで何とか生きられたのか,
あと40年と思えば,まだまだやれるぞとも思えます.明日死ぬかもなと思えば「今」を楽しめていないなとも思えます.困ったもんです.
振り返ってみると30代は多くのチャンスをいただけました.
私は箸をとって食べただけですが,諸先輩方が御膳立てをしてくれました.
志村けんさんはいいます.
『何もしてない奴が「じゃあ,お前ちょっとやってみな」って言われることはあり得ない.ふだんから何かをやり続けているから,誰かの目にとまって声をかけられるんだ』
この言葉をみて少しだけ自信になりました.
もがいている私でしたが,そんな私をみてチャンスを与えていただいて,そのおかげで今があるなと.感謝しかありません.
よく使われる「四十にして惑わず」ですが,私の志も明確で,動じないものになっています.10代の頃,大学教員になりたいと決めて,それは達成できましたが,大学教員になってからやりたいと思っていたことはほとんどできていません.それでも,科学研究部でサポートを続けてきたおかげか
「サポートする全ての人の成功」が自身の成功と感じられるようになりました.
東京五輪もそれ以降も「私に関わった人すべての成功」が私の成功であると確信してます.東京五輪はもちろんですが,東京五輪後もこれまでとは違う形で多くの人の成功に貢献したいと考えています.
ただ,オリンピックの延期は,正直「きついな」と思ってしまいました.
はたして心の炎の持久力がもつだろうか…と.
自分で自分を奮い立たせるために,模造刀を腹にあてる日々です.
5年前に自分の書いた記録をみると以下のことが書いてありました.
『最初は熱いが,いつの間にか忘れていき,その時は 「必ずやらないといけない」と思っていたことも,できなくなっている人がいる.
 組織とかチームの中にいて,気をつけないといけないことは,周りが温(ぬる)くなると,あっという間に,自分も温くなっていることである』
当時も,俺が焼け石になって周りを熱くしてやる,と意気込んでいました.
こういうことをいうと「何か石井弱気じゃね」と言われそうです.
ただ,これまで,自分だけを燃やしてきたわけじゃないんです.
周りにも熱を!と,本気でぶつかってきました.これからもたくさんあるでしょう.これはとてもエネルギーが必要なことなんです.
自分より上の人たちに物申さないといけない時もたくさんありますから.
四十になって飾ってもしょうがないですし自分の弱さと向き合いながら頑張ろうと思います.
成功者は自分自身のことをよく理解してます.
柔道の岡野先生は自分のことを「素直じゃないね.嫌な性格.神経質だね」
といい,志村けんさんは自分のことを「真面目なようで,臆病で,心配症で」といいます.
自分のことが理解できているからこそ進歩できるだろうなと思ってます.
自分のことを理解して一歩一歩ですね.ただ,自分の弱さが出過ぎているので注意します.

石井のFacebookより

ということで,私自身も実力が見合ってない中で,機会を与えていただいたことを理解し,実力がポジションに見合うように,そして成果を出せるように最善を尽くした.今も実力が見合っているかはわからないが,17年間柔道ナショナルチームのサポートを継続することができている.何かのピリオドで,継続したいと思っていたけども継続できなかった人は,何か理由があるはずである.自分自身を省察し,自分を疑う習慣も必要だと思う.さきほどの嘉納の引用を認知できるかが,成長の一歩だと思う(ダニング・クルーガー効果からの脱却).
と書いているうちに,熱くなって,長くなってしまった.最後に,嘉納のまとめで終わりにしたい.

吾人は秩序ある勤勉を永続し信用を厚うし道義を守るをもって,成功の要道とするのである.

嘉納治五郎,嘉納治五郎体系第7巻「青年修養訓」

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